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KokugoNote #33高1国語総合 ノートの作り方①

 高1クラスのノートチェックをしました。先生は第3学期からの参入なので、今までの先生が何を目的としてノートチェックをされていたのか、よく解りませんが、第2学期までのノートを見させてもらうと、まるで参考書ではないかと見紛(みまが)うような整理されたノートでした。どの子のノートを見較べてみても全く同じ内容だったので、きっと書き写したノートは振り返り学習のために取られたノートだったのだと思います。

 おそらく先生が、多くの先生と異なるのはこの点です。授業ノートを取る必要があるかどうかはそれぞれが判断すべきだと思っている点です。何度も伝えていますが、板書された事柄は先生の解釈による記録です。皆さんは皆さんの解釈があると思います。先生の書くことだから正しいとか、それを写していればテストで高得点を取ることができるとか、そのようなバカげたことから、そろそろ卒業すべき時が来ていると先生は思っています。

 皆さんが望むような、それによく吟味された解釈は、Webで検索したみたらたくさんヒットしますし、紹介したアプリ「Clear」でも確認できますし、もちろん学習参考書でもチェックできます。

 だとしたら、第3学期に学ぶ範囲は事前に伝えていたので、1月のうちにそれらをチェックして、ノートに書き写しておいて、先生が授業で解釈を説明する時に、「いや私はこう思うのですが、、、」とか、「ある参考書ではこのように理解されていましたが、先生はどう思いますか?」とか質問すれば良いのです。

 ところが、びっくりすることに皆さんはそういうことを一切しない。「手元のスマホで勉強に関することを調べてはいけない」という厳しい戒律があるかのように振る舞い、学校の授業時間以外は「勉強してはいけない」という掟を破らないように、普段は教材を持ち帰らないのです。勘違いしないでほしいのですが、「予習や復習をしなさい」と言っている訳ではありません。「家庭学習が大切だ」と新たな信仰を立ち上げたいのではないのです。ただ「自分の将来のために、より効率よく結果を引き寄せる方法を探してほしい」のです。

 少し昔話をします。先生が高校生だった頃のお話です。先生は、N良県のとある公立高校に通っていました。朝ゆっくり起きたかったので、家から近い学校を選びました。中学生の時は勉強があまりできなかったので、よく塾通いの友だちに教えてもらっていました。塾で教わってきた解法をよく知る友だちは、それはそれは中学の先生の教え方よりもスマートで理解しやすかたのです。彼らは、— というよりも、当時は受験戦争真っ盛りの時代だったので ― 試験の攻略法にも長けていました。よくいますよね。授業は真面目に聞いていても、定期考査で得点を挙げられず、ましてや実力考査では全く力を発揮できない人が。先生もそのひとりでした。同じ時間を費やしているのに、得点を挙げられないのはなぜだろう??とかなり悩んだものです。ある時、中学2年生の冬だったと思いますが、授業中に国語の教科書をパラパラ眺めていて、ある漢文が目に入って、おお、そういうことなのか!と開眼したのを今でも思い出します。こういう文でした。

 「彼(かれ)を知り、己(おのれ)を知らば百戦して危(あや)うからず。彼を知らずして、己を知れば、一たび勝ちて、一たび負(ま)く。彼を知らず、己を知らざれば、戦うごとに必ず敗(やぶ)る。」謀攻篇『孫子』

 (相手のことを知り、自分のことを理解していれば、100回戦っても負ける恐れはない。相手のことを知らないで、自分のことだけ理解している場合は、勝ったり負けたりするだろう。相手のことを知らず、自分のことも理解していなければ対戦するごとに必ず負けてしまうに違いない。)

 思いがけず、心にガツンと来る言葉がありますよね。前回、紹介した兼好法師の言葉です。「賀茂の競べ馬」のエントリ#28です。 

 上の文は当たり前と言えば、当たり前のことしか言っていないのですが、当時の先生はずっと探していたことに出会えた気がして、感激し、書店にこの本を買いに走ったものでした。14歳の時に出会った『孫子』(岩波文庫)はその後の人生を大きく変えることになりました。簡単に言うと、試験を嫌だなあと思う心がなくなったのです。                 ※こちらについては、エントリ#31を参照のこと。

 そういう考え方が身に付いたとき、初めて授業のノートに対する見方が定まりました。結論を言えば、高校生の時には殆(ほとん)ど授業中にノートは取らず、必要なことは教科書に書き込んだのです。当然、「黒板書き写しノート」の提出は一切しなかったので、しばしば先生に叱られましたが、テストで結果を出すので許してほしいと伝え、なんとかなっていました。(なんともならない先生もいました、もちろん) 

 この時の体験が「テストで9割以上取るのなら、平常点は無条件で満点をあげるよ」に繋がっているのです。結果に繋がるための、人の努力の道筋はそれぞれだと今でも思っています。向き不向きが誰にだってあるものだし、このやり方だけが正しい唯一の道だとは到底言えません。

 では、先生はどのように「ノート」に対して向き合うようになったのか、それは次回のエントリで。長くなってごめんね。



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