2024年 4年生ブログNo.1
こんにちは!
本日から4年生ブログをお届けしていきます。
記念すべき第1弾は、玉造優太(たまつくり ゆうた)くんです!
それではスタート!
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4年 玉造優太(たまつくり ゆうた/DF/浦和南高校/法学部)
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「誰かの為に頑張るということ」
どうも「國大の太陽」玉造です。
毎年見てきたおなじみの光景。
この時期の4年生の「引退ブログ、なに書こうかなあ」の台詞。
僕は絶対に言わないようにしようと誓っていました。
しかし、和花から引退ブログの連絡が来たときの第一声は「引退ブログ、なに書こうかなあ」でした。
抗いようのない、引退ブログの宿命です。
でぐ君の引退ブログに感動していた聖を昨日のことのように覚えています。
彼はどんなW杯を見せてくれるのか、期待しています。
16年続けたサッカー。
色んなポジションをやってきたけど、大学ではサイドバックでゲームを作ったり壊したりしています。
そんな僕ですが、小学生の時の夢は「世界一のGKになってバロンドールを獲る」でした。ふざけてますね。蹴りたくなります。
そんなこと考えていたら書きたい事決まってきたので自分のサッカー人生を振り返って思ったことを綴ろうと思います。
長いと思いますが、目を通していただけると幸いです。
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近所の友達に誘われて始めたサッカー。
小中の思い出にあまり面白い事はなく、同期のように輝かしい実績もないので割愛しようと思います。
一言で言うなら井の中の蛙。
洸瑠あたりにあの話しろよとか言われそうなので「センターサークルボールキャッチ事件」について知りたい人は是非グラウンドで聞いてください。
そんなこんなで入部したさいたま市立浦和南高等学校サッカー部だが、はっきり言って異常。
入学式の日までに坊主になり、ノートいっぱいに部のルールを書かされ、一か月のお試し期間を終えた体育祭の日には真夜中のグラウンドで武装した先輩たちにどやされる。
地獄のような高校生活の幕開けに絶望していたのが懐かしい。
しかも練習時間は長いし、めっちゃ走るし、利き足は頭とか言われるし。
入部当初こそ見た目の上手さと強さで試合に出ていたけど、ボロが出てきてあっという間に一番下のチーム。
自分の代ではトップチームに入るもなかなか結果は出せず。
まあ選手権でハットトリックしたからいいよね。初戦で、しかも11-0の試合だったけど。未だに肩要因とか言われるけど。
一年の時に見せてもらった全国の景色を見ることが出来ず、そして地獄の生活を共に乗り切った同期と泣いて終わってしまったことだけが心残り。
二度と戻りたくないけど、本当に濃い三年間を過ごせた。
礼儀や挨拶、凡事徹底、勝負に対する執念等々、人生において大切なものをこの身をもって学んだ。
感謝。
同期のみんなは早く集まって飲もう。
そうして迎えた國大の初めての練習参加。
あの時のことは今でも鮮明に覚えている。
二月の寒い日だった。
新入生で参加していたのが僕と洸瑠と渋谷と響の4人。
自己紹介が終わると「変な名前だな」と言われ、貴史君と竜二君に嘘みたいなパスをつけられて、高校の時とはまた違う絶望を味わった。
幸先の悪い大学サッカーだったが、本当に色々なことがありすぎて全部書くと卒論くらいの文字数になりそうだから一つにしようと思う。
「サッカーを辞めるという決断について」
これまでの人生で、進路選択の判断材料はサッカーしかなかった。
サッカーはいつまでも続けていたいと漠然と思っていたし、社会人になってもサッカーをやろうとしていた。
それどころか海外に行ってプロになりたいと考えるようにもなっていた。
しかし、大学生とは社会人の一歩手前。
次の進路選択が今後の人生を大きく左右するといっても過言ではない。
プロにならない限りサッカーで生計を立てることは不可能であり、
自分の実力を鑑みるとプロになれる可能性は限りなく低い。
そうしていざ人生の岐路に立った時に、自ずとサッカーを続けるという選択肢は無くなっていた。
万年IリーガーがJリーガーになれるとは思っていなかったが、毎日当たり前にサッカーが出来る、そんな日常が終わることにひどく落ち込んだ。
サッカーを続ける意味さえ見失いそうになっていた。
ここでちょっと寄り道したいと思う。
皆さんは「一万時間の法則」をご存じだろうか。
フロリダ州立大学のエリクソン博士が考案したもので、1つの分野でプロレベルになるためにはおよそ一万時間の練習を必要とするというものである。
一万時間と聞いても想像つかないと思うので日数換算すると416日であり、一日当たり3時間の練習を続けると10年かかる計算である。
きっと僕は16年のサッカー人生の中で一万時間に到達していたと思う。
しかしサッカーという分野においてプロになることは出来なかった。
では、16年という時間は無駄であったのだろうか。
僕は決してそうではないと思う。
サッカーを通じて沢山の友が出来、かけがえのない瞬間を幾度となく経験し、人として大きく成長できた。
あとちょっとモテた。
16年という時間、サッカーに情熱を注ぎ続けたという経験が、次の一万時間への原動力になると切に感じている。
そんな風に自己解決が出来たことで残り少ないサッカー人生を実りあるものにしようと思えた。
そこからはご存知の通り、3年時にはキャプテンとしてIリーグ8連勝、昇格こそ叶わなかったが、最高のシーズンを過ごすことが出来た。
まあ8連勝後にキャプテン変えられちゃったけど。
普段、試合を観に来ない父親の前で点を取って勝った城西戦は今でも覚えている。
たまプラに行けば仲間がいて、毎日サッカーが出来る。
そんな当たり前の幸せに気付くことが出来た。
うまくいかない事が多すぎたサッカー人生。
何者にもなれなかった僕だが、何物にも代えがたい経験が出来たことを心から誇りに思う。
後悔はありません。
嘘です。
本当はもっとやりたかったし、
もっと上手くなりたかった。
まだバロンドール獲ってないし。
なんて言っても遅いので、諦めて来年からは社会人頑張ります。
ここまで熱中できるものは他にない。
やっぱりサッカーが好きです。
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同期のみんなへ
好き。ホント好き。
みんなの笑顔が見たくてどうやったら笑ってくれるか四六時中考えています。
月並みな言葉になっちゃうけど、この4年間嬉しいことも怒ることも哀しいことも楽しいことも全部みんなと一緒に過ごせて幸せでした。
ありがとう。
家族にまでお世話になっている洸瑠も
遠慮一切なしのフルパワーで蹴り入れてくる悠佑も
二人でドライブしながら熱い話をした聖も
嫌々言いながらも俺のこと大好きな昌也も
未だにプレゼントの差額請求してくる大智も
ボソボソ喋るから何言ってっか分かんない結人も
カッコよすぎてもはや嫉妬の念すら起きない哲平も
可愛い子ぶる永空も
幼稚園一緒で運命感じた渋谷も
クリスマスの合コンドタキャンする田中と笠本も
筋肉に脳を侵された郁也も
長くなるからここに名前出せなかったみんなも大好きです。
いつ開いても最高の盛り上がりを見せる学年会。これからも沢山開催していこう。
みんなの結婚式呼んでね。
めっちゃお祝いするから。
正樹くんへ
ごめんなさいとありがとう。
いっぱい言い合ってきて相いれないことの方が多かったけど、それは多分同じMBTIだからだと思います。
就職先を悩んでいた時、正樹君に言われた言葉に背中を押されました。是非飲み行って楽しく言い合いしましょう。
塩さんへ
ちょっとだけ大好きです。
昨シーズンの栄光を作ったのは間違いなく俺と塩さんだと思ってます。
異論は認めます。
國大に来て初めて仲良くなれた人って言われて最初告白かと思いましたよ。
10個近く歳が離れているのにフランクに接してくれる塩さんやっぱかっこいいです。
ちょっとだけ。
すすきの楽しみにしてます。
松君へ
上武戦の2日前に急遽コンバートされてSBへ。まるでアオアシですね。アシトみたいになれなくて申し訳ないですが、あれからサッカーが広がりました。
あとなんで1年の時の最終節、紅白戦スタメンで試合がベンチ外だったんでしょうか。気になります。ぜひ話し合いしましょう。
関わってくれた先輩へ
生意気でうるさいやつに愛をもって接してくれて本当にありがとうございました。
卒業しても気にかけてくれて、試合を観に来てくれて幸せです。
就活でもお世話になりました。受けたご恩は後輩へ引き継ぎたいと思います。
先輩たちが創り上げた「自分にベクトルを向ける」という文化、大好きです。
まだまだ未熟者ですが精進していきます。皆さん飲み行きましょう。
後輩へ
傍若無人に振る舞ってたから厄介だったと思うけど、みんなのことが大好きです。
残り1ヶ月沢山話していこう。沢山ボール蹴ろう。
学食で会ったらたかりに来てください。引退までは頑張ります。
悠月、色々迷惑かけたけどありがとうな。最後昇格させて終わろう。
両親へ
いつもやかましくてうるさい二人。
だけどずっと支えてくれた二人には感謝と尊敬の気持ちでいっぱいです。
キックベースで友達の家の窓粉砕するくらい近所で有名だった悪ガキをよく途中リアイアせずに辛抱強く育ててくれました。
その恩は絶対に忘れません。
これから人生かけてお返ししていくから楽しみにしておいてください。
先輩も後輩も学年の枠を超えて仲の良い國學院大學体育会蹴球部。
引退したくないです。
ありがとう。さようなら。
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最後に、このブログのタイトルである「誰かの為に頑張るということ」について。
「人は自分の為よりも誰かの為の方が頑張れる」という言葉、一度は目にしたことがあると思います。
愛読している人生の教科書、「キングダム」にもそのような描写があり、一丁前に共感していました。
しかし僕自身、掲げる目標の為に頑張ることはあっても、はっきりと誰かを想い、誰かの為に頑張った経験は恐らくありません。
そんな僕が、明らかに自分ではない誰かから力をもらえたなと思えたことが2つもありました。
一つは、かつての知り合いが遠い世界で頑張っていることを知った時。
幼稚園の卒園以来連絡が取れず、本当にいるのだろうかと存在自体を疑う時もあった事と、
度重なる奇跡の連続でその事実を知った事で、
初めは驚きと嬉しさの半々という心情でしたが、次第にそれも変化していきました。
立場は違えど、頑張っている姿に刺激を受け、僕も負けていられないなと力が湧いてきたのです。
どうか獲れますように。祈っておきますね。
もう一つは、怪我や体調不良で悩んでいた時に同期がかけてくれた言葉。
「たまの為に勝ちたいし、後輩に最高の景色を見せたい。それが原動力になって頑張れる。」
凄くクサいことを言われて少し笑ったけど、自分の為に頑張ってくれる存在がどれだけ嬉しく勇気をもらえるか、気付かされました。
この二つの出来事こそ、誰かの為に頑張ること、そしてその強さを教えてくれたと思います。
事実、それからの練習や試合ではいつもより多めにオーバーラップするようになりました。
仲間の為に、両親の為に、國大の為に、応援してくれる全ての人の為に頑張るという決意の表れだと思います。成長ですね。
持論ですが、「誰かの為に頑張る」ということは辛い時、苦しい時に一歩踏み出せる力であり、結果が出た時の喜びを倍増させるものだと思います。
また、そうして頑張る姿勢が他の誰かに勇気を与えるものだと思います。
加えるなら、“誰か”の対象は人それぞれあっていいし、その数に制限はないとも思います。
これを読んでいる人も誰かを想って、誰かの為に頑張ることを意識してみてください。
きっとあなたを支え、一歩踏み出せる力になってくれるはずです。
僕はつくづく人に恵まれているなと思います。
周りに生かされてる僕はいつしかこんなでっかい事を思うようになりました。
「出会った人を笑顔にする」
僕の人生まだまだ続きますが、これからも誰かの為に頑張ろうと思います。
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拙い文章をここまで読んでくれた人には感謝してもしきれません。
読書家な僕は文豪のようなブログを目指していましたが、程遠いものとなり悔しさでいっぱいです。
納得のいく文章を書こうと思うと卒業を迎えそうなのでこの辺で終わろうと思います。
感想はいつでもDMにて対応していますのでどしどしご連絡ください。
ありがとうございました。
玉造優太
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以上たまくんのブログでした!
たまくんはまさに國大の太陽といった感じで、私たち後輩にもよく気さくに話しかけてくれるムードメーカーのような存在です。
応援や練習ではたまくんの声が響き渡り、この國學院大學蹴球部に"熱"をもたらしてくれました。
たまくんの熱量や声をもう聞くことができないのかと思うと寂しいですが、たまくんの想いは必ず後輩で受け継いでいきます!
最後に、とある同期からこんな同期愛あふれる秘話が届いています。
たまくんは学年会のたびに必ず「愛してる」と学年グルに送ってくれていたそうです。
たまくんはサッカーのみならず、人情にも熱い素敵な方です。そんなたまくんの未来が素晴らしいものとなるよう、蹴球部一同願っております。
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最後までご覧いただきありがとうございました!
次回もお楽しみに!