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2024年4年生ブログNo.23

こんにちは!
今回は第23弾、高野郁也(たかの ふみや)くんのブログをお届けします!
それではスタート!

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4年 高野郁也(たかの ふみや/FW/弥栄高校/人間開発学部)


こんにちは!
國學院大學体育連合会蹴球部四年の高野郁也です
初めに日頃より國學院大學体育連合会蹴球部への多大なるご支援をしてくださる地域の皆様、OBOGの皆様、いつもありがとうございます。
皆様のご支援がなければ、この國學院大學という場所で、最高な仲間達と共にサッカーを全力でプレーすることは出来ませんでした。
皆様のおかげで、たくさんの学びをこの場所から得ることが出来ました。
本当にありがとうございます。
さて、本題に行こうと思いますが、悠佑に「郁也のブログは熱量高そう」とか言われそうなので、先に言います。
熱量高いブログになります。
そして文字数は21000字です。
蹴球部ではない、とある友人からは「卒論じゃん」と笑われました。

でも読んでください。
きっとこのブログが届いてる「あなた」というのは、僕が絶対に一度は「感謝、尊敬」のどちらかを抱いたことがある「あなた」です。
僕は生まれながらに不器用すぎるので、ストレートな言葉でしか伝えられません。
なので、ド直球に伝えます。
では、行きましょう。
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1. はじめに

偉大な先輩方が想いを綴ってきた引退ブログ。
毎年、彼らの引退ブログを読むと、心が熱くなり、一戦に懸ける気持ちが強くなっていきました。
また、今年に関しては、同期の引退ブログを読んで、同期の知らなかった一面を知ることができたりして、より一層彼らを好きになり、蹴球部での残り僅かな期間を、様々な想いを馳せながら送る事ができました。
きっと、引退ブログとは、その人の普段知らない思いや熱い心を知る事ができる誰かを熱くする最高の機会なのだと思います。
そんな引退ブログで僕が何を書くか?
僕は本質的に隠で根暗でネガティヴな人間です。

上手くいかないと人生全部意味ないものと捉えるくらいネガティブ、俗に言う"BAD"にも入りやすい人間です。
しかし、僕は本当に周りに恵まれています。
特に、今年は周りの友達や色々な方々から沢山の愛をいただきながら生きる事が出来ています。
そのおかげで、どんなに上手くいかない日も
最高の仲間達と共に乗り越えてこれました。
この4年間、「あなた」の存在が
いつだって僕にとっては必要不可欠でした。
「あなた」がいたから、こんなに幸せに毎日を過ごすことができました。
そんな最高の仲間への感謝と
これまでの人生で僕に関わってくださった全ての
方々への感謝を、ここに残したいという思いをブログに綴ります。


2. 大学までの自分

2003年3月1日
いつも大きな愛で僕を育ててくれて、今では何でも話せる親友にも近いような存在の偉大な両親のもとに僕は産まれました。
小さい頃から祖父母にも大切に育ててもらい、
僕は本当に裕福な心で幼少期を送っていました。
そんな優しく素敵な大人達に育てられた僕は
目立ちたがりな性格で、幼稚園の発表会でも率先して主演をやりたがる程、なんでも前に出るような子どもでした。
その幼稚園から僕のサッカー人生は始まりました。
幼稚園では、今も応援している横浜Fマリノスの本拠地「日産スタジアム」のピッチに立ち、試合に出る経験をさせていただき、これまで僕がプロサッカー選手を目指し続けて来れた理由の一つになっていました。
小学生になってからは、家から近くの星ヶ丘サッカー少年団でサッカーを続けました。
ポジションはずっとFWで、地元の小さい大会で得点王になったり、年間得点数が100を越えたり、とにかく点を取る事が大好きな選手でした。
小学5年生になり、市選抜に選ばれると
現在の蹴球部の同期である鷹取聖と出会います。
聖は今もそうですが、昔から変わらずみんなの人気者で、いつも友達の輪の中心にいながらも
あまりチームに馴染めていない人にも声をかける事ができる優しく勇気ある人でした。
サッカーも上手くて、友達も多い聖
市選抜内で、僕と聖は正反対の位置にいました。
僕は市選抜内で実力が圧倒的に足りず、
父が送る車内で泣きながら練習に行っていたり
とにかく市選抜チームでのプレーが憂鬱で仕方ありませんでした。
とにかく嫌で嫌で仕方なかった市選抜チームでの2年間、僕はここで努力を知る事が出来ました。
いつからかは忘れましたが、
ほぼ毎朝父親と近くの小学校の校庭で、沢山トラップ、パス、シュートの練習を恐らくかなり長い期間やっていました。
さらに、当時は超スパルタ教育だったブレッサ相模原(現在のロンズアスピランチ)でもプレーする事を決め、自らのサッカーレベルの底上げを目指しました。
そんな2年間を過ごして、最終的には市選抜の最後の試合でスタメンを勝ち取る事ができました。
小学5年生から中学に上がるまでの2年間は
サッカーを通して、努力する事の必要性を学び、
頑張る事の大切さを知る事が出来ました。
人として大切な努力について学ぶ事が出来た2年間でした。
勿論、この2年間には父の存在があったから
努力する事が出来たし、市選抜チームの中でも仲良くしてくれた選手達がいたから泣きながらでも頑張ろうと思えたし、市選抜チームの大塚コーチが常に前向きな言葉をかけ続けてくださったからこそ、少しでも成長しようという気持ちになれました。
当時は気づきませんでしたが、今振り返ると
本当に多くの方の支えが僕を大きく成長させてくれたのだと、感謝の気持ちで一杯になります。
本当にありがとうございます。
そんな努力の大切さを少し学べた僕は
小学6年生の春からプレーし始めたブレッサ相模原で中学時代を過ごす事となります。
中学時代は本当に仲間の大切さを知る事ができた3年間でした。
入団した同期の数は「8人」
他の学年がいなければ試合すら成立しないチームでしたが、だからこそ学年問わず全員が家族のような温かいチームでした。
この場所から僕は「誰かの為にプレーしたい」という明確な思いを抱き、サッカー人生を歩みます。
中学2年生の頃には高円宮杯で、先輩達の最後の試合で負けてしまい大泣きする僕に「ありがとう」と声をかけてくれた先輩は今でも忘れることはできず、「人の為にプレーしよう」と思うキッカケを与えてくれました。
そんな中学時代を過ごし、神奈川県立弥栄高校へ
入学してすぐ膝を壊し、精神的にも病み、高校1年生の頃はまともにプレーした記憶がない。
復帰したと思えば、腰椎分離症になり、また離脱
何とも歯痒い時期を過ごしていましたが、同時にサポートしてくれるトレーナーさん、マネージャー、高校の同期の存在がいつも僕自身の力になっていました。
沢山の人の支えがあって2年生時はBチームで多くの時間をプレーすることができました。

コンディション的にエンジンがかかり始めた高校3年生の春先、新型コロナウイルスによって全ての活動が止まりました。

学校、部活、習い事、全て活動停止になった初日
今でも何故そんなことを思ったのか分からないけど、この行く先不透明な状況を「チャンス」だと捉えました。
俺より上手い奴、実力のある奴を出し抜くチャンスだと確信していました。
そこからは毎日10km走、壁当て、自重筋トレ、瞑想、英語の勉強…あと、日記も書いてました。
家の小さな庭で瞑想してたら母(みーこ)に「あんた何してんの」と冷静にツッコまれたり、弟(塁衣)に「筋トレしすぎて頭おかしくなったん?」と言われたりしましたが、
コロナで活動が止まった初日から約4ヶ月間
週6日はこのルーティンで生活していました。
ここで大学の皆さんがよく知る高野郁也は完成されました。
この時はまだ某メンズコーチの動画など知りませんでしたが、何故かこれを全てやり続けていました。

今振り返るとだいぶキモいなと思います。
しかし、この日々が今の自分に大きく影響しているとも思います。
良い意味でこれまでの自分を見つめ直せたのです。
上手くいかなくなると全て他責にする自分
目標の為にやるべき事をやれない自分
怠惰な生活を送りクソみたいな食事をする自分
これら全てを変えるキッカケを作ることが出来たのは、間違いなくこの4ヶ月だったと思います。
良いルーティンは習慣化されるので、高校が活動再開になってもこのルーティンは継続されました。
そしてこの日々を積み重ねた先には「自分への圧倒的な自信」と「超ハングリー精神」と「チームへの愛」を持つという特大副産物がついてきました。
「K2開幕戦を10番スタメン出場」

1、2年生のクソみたいな時間を過ごしてた自分が一つの成果を出せたという自分の中だけで誇れる小さな宝物まで手にしました。
しかし、最後の選手権では蓮斗擁する横浜創英高校に負けて僕の高校サッカーは終わりました。
試合後、どれだけ泣いたでしょうか。
親友の辻丸君と、どれだけ泣きあったでしょうか。試合後に横浜駅で友達とご飯食べて家に1人で帰る途中の電車でも隣の人に心配されるほど、電車の中でも泣いてました。

翌日鏡で自分の姿を見ると、誰かに殴られたんか?ってくらい目が腫れてましたが、
僕は何事も過去は振り返らないというモットーを(いつから持ってるかわかりませんが)持ってるので、パンパンに腫らした目で「次は大学サッカーで暴れてやる」とギラついていました。
コロナ期間のルーティンで得た副産物「チームを愛する心」を自分のアイデンティティ(個性)として、大学サッカーにチャレンジしようと意気込みました。
さぁ、ようやく大学編です。


3. 4年間の大学生活

さて、大学に入学するまでを書きましたが、
今の自分は高校3年のコロナ期間と大学4年間で形成されたと思います。
さて、このブログを今「國學院大學蹴球部の高野郁也」として綴っています。
しかし、「國學院大學蹴球部の高野郁也」という人間は残念ながら、明日にはいなくなってしまいます。
僕は入部から常に「國學院」としてのプライドを持って生きてきました。
「國學院の為なら何でもやる
國學院が良くなる為なら自己犠牲も厭わない」
そんな事を本気で思い、
選手兼学生コーチとして蹴球部での人生をスタートさせました。
しかし、当時の自分では選手と学生コーチを兼任する事は、余りにも負担が大きすぎたと振り返ります。
蹴球部のみんなが勝利する瞬間を作り出せるなら、ピッチ内もピッチ外も関係ない、
両方全力でやる。
この考えで入部から走ってみました。
しかし、結果的にはピッチ内でもピッチ外でも何も残せていない自分に対して常に怒りを抱き続ける初年度になりました。
大学1年生時の1番のハイライトは「4年生ラストたまプラーザ」の日体大戦に途中出場したことです。
当時就活から戻ってきたヨリ君を差し置いて、先に出場しました。
しかし結果は、相手のダメ押しゴールに絡んでしまうという大粗相。
信頼して送り出してくれた正樹くん、先に出場し、出場時間を俺のせいで減ってしまったヨリ君、本当に申し訳ありません。
また、練習から常にサッカーに対して素晴らしい姿勢で取り組んでいたハマ君や、チームに対して正面から向き合ってくれたショウタ君、トモロウ君、デグ君を勝たせられなかった事も、とても悔しく、人目を気にせず大泣きしました。
しかし、そんな当時所属していたカテゴリーの大一番での出場を経験していた為、チーム全体の想いが1番強くなる瞬間を身をもって知る事が出来ていました。
だからこそ、自分の実力不足に対して
自分に心底絶望して、自己嫌悪して、とにかく自分自身に対して失望しまくっていました。
こんな努力じゃ足りない
俺は何もこのチームに残せていない
俺は何がしたいんだ?
入部から大学2年の夏まで、常にそんな感情を抱きながら練習や自主練に取り組んでいました。
どんな流れで正確に学生コーチを辞めたかは
よく覚えていませんが、大学2年の夏からは選手だけの人生が始まりました。
ちょうど夏休みだった事もあり、
大学2年の夏休みは自分と向き合いまくった時期になりました。
午前中の練習の1時間前にグランドへ到着し
走力強化の為に、1km走を何本か走ってから練習に参加し、練習後は最後の1人になるまでシュート練習やらウェイトトレーニングを行い、家に帰ってからは梅ちゃんにフィードバックを貰いながら自炊で栄養管理した食事を徹底し、寝る前のストレッチは30分欠かさず、サッカーノートを毎日書いていました。
誰よりも質の高い努力を誰よりもやっている自信があった。
それでも大学2年時に出場したIリーグはトータル25分。
スタートは一回もない。
全試合サブかメンバー外だった。
サブに入れた日は、松君の事を常に睨み続けながらアップゾーンでひたすらスプリントし続けていた。
「郁也!」
呼ばれたと思えば、残り3分。
急いで準備して、一回もボールを触らずに試合終了の笛を聞く。
悔しさで試合後も自主的に坂道ダッシュやら5km走やら、その時自分ができる事をやり続けた。
それでも最後までIリーグでの出番は与えられなかった。
気が狂って何も食べれない日があった。
自分への怒りが込み上げすぎて寝れなかった日があった。
もう何もかも辞めて、全て投げ出したかった。
本当に苦しかった。
でも、大怪我を負ってピッチに立つ事すらできなかった拓真の事を考えたら、自分の悩みなど大した事じゃないと思うようにした
そして、全ては「蹴球部のみんなを勝たせたい」
「今怪我でプレーできていない選手達を勇気づけたい」
この思いを頼りに何とか前を向いて進んだ。
その後も試合に起用される事は本当に少なかったけど、とにかく自分の思いを形にする為に、1日を大切に取り組み続けた。
その結果、体は人生最高にキレがあり、メンタルもかなり整った。どんな状況でも前を向き続けられるほどポジティブになれた。
そんな状態で迎えた当時の四年生(ダン君、和丸君)とのサタデーリーグ決勝T1回戦
勝てばもっと長い時間ダン君と和丸君とサッカーができる。
負ければ引退させてしまう。
そんな試合でスタートに選ばれた。
「この日だけは絶対に勝たせるんだ
その為に今日まで苦しくても取り組み続けたんだ
これまでの全ては今日の為なんだ」
当時のサッカーノートにそう書いてあった。
結果は0-1
試合後にはダン君と和丸君が泣きながら
「一緒にここまで頑張ってくれてありがとう」
と伝えてきてくれた。
何で俺はこんなにも無力なんだろう。
またも去年と同じく、大切な人達を喜ばす事が出来ずに、引退させてしまった。
去年よりも明確に自分の力の無さ、情けなさに失望した。
そして同時に来年は絶対に先輩達を最高な形で送り出すと誓った。
自分にとっての最高な形は
「Iリーグ優勝」
その為にはFWである俺が「リーグ得点王」になる必要がある
そう自分の中で最高な形を定義して、負けた翌日から次のシーズンへの準備を進めた
オフシーズンも、まともに休んだのは2〜3日
それ以外はとにかく走って筋トレして、地元の友達とサッカーして、そんな日々を過ごした

大学3年になる新シーズン
良い準備を続けたことが功を奏し、新シーズンのスタートダッシュは上出来だった
新シーズン初めのカテゴリーはU-22A
ずっと憧れであり、目標であった舞台。

俺が愛してる坂巻、悠佑、結人、蓮斗、響、龍馬、永空、恵人がいて、絶対この人たちと一緒にプレーしたい!と意気込んでいた舞台。

ここだけは絶対に譲らないと、気合も十分だった。
可愛い後輩八木、加来、バンギ、うっくん、真心もいたので、より一層気合い入ってた。
そこから、遠征を含む練習試合では、5試合連続でスタメンになる事ができていたが、蓋を開けてみれば、Iリーグ開幕の1週間前にスタートから外れ、2試合連続でほとんど出場せず。
そこからU-22Bへと降格。
それでも、この時の心情は一つの強い思いがあり、降格しようが、出場しなかろうが、全くブレなかった。
その一つの想いは「仲間を勇気づけたい」
ちょうど同じ時期にMGの和花の体調が優れず、部活を一時的に休んでいた。
「選手と共闘する」といつも言っていた和花
ピッチ内でもピッチ外でも、いつでも熱く心強い言葉をかけてくれる和花
彼女の思いを背負って戦い、彼女を勇気づけたいという一心で、U-22Bでの3試合目、東京国際大学戦に出場した。
この試合は2-2の引き分けに終わったが、大学初ゴールを決める事が出来たし、ゴールを決めた後、和花から感謝のLINEが来ていた。
世界のスター達が一夜にしてヒーローになるような世界を揺るがすゴールではないけど、自分のゴールで1人の人間を勇気付けられる事を知った。
それを教えてくれた和花に本当に感謝してます。ありがとう!!!!
そこからは、目の前の一つ一つの試合に意味を持たせるようになった。
愛理が帯同するラストアウェイ、大怪我から帰ってきた拓真と初めて一緒に出る試合、塩さんのラストU-22B(これは嘘だった)、バシ君、哲、ショウキ君の復帰戦。
一つ一つ、意味を持たせた試合の全てでゴールする事が出来た。チームも8連勝する事が出来た。
どのゴールも、どの勝利も決して1人で成し遂げたものではなかった。
仲間の想いを知り、背負い、力に変えた。
仲間がいたから、ゴールを決める事が出来た。
仲間とぶつかったから、チーム力が上がり、みんなで勝てた。
毎日成長し、毎日充実し、毎日が最高だった。
こんな日々は初めてだった。
こうやって人の思いを繋いで勝ち続ける事ができれば、今年こそ大好きな先輩達と、Iリーグを優勝して、最高の形で送り出せる。
本気でそう思っていたし、本気でそれを達成できる自信があった。
しかし、8連勝の後は1分2敗と一気に勝てなくなってしまった。
ここでもメンタルはブレず「先輩達に必ず優勝の景色を見せる」という一心で、プレーし続けた。
そこからは粘り強く勝ち点を積み上げ、昇格の可能性を1つずつ上げていったが、取りこぼしもあり、優勝の可能性は潰え、遂に昇格のためにはもう一つも負けられない所まで来た。
2023年10月7日
Iリーグ第18節vs上武大学
何としてでも勝たなければならない日
大好きな哲、ヤマ君、バシ君、ショーキ君、スグルに昇格を見せるんだ。
どんな形でも点を取り、チームを勝たせよう。
先制ゴールを奪われ、後半には追加点も許した。
90分+ロスの表示がされても、「まだ勝てる」と本気で信じていた。というか、自分に言い聞かせ続けた。
結果は0-2で敗戦。
試合終了直後、サッカー人生で1番泣いた。
どうしようもないくらい泣いた。
大好きな哲達を勝たせられなかった事、昇格の可能性が消えた事、全ての思いが途絶えた瞬間だった。
ただ気持ちの切り替えは早かった。
もう残りが消化になったとしても、あと全ての試合を勝って送り出すんだと切り替えた。
そして次の尚美学園大学戦は奏音(GK)のスーパーロングシュートも決まり勝利。
迎えた最終節、今季の集大成。
自分がこれまで積み上げたものは全て先輩達を喜ばせる為だ。
選手入場時の応援席からの応援、当時じゃ見た事ない数の応援してくれる方々を見た時、
そのほとんどが哲ら先輩達の友達だということを知り、本当にこの人達は愛されていて、この人達の為にプレーすることがどれほど幸せな事なのだろうかと噛み締めながら入場した事を覚えてる。
そんな最高の雰囲気での試合
前半に2失点、後半にも追加点を奪われた。
後半のロスタイム表示が見えた時、絶対勝てない事を分かっていながら、哲の声を聞き、まだ諦めちゃダメだと自分に言い聞かせながらプレーした。気づいたら走りながら泣いてた。
結果は0-3
僕は何度同じ事を繰り返すのだろうか。
一体、何度人を勝たせられずして、別れを繰り返すのだろうか。
去年誓ったはずだろ?
今年は先輩達を勝たせるって、喜ばせるって
取り組み自体に問題は無かった
キャリアハイの結果を出し、チームにも良い影響を与えられたと思う
でもまだ足りない
結果勝たせられてないじゃん
全然ダメじゃん
今回ばかりは、切り替えの早い僕でも恐らく1ヶ月は引きずっていたと思う。
でも、その1ヶ月の間に蹴球部で沢山の素敵な景色を見させてもらった。
関東リーグ終盤の四年生の意地で勝った中院戦、城西戦。
なんといってもU-22Aの1部昇格プレーオフ
サッカー人生であんな景色見たことが無かった。
チームと自分の夢に真っ直ぐ突き進み続けた(今も突き進んでる)ミヨ君、みんなからめちゃくちゃ愛されてるソウタ君、みんなから人外なイジられ方をされるシュウ君
本当にめちゃくちゃカッコよかった。
ずっと憧れてた。
その人達の為に走り、戦い続ける
結人、悠佑、坂巻、蓮斗
同期として本当に誇らしかった。
何よりカッコ良すぎたし、正直憧れた。
俺もこんな舞台で先輩達を勝たせたかった。

そんな悔しさも少し感じつつも、サッカー人生で1番美しく、アツい瞬間に立ち会えた。
だからこそ、落ち込みまくったけど、ラストシーズンも頑張るんだと少しずつ切り替えられた。
そして来たる就職活動。 
就活により強制的に自分と向き合わされた。

ここで、2024年2月1日に書いた日記を抜粋する
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4年になるまで、蹴球部で見てきた様々な景色があった。
悔し過ぎて吐くまで走り続けた日
倉庫でくだらない話で腹抱えて笑いまくった日
プレー中に喧嘩して気まずくなった日
離脱から復帰して皆からおかえりって言われた日
終了間際の逆転ゴールでもみくちゃにされた日
気持ちが入りまくった試合で完敗して泣いた日
仲間のゴールでバカみたいに喜んだ日
大一番の終了間際に失点し呆然とした日
全ての景色に蹴球部のみんなの存在があって、みんながいたから成長し、僕という人間が出来上がった。
みんなには本当に本当に感謝しかない
そして蹴球部以外の友達にも感謝しかない
蹴球部での生活が今の僕の大半を占めているけど人生で出会った全ての人に対して心から感謝している。
一つ一つの出来事に意味があり、繋がってる。
その繋がりは皆んながいたから繋がったと思う。
本当に全ての人に対して出会ってくれてありがとうと感謝を伝えたい。
そんな思いをラストシーズンにぶつけてみよう。

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大学生活ラストになる今年はこんな1年にする
そう決めて2024をスタートさせた。
1月から5月は就活と同時に部活にも出続けた。
6月からは教育実習が始まった。
7月には東京農業大学さんと合同で初めてのイベントを企画運営し、多くの地域の方を試合へ招待し、イベントを成功させた。
8月から夏休み練習が始まりあっという間に月日は流れ、今日を迎えている。
とにかく全力で色んな人への感謝を伝えようと突っ走ってきた。
気づいたらもう1年終わりそうだ。
多くの人への感謝を伝えられた事に対する幸福感や充実感に満たされた反面、4年付き合っていた子にフラれたり、企業の面接で人格否定されて鬱になりかけたり、お酒の場で大粗相かましたり、選手として全く結果出なかったり…
なんか、とんでもない1年を過ごしてる。
でも良いも悪いも、今を生きてるから経験できているし、全ての出来事に感謝してる。
俊哉とか龍馬に「お前ネテロ会長やん」って言われるけど、本当に全てに感謝してる。
やっと僕のこれまでを吐き出せた。
本当に嘘偽りなく、全部出した。
現時点で文字数は9000を超えている。
でも僕には「関わった人全てに対する感謝」をここで伝えたいというのが、このブログのメインテーマなので、本番はこっからです。
ということで、
ここからはみんなへ感謝を伝えます!


4. 僕に関わってくれた全ての人へ感謝

両親へ

いつもありがとう。
たまにみんなから言われるけど、大バッドに入って家に帰ってきて家の雰囲気ぶち壊したりしてた高校時代、本当にごめん。
来年から社会人として頑張ろうと思える理由は、みーことジュン君に親孝行していきたいと思うからだよ。年に1回くらいは少し遠くに旅行でも行こうよ。本当にたくさん迷惑かけたし、辛い思いもさせたはず。でもいつも大きな愛で育ててくれてありがとう。ここから最高に幸せな人生を送ってください。

弟へ

塁衣、俺は本気でお前の夢を信じてる

小さい頃は喧嘩ばっかしてたし、本気で殴った事もあったし、めちゃくちゃ髪引っ張られた事もあったけど、お互いが少しずつ大人になって毎日の様にお互いのサッカーの話をしたり、全然関係ない事を話したりする時間が、実はめちゃくちゃ好きなんだ。

だから来年以降は塁衣の試合を週末は楽しみにしてるよ。
それがお前が大学を卒業した後、今度はデカいスタジアムで何万人ものサポーターの前でプレーする姿を応援しに行けるといいなとか勝手に妄想してる。
まぁ完全に兄貴のエゴではあるけど。
どんな事があっても俺は塁衣を応援してる。
塁衣らしく突き進め。

妹へ

高野家1番の努力家で、心配性だな。
いつも夜遅くまで勉強してる姿を本当に尊敬してるぞ。
何か困ったらいつでも連絡してくれ
塁衣同様いつでも味方だからな。
本当はもっと書くことあるけど、ごめん!
24時間365日相談に乗るからな!

指導者の方へ

まず、僕を指導してくださった全ての指導者の方へ、心から感謝致します。
皆さんの指導があったからこそ、僕は僕自身を誇りに思える選手になれました。
指導者の皆さんと出会えた事を嬉しく思います。

白須さんへ

この4年間で僕の沢山の挑戦を受け入れてくださり、沢山のご指導をしてくださり、本当にありがとうございます。
白須さんと出会わなければ國大をここまで好きになる事は無かったと思います。白須さんに僕の挑戦を支えてくださったからこそ、僕は多くの学びを得る事ができましたし、成長する事ができました。社会人になってもたまに連絡させてください。飲みいきましょう!

正樹君へ

坂巻と裏で「正樹君って縛虎申だよな」といじってました。(良い意味で)

正樹君ほど僕を信頼してくれた指導者の方はいないです。そして同時に僕は全く正樹君に恩返しできていません。今このブログは昇格プレーオフ前に出されていると思うので、僕の今の思いを伝えます。

必ず僕のゴールで昇格させます。正樹君に恩返しできるとすればコレしかないと思います。
任せてください。
必ず勝たせます。

塩さんへ

間違いなくサッカー人生で1番最高なシーズンを送り出せた2023シーズンは、塩さんじゃなきゃ作り出せなかったと思います。
練習や試合でアドバイスを求めに行き、新たな方法を教えてくれる日々
その毎日が最高に充実していて、サッカーが1番楽しかったです。
ピッチから離れたらただの下心ムンムンオジサンになるけど、そんな塩さんも好きです。
もしもう一度2023シーズンに戻れるなら、今度こそ塩さんと共にIリーグを優勝したい。
塩さんと共に喜びを爆発させたい。
尚美学園戦で僕が決めたゴールを、選手よりデカいガッツポーズをしてくれた事、本当に嬉しかったです。
また一緒にサッカーしましょう!

松君へ

入部から選手としてもコーチとしても常に僕のロールモデルだった松君
サッカーに懸ける情熱、チームを勝たせる手法、勝ちへの執念、それらを松君から学ぶ事が出来ました。欲を言えば、もっとあなたと共に戦いたかった。あなたを勝利へと導きたかった。僕が挫折した時にもう一度踏ん張れた原動力の一つには、いつも松君と共に戦い、勝たせたいという思いがありました。
もうその夢は叶わないけど、事務所、ピッチ、ピッチ外で過ごしたいあなたとの時間は、全てが学びになっていました。
出会いに感謝します。
そして松君の今後の人生の大活躍を、めちゃくちゃ応援しています。

後輩へ

君達と出会ったのは3年前
僕がまだ学生コーチをやっていた時期になります
今はすっかりU-22Aの中心、岡部・白山も
当時は僕がコーチ担当だったU-22Cのメンバー

岡部と白山に関しては、本当に最後まで一緒にプレーしたかったけど、U-22Aで頑張ってる姿、活躍する姿は本当に熱くなったし、俺も頑張ろうと思えました。

TOP

一緒にプレーした事あんのかってレベルのTOPチーム
信太郎、海舟、剛琉、碧斗、飛翔、先生(中島)、丈成

君達のプレーを見る事がどれほど楽しかったか
毎回関東リーグの後「ありがとうございます」と声をかけてくれる君たちの為に、学連の仕事もイベントの仕事もめちゃくちゃ頑張れました。
来年はみんなの力を思う存分発揮して、2年連続昇格という偉業を成し遂げてください。

U-22A

ほんの少しだけ一緒にプレーしたU-22A

加来と真心には、俺のクソ真面目な「どうしたらいい?」「どんな動きして欲しい?」という質問に正面から答えてくれた事、本当に感謝してます。

先生(崇幸)には、腕の太さとサッカーの上手さは関係ないことを教えてもらいました。
うっくんには、女の子とコソコソディズニーに行く方法を教えてもらいました。
海野には、サッカーにも投げと蹴りの二刀流が実現できることを教えてもらいました。
バンギは去年のIリーグ一緒に出たね、順天堂大学戦で「郁也君、頼むよ」って言われた時は熱くなったな〜
翔太、来年からは山澤ジムで合トレしよう
他にも、コミュ障すぎてバイトもできない八木とか、デカすぎるリクとか、真っ直ぐすぎる二神がいたりとか、エレンが2人いたりとか、悠佑の相棒がいたりとか、チャラついてる奴とか、見えない奴とか…

ほんと色んな子がいて最高だねU-22A
もっと沢山U-22Aでプレーしたかった。
君達の応援をしてる時、本当に楽しかったよ。
来年はTOPで頑張れよ!活躍すんだぞ!
君達は来年関東2部で活躍してなきゃ「いけない」存在だよ!だからもっともっと日々の活動にこだわりまくって!君達だったら絶対最高な瞬間を何回も作り出せるよ!
変なチャントを歌う事はウンパにでも引き継いでおきます。。

U-22B

お待ちかねのU-22B
髙島、悠月、武田、大樹、大村、タッちゃん、ジョカ
沢山の時間を共にしたね
ピッチの中も外でも、ウェイトルームでも、学食でも、教室でも…
サッカーの話も沢山したし、全然関係ない話も沢山して、君たちとの全ての思い出が宝物です。
正直、高校までは後輩が苦手でしたが、ここまで後輩の事を愛せるようになったのも、君達のおかげです。
髙島
何度も練習で言い合いになったよな
それでもお互いの良いプレーはめちゃくちゃ讃えあったよな
素直で真っ直ぐ努力できるお前と共にプレーできて嬉しかった
心の底からお前の為に点を取りたいと思う
明日必ず勝って熱狂しよう
悠月
お前がキャプテンマークを巻いていて良かった
俺自身が苦しかった時、いつも悠月を見ていた
悠月の頑張る姿を見て、一踏ん張りできたから
残りわずかの時間、必ず勝ち続けような
武田
練習には2分前くらいに走ってくるし
意味わからない粗相もするけど
点取った時、絶対駆け寄ってきてくれるのが本当に嬉しかった
いつも武田と一緒に喜べた事が嬉しかった
もう粗相はするなよ
大樹
今年は本当に世話になったよ
沢山の話をしたし、お互いのプレーについて沢山アドバイスし合ったね
大樹が努力し続けてる姿を見て、もっと俺も頑張ろうと思えたよ
来シーズン、大樹がチームを勝たせるゴールを決め続けろ、全員びっくりさせてやれ
俺は信じてる
大村
アウェイ東京国際大学でのゴールは、大村がいなきゃ無かったと思うんだ
ホーム東京経済大学戦で勝ったのに、めちゃくちゃ落ち込んだし、先が見えなくなったよな
それでも俺達は前を向いて進めた
だからあの試合で勝てた
きっと思う事は沢山あると思うし、それでネガティヴになってしまう時もあると思う。
そんな時は、無理矢理にでも前を向いて頑張れ
大村ならどんな時も大丈夫だから頑張れよ!
たっちゃん
サタデーリーグ時代から沢山のスーパーセーブをありがとう
たっちゃんがいなきゃ勝てなかった試合が沢山あって、本当に毎回救われてた
ピッチ外で人に優しくて思いやりしかないたっちゃんがピッチ入ると強く、負けず嫌いむき出しになる所が好きだったよ
仲間を信じて、仲間と共に沢山勝ってね!
ジョカ
情に熱く、みんなから愛されてる中西
今年一緒にプレーできて本当に楽しかった
試合ラスト5分で1プレー目でニア上突き刺したあのゴールはまさしくジョーカー
本当に持ってるよ色々と
どんだけ嫌な事があっても、辛い事があっても正面から向き合え
ちょっと逃げたくなる所を逃げるな
中西だったらできるはず
高ければ高い壁の方が登った時、気持ちいいぞ
(色々と自業自得だけど)
他にも
ベンチャー企業勤務2人の娘を持つ西本
関東2部大誤審+遅刻癖のあるコウスケ
筋肉ファンタジスタ慎之介
メンタル激弱愛されキャラ蒼空
やらかしても何も気にしてない高田
最初はムカついたけど今では可愛い?会田
サッカー大好きわんぱく少年拓郎
自称応援リーダー松尾
やればできる子、真翔
特に思いのある後輩に偉そうですが、少し言葉を伝えさせてもらいました。
なんかハイTな奴が言ってたなと頭の隅の隅の方にでも残しといてください。
名前出せなかった子、ごめん!
直接言いたい子には直接ラインします!
総じて後輩みんな大好きです
来年以降も最高な仲間と沢山バモスしてください
超超超期待してます

先輩へ

四年となった今、先輩方の偉大さを身をもって痛感しています。
精神的に参っている時にサッカーと、どう向き合うか。上手くいっている時にチームに対してどう振る舞うのか。1人の人間としてどう生きていくのか。

筋肉はどのようにしてつくのか。
僕は今、ありがたい事に、沢山の応援してくれる仲間達がいます。
こんな人間になれたのも、先輩達のご指導があったからこそです。
皆さんと共にプレーした事、同じ蹴球部に所属できた事、全ての先輩方との出会いに感謝致します。本当にありがとうございます!


同期へ

素直に自分がみんなに思う感謝を伝えさせてください。
眞方
一年生の時から仲良くて、たまになんだコイツって思うことも。でも、サッカー(二頭筋)に真っ直ぐ情熱を注ぎ込む姿は、いつも僕にとって刺激になってました。「トップの眞方がこれだけやるなら俺はその倍やる」とか、陰でこっそり思ったりもしてた。でも、本当に心の底から純粋に眞方の活躍する姿をいつも願っていたし、試合で活躍する眞方を見て熱くなってた。
サシの遊び全然いかなくてごめんね。
引退したら本当に行こうね(ガチ)
翔紀
君とこの4年間で、どれだけサッカーの事を話したんだろう。
僕は最初「マリノスユースの成田翔紀」という勝手なレッテルを貼っていて、話すのも恐れ多かった。でも、君は出会った時から本当に良いやつで、どんな時も僕を受け入れてくれて、どんな時も味方でいてくれた。本当にありがとう。
翔紀がどんな場所で次の人生を歩むか、まだわからないけど、どこへだって応援に行くよ。
いつも一緒にいてくれてありがとう。
これからも宜しく頼んだ!
洸瑠
洸瑠が怪我をして「もうサッカーができないかもしれない」と電話で言われた時、話を聞くだけで、支えてあげれなくてごめん。
僕には計り知れない程、辛かったと思う。
幾つもの壁を乗り越えて、またピッチに立ってくれてありがとう。洸瑠のチャントを歌う時は絶対に俺が1番届けようってずっと思ってたよ。
人はここまで強く生きられるという事を洸瑠から教えてもらった。出会えて良かった、本当にありがとう!

どんな時も前向きな言葉をかけてくれたね。
「郁也ならやれるでしょ」強めの関西弁で言ってくれる遼の言葉は本当にいつも力になってたよ。
最後、U-22Bに来てくれた時に少しだけ一緒にマッチアップしたよね。
あのバチバチに遼とやり合った日から、どんどん調子が良くなっていった。
遼と共にプレーできた事自体が、誇りに思うし、沢山の成長のきっかけをもらったよ。
遼とプレーできて本当に楽しかった!

さっきも少し書いたけど、小学生からの仲で、
当時から尊敬していた聖
表面的な「キャプテン聖」しか見る事は出来なかったけど、いつだってチームの為に戦う姿をいつも勝手に勉強させてもらってた。
ピッチ内での立ち振る舞い、言動、プレー「本当に凄い」しか出てこないよ。
小学生の時に、本当に凄いと思っていた聖と、サッカーでまた再開できた事、心から嬉しいんだ!
國學院のキャプテン!ありがとう!
昌也
グランドや倉庫で会うと、いつもニコニコしながら近づいてくれる昌也
実はあの瞬間がすごく嬉しかった
だって学部も違えばカテゴリーも違うのに、毎回ニコニコしながら「郁也〜」って来てくれるのめちゃくちゃ嬉しかったんだ。
俺が点を決めた日には「やったじゃん!ナイスゴール!」って来てくれた事、絶対忘れません。
少しこの前の昌也のブログを引用した時も伝えたけど、「大澤昌也」と出会えて本当に良かったし、心から誇りに思ってるよ!
哲平
練習中にも目があったら手を振ってくれる哲平
4年間で何回哲平のゴールで熱狂したんだろう。
もう数え切れないほど、哲平のゴールを見てるけど、全てのゴールがめちゃくちゃ嬉しかった。
そのゴールで何度も勇気を貰った。
俺が4年間頑張れた理由の一つは、哲平のゴールでした。沢山勇気をくれてありがとう!
あと、勝手にライバル視して得点数で絶対負けねえとか思ってたけど、結局足元にも及びませんでした。くそー。マジカッコよすぎだわ全部。
あんたが最強で最高!
また成海と3人でどっか行こうね🫶
龍世
小久保、龍世、高野
健康体育学科の脳筋3トップと呼ばれ続けたな
笑い声デカくて、意味わからん所でツボるし、たまにマジで何言ってるかわからない。
でもそんな龍世と会話できるのは、僕と翔紀くらいと言われるほど、きっと相性が良いっていうのが嬉しい。
アウェイ中院戦の後にも、伝えたけど、どんな事があっても俺と小久保含む健康体育学科みんなが龍世のことを支えてる。
だから、どんな時も頼ってくれ。
龍世と4年間で沢山笑えたのが幸せすぎたぞ!
ありがとうな!
翔馬
普段は優しくて真面目で温厚な大竹兄やん
たまに出てくるブラック大竹があまりにも黒すぎました。でもめちゃくちゃ面白かったです。
そして1,2,4年と多くの時間を同じカテゴリーでプレーしたね。大竹兄やんと試合前にやるいつものルーティンにも助けられています。
今後は東京を代表する先生として、ブラック大竹を出さずに頑張ってね!
蓮斗
勝手に一生のライバルであり、最大の目標として蓮斗の事を見てました笑
カテゴリーも結果も全部負けてるけど、サッカーへの情熱、人間性、プレー、全て尊敬してる。
沢山蓮斗と2トップ組んで、あーでもないこーでもないと試行錯誤し続けた日々は、間違いなくサッカーを心から楽しめていたよ。
あの時期があって、選手として大きく成長出来た。
もう一度蓮斗とプレーするんだ!って自分に言い聞かせ続けたけど、叶わなかったな。
最後、俺らで必ずチーム勝たせるゴールを決めて
めちゃくちゃ最高の景色作ろうぜ!
俊哉
いつもみんなから愛されてる(?)俊哉
関東リーグの試合にメンバー入ってないのに右サイドを駆け上がって驚かれるし、試合中にいきなり「ヴォイ」って効果音出るし、何かとやかましいけど、グランドでもグランド以外でも俊哉と話した時間は本当に楽しかったです。
なんなら沢山楽しませてくれてありがとう笑
俊哉との日々は振り返れば面白すぎたかな?
遼翔
「泥沼掃き溜め」と言われた2022年のU-22Cで
ひたすら真面目にただ上手くなる事だけ、和丸君と段君を勝たせる事だけを考えて、毎日切磋琢磨した日々を、絶対に忘れません。
絶対に同期の中だったら俺たちが1番シュート練習したよな。
遼翔とあの日々を過ごせたから、沢山のゴールを決めれたと確信をもって言えます。
一緒にサッカーしてくれて、本当にありがとう
遼翔がいたから腐らず頑張れたよ!
ありがとうー!!
泰陽
苦しい苦しい学連生活を共に乗り越えた泰陽
なんだか君とは苦しいことを一緒に乗り越えた記憶ばっかり。終電手前まで試合の公式記録だの、提出資料の作成だのをたまプラーザテラスの芝の上でやったり、就活と試験勉強でお互いキツイキツイ言いながらドトールで作業したり。
でも毎度、ブツブツ文句言いながらも明るい泰陽を見て、俺も頑張ろうって思えてたよ。
これからもキツイことあったら相談させてください。山口なんて田舎に戻るなよ。
また電車すら乗れなくなるぞ。
恵人
誰にでも分け隔てなく優しいかもしれない恵人
なんか康太にいたずら仕掛けてるのとか、見ててめっちゃ面白かったし、CKから失点した時にマーク外した事を自白したのとか笑いすぎた。
同じピッチに立ってプレーすると、どうやって相手をブチ抜いてくんだろうって毎回恵人がボール持った瞬間は勝手にワクワクしてました。
特に3年時のIリーグ開幕の東海戦で、めちゃくちゃ走って守って、ドリブルで抜いて、足攣る限界までプレーしてた姿に、鼓舞されたよ。。
最後の試合でも、恵人のエグいドリブルをワクワクして楽しんじゃいます笑
啓真
僕が落ち込んでいる時に、いつも前向きでポジティブな言葉をかけてくれて、本当にありがとう。啓真のことだから、もしかしたら「そんなこと言ったことあるっけ?」とか言いそう。僕は鮮明に、何度も啓真の言葉によって元気付けられたことを覚えています。U-22Cでは、正直何度も腐りかけた。その時に、啓真がいつも「頼むよ、郁也」「今日はハイTな顔してるね(?)」と声をかけ続けてくれたことで、踏ん張って、何度も頑張れた。
啓真とサッカーできて嬉しかった!ありがとう!
龍馬
最後の年に、就活を共に戦い抜いた戦友(結人も)
3人の中で「今日若る?」が練習前後で就活をするかしないかの合言葉でした。本当に基本会話は適当だし、鼻毛出過ぎ。
でも、運転免許取得直後の俺の運転に付き合ってくれてありがとうな。
そして、ずっとサウナ行こうって言ってんのに全然行けてないので、社会人になったらドカンと一発行きましょう。
怜緒
いつもふざけてるから真面目に言うわ。
大学3・4年は怜緒いなきゃ本当にダメだった。
楽しい時も、上手くいかない時も、素直に感情を吐き出せたのは、怜緒だったから。俺が先輩達とあんなに仲良くなって、楽しく過ごせたのも、怜緒がいたからだと、本気で思ってます。
みんなからは、怜緒面白くないって言われてるけど、俺は本当に面白かったよ。本当に嘘じゃないよ。
でも今だから言うけど、半分くらいは本当に面白くなかった。
はい。
悠佑
クールぶってるくせに俺より熱量高い悠佑
そういう所が好きなんだよな
サッカーに対してめちゃくちゃ思い強いし、仲間思いすぎるし、チーム好きすぎるし
なのにめちゃくちゃ普段クールぶってるんだよな
そしてなんか総じて悠佑はみんなから愛されてる
学年会で俺より愛してるキャラやん
もうそろそろ熱量キャラ交代しようか?
全部最高だよ悠佑
少しでも一緒にサッカーできて本当に嬉しかった
大きなありがとうを!
渋谷
今年は特にぶつかる事が多かったね
でもピッチ離れたらいつも通りふざけて笑い合えるそんな関係でいてくれた渋谷には感謝しかありません。同じ学科で授業を共に頑張ったり、理不尽走りを共に乗り越えたり、就活一緒にもがいたり。君とピッチ内でどれだけ歪み合おうと、残る記憶はいつも何かを共に乗り越えたり、馬鹿みたいにふざけて笑い合った記憶しかないよ。
4年間ありがとう。
ラスト1試合、歪み合い、鼓舞し合い、共に勝とう。
隼人
こんなイケメンでフレンドリーなやつおんのかいって思ってました。しかもサッカー上手いし。
一年生の頃からほぼ(?)同じカテゴリーで一緒にサッカーして、隼人がボール持ったら絶対見てくれてるっていう一方通行な信頼をずっと持ってました。だから隼人とやるサッカーはいつだってめちゃくちゃ楽しかった。しかも隼人のアシストからゴールなんて決めれちゃって!もう本当に隼人と一緒にサッカーできて嬉しかったよ。
たくさん良い思いさせてもらったからね笑
隼人とやる最後の試合、めちゃくちゃ楽しみだ!

初めて蹴球部の練習参加に行った時、一緒にいたのは響と結人。
まだ大学に入学すらしてない日の練習の帰り道、なぜか「夢の話」になったのを覚えてる?少し恥ずかしいかもしれないけど、響は真っ直ぐすぎる目で「俺はプロになる」って言い切ったんだよ。
あの日から、ずっと響の真っ直ぐな言葉と行動、振る舞いに導かれてきた。
僕が間違った道へ踏み外しそうになっても、響の姿を見て、行動を改めてきた。4年間、いつも君を見習っていました。
沢山熱い話もできて良かった。
引退したら飲みに行ってアッツい話をしような!
悠友真
僕の全てを全肯定してくれる悠友真
ただただ一緒にいてくれるだけで、元気になれる。
何でも話せるし、何でも曝け出せるし、何でも受け入れられる。
悠友真と過ごした全ての瞬間が楽しかった。
みんなの事を一瞬で幸せにできる悠友真の事を心から尊敬していたよ。
そんなみんなを明るくし続ける悠友真が大好きだよ!
最後絶対勝たせるからめちゃくちゃ馬鹿騒ぎしようぜ!
琢人
一年生の時を考えると、まさかここまで仲良くなるとは思わなかった。
今では隠し事一切無しで何でも話せるくらいまでに仲良くなって、本当に嬉しいです。
自称応援リーダーの俺からするとなんで琢人出ねえんだよって試合が4年間で幾つもありましたが、最後の最後で君は、僕らに上手すぎるゴールやとんでもないプレーを見せて大いに楽しませてくれたね。
俺の人生で一番サッカー上手くて、一番バブすぎる琢人。心の底から君の人生を応援しているよ!
出逢えて本当に嬉しいよ!
康太
今シーズンは康太がいなきゃ乗り越えられなかった。心も体も4年になってから一番ベストな状態で準備していた明治学院戦で諸事情によりまさかのベンチスタート。今だから言えるけど、代わりにスタートで出た康太と前日に大泣きしながら明日絶対勝とうなって話したよね。そして言葉の通りで「死力を尽くして」動けなくなる限界まで走って戦った康太の姿に本当に勇気をもらったよ。
あの日、康太が俺の思い全てを受け止めてくれたから、自分のやるべき事と向き合えて、もう一度チームの為に戦えるようになったよ。
本当に感謝しかない!
最後、康太と必ず勝つよ!
結人
実はマジ愛に溢れてるよな。最近隠しきれてないけど。いつからかは忘れたけどウェイトルームに行くと、俺よりカテゴリー上の結人がいつも先にいて、「マジ負けてらんねえわ」って思った事がきっかけで僕のウェイトライフ(瞬発ライフ)が始まりました。そしていつの日か、練習1時間ちょっと前に来て筋トレをする仲間の事を心の底から応援していて、たまに共に練習する時は絶対負けたくねえって鼻息荒くしながらバトりに行くという、俺にとって最高の仲間になってました。
今ではプライベートとディズニーなんて行っちゃって。四年前じゃ考えられん。
ピッチの中も外も全部仲良くなれて超嬉しいんだ。これからも沢山宜しくね!

拓真
大学1年の時に、U-22Aでプレーする拓真に「すげえな」って尊敬の気持ちを持ちながら、
「どこかで絶対一緒にプレーしたい!」って思ってたよ笑
そんな拓真と大学後半の2年間を共に戦えた事は自分の一つの願いが叶った瞬間でした
大学3年のシーズンはお互い沢山最高の瞬間を共に経験したよね。あの時間は本当に幸せだった。
4年になって、お互いに怪我で試合に出れない時期があったり、トップパフォーマンスに戻らなかったり、沢山苦しかった時間があったよね。
どんな時も、いつも前向きに取り組み続けて、いつもポジティブな言葉でお互い支え合えたからこそ、サッカー選手として一歩ずつ成長できた。
本当に拓真のおかげです。
心からベストタッグだと思ってるよ!
サッカーで拓真と出会えてよかった!!

吉澤
大学3年の冬から消息を絶ち、幽霊部員となった君とは、3年のシーズンまでは共に戦ったね。
基本少しふざけて、俊哉をいじくり倒してるけど、ピッチ入ったら一気にギア上げてきて頼もしかったよ。(どうせお世辞とか言いそうだけど)
何回か直接言ったこともあるけど、君がキャプマを巻く試合は坂巻と共に「やっぱ吉澤なんだよな〜」と優太のいい所を言う会が始まってました。そんなキャプテン経験のある君も今では幽霊部員。君が幽霊部員だろうが、なんだろうが、一緒にプレーできた事は忘れません。
U-22D再結成の日まで、じゃあね!

永空
引退ブログにまさか名前を出して、書いてくれるとは思ってなかった。
正直、めちゃくちゃ嬉しかった。
そして、本当にこのチームの為に、自分が貢献できる最大限の事は何か?を
考えるキッカケを永空のブログから、貰ったよ。
怪我での長期離脱、俺には理解できない程、辛かった事が沢山あったと思う
それでもまた、チームに戻ってきてくれてありがとう。
永空がチームに戻ってきてくれて本当に良かった。

坂巻
酔っ払っていつもお前に言う言葉をここで言うよ
まじでお前を一番に愛してる。
同じカテゴリーで4年間一緒にやってきた訳ではないけど、学生コーチの仕事がありすぎて家に帰れない日は、快く家に向かい入れてくれた。
坂巻家では、本当に数え切れない程の思い出で溢れてる。

お前がふざけて包丁を振り回した日
韓ドラを見て悶絶した日
戸田と3人で鍋をつついた日
二度と見たくない修羅場を共にした日
家に帰ってたら課題も分析も何も終わらないから泊めさせてくれた日
翔紀と琢人と何気ない話を夜遅くまでした日
本当に沢山の思い出を坂巻と共にしてきた。
大学4年間がこんなに充実して、面白かったのは坂巻のおかげだよ
本当にありがとう。
タマ
4年間ほとんど同じチームで、練習も試合もずっと一緒だったね。たまプラーザのグランドで一体何回口喧嘩をしたことだろう。でも3日後くらいには、仲直りしてお互いのプレーを讃えあったね。そしてまたすぐにどっちかが、どっちかを罵倒して喧嘩するという。何回同じことするんだと周りに思われてたかも。
そんな日々を過ごしてきたけど、俺がゴールすれば逆サイドにいるのに試合より速いスプリントで俺の所まで駆け寄ってきてくれる所、本当に嬉しかった。
これから罵倒し合うことはなさそう。
たまの人生の幸せを願ってるよ。
適当なタイミングで会って話聞かせてね。

大智
大学3年のシーズンから多くの試合に一緒に出場したね
あんなに3年のシーズンのサッカーが楽しかったのは、大智とゴール数を競い合ったり、お互いのアシスト数を競い合ったり、サッカーの良い所全部詰め込んだ瞬間を、ずっと共にできた事は、本当にサッカー人生の宝物すぎるよ
最後の最後に、少し悔しい思いをしたと思うけど、それでもチームの為に手を抜かずにやるべき事をやる大智の姿に、ずっと勇気を貰ってました
大智とサッカーできて本当に良かった
ありがとう!
和花
ここまでのブログにも出てきてるけど、和花がいたから蹴球部で沢山の成長をすることが出来ました。選手として、「チームに関わる全ての人の為にプレーしよう」と思えたのは、和花と共に、
選手達を最高の舞台でプレーさせたいと様々な努力をしてきた経験があったからです。
お互いに助け合ったり、ぶつかりそうになったり、この蹴球部の事で沢山の感情を共にした事をずっと忘れません。
4年間本当にありがとう!!

今年だけじゃないだろうけど、沢山の葛藤がある中で、ここまで一緒に戦ってくれてありがとう。
特に今年はBのベンチをサポートしてくれる事が多くて、いつも心強かったよ。
今年の大敗した試合も、プレーオフを賭けた大一番で勝った試合も、全部の瞬間を舞と共に経験できた事が、本当に誇らしく、嬉しいです。
舞だからBの選手達は最大のフルパフォーマンスを出せたんじゃないかなと思ってます。
てか、そうでしょう!
4年間共に戦ってくれてありがとう!!


蹴球部での4年間は、どの瞬間を切り取っても、常に「同期」の存在が僕を助け、支えてくれました。
四年前に蹴球部への入部に一歩踏み出せた自分、良くやったぞ。
こんなにも素晴らしい同期に出会えた事が、誇らしい。

みんな、いつまでも友達でいてください。
最近はお前の「愛してる」は軽すぎるとか言われるけど、本当みんな愛してるよ!


5. 最後に

最後に俺自身に向けて伝えます
四年前の俺は「TOPでリーグ得点王になる」という目標を必ず達成すると自分に誓ったな
結果は、全く足元にも及ばなかったな
俺は俺自身に負けたんだ
ただ、もう引退が明日に迫る今日でさえも
俺は馬鹿みたいにTOPで活躍する事を考えてる
関東リーグで活躍する同期を心から全力で応援しつつ、クソがつくほど悔しくなってる 
(本当に邪念なしで純粋にみんな応援してる)
絶対負けたくねえって気持ちだけは一丁前に持ってる
だから俺は最後も、俺らしく馬鹿みたいにTOPで得点王になってる俺をイメージして明日を挑む
明日は俺のゴール決めるから全員で喜ぼう
最後全員で勝とう

応援してくれる人、支えてくれる人、関わってくれる全ての人を熱くさせ、勇気付ける為に
みんなで勝つんだ
最高の仲間達と共にね

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以上、郁也くんのブログでした!

郁也くんは、とにかく「熱さ」が魅力的な方です。

國大でも屈指の熱男で、その國大蹴球部への愛は非常に強く、國大のためなら自分のルーティンや睡眠時間を犠牲にしてでも全力で動く、まさに「國大蹴球部バカ」と言っても過言ではありません。そんな郁也くんの人柄は多くの人を惹きつける力があります。

農大さんとのコラボ企画の際には、國大だけでなく農大さん側からも信頼を得ており、ミーティングでも率先して進行役を務めていたそうです。今でも農大さんの方々との交流を大切にしていることから、郁也くんが一度繋がった縁をとても大切にする方だということが分かります。

また、郁也くんは、4年間を通じて國大のために尽くし、多くの企画を成功させました。その中で見せる郁也くんの人間性には、人望があり、常に「誰かのため」を考える思いやりがあります。試合に出る際も、一試合一試合に特別な想いを抱いていることが伝わってきます。

学生コーチを兼任しながら選手として活動したり、学連としての役割を果たしたりと、多くの役割を担いながらも、常に國大蹴球部のために走り続けてきた郁也くん。その全力で取り組む姿勢や國大愛に溢れる行動は、周囲に感動と影響を与え続けています。

これからも郁也くんらしい熱い日々を送られることを、心よりお祈りしております。

最後に、ある選手と一個上の先輩からメッセージを預かっているので掲載し締めたいと思います。

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自分に厳しく、人に優しく。この言葉がぴったりなのがふみやくんだと思います。
今シーズン自分がうまくいかなくて悩んでいた時に電話までくれてアドバイスくれて励ましてくれたこと忘れません。シーズン中めーっちゃ頼りにしてました。本当にありがとうございました。これからも相談させてもらいます!だいすきぃー♡❤︎♡♥

ふみやくんのことを尊敬してる後輩より。

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後輩の引退ブログで出しゃばるのもどうかと思いましたが、去年の仕返しで。

アツ苦しい後輩で、テストステロンがなんだのとうるさい筋トレ仲間で、バカみたいな量ある食堂のカレーライスを貪り食った食トレ仲間で、サッカーにいつも真剣で、本気で衝突したこともあるサッカー仲間で、あの子が可愛いだのとふざけたこともめちゃくちゃ話した友達で。

そして、社会人になった自分に今も勇気を与え続けてくれる存在。

仕事でどうしようもなく辛い時、Twitterで郁弥のゴールを知り、何度あと少し頑張ろうと思えたことか。

学生時代の3年間、誰よりも不器用で悩んで、それでももがき続けて結果を残す姿を、1番近くで見させてもらいました。

あなたほど真っ直ぐな人を、俺は見たことがありません。

俺を兄貴と慕ってくれて、本当にありがとう。
4年間、本当にお疲れ様。

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最後までご覧いただきありがとうございました!
次回もお楽しみに!

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