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2024年4年生ブログNo.25

こんにちは!
本日は4年生ブログ第25弾です!
櫻井蓮斗(さくらい れんと)くんのブログをお届けします。
それではスタート!

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4年 櫻井 蓮斗(さくらい れんと/FW/横浜創英高校/法学部)

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どんな事にも終わりがあるように、自分にも遂にこの時がやってきてしまいました。

みんなもブログで書いているように、先輩方が書いたブログを読んでいたものが、遂に自分が書く側に回ってきたんだな、と痛感しています。

本来は10月13日までに出さなくてはいけなかったのですが、最終節の事で頭がいっぱいで全然進まず、さらに敗戦。全く何を書くべきか考えられない状態に陥ってしまい、数日前まで、いっぱいメモを書く段階でした。ごめんねマネージャーの方々。

いざ書くとなると難しいものですね。面白いものにはならないし、後悔がないようにたくさん書いて、まとまっていないかもしれませんが、最後まで温かい目で読んでいただけると幸いです。


「原動力」

4歳で兄の影響を受け、地元の横須賀シーガルズと言うチームで僕のサッカー人生が始まりました。単純に兄がやっているから自分もやるというような、まさに次男らしい理由でキャリアがスタートしました。

今では想像がつかないかもしれませんが、小さい頃の僕はまさに暴君。ゴールキックもスローインもコーナーキックもpkのゴールキーパーまでも全部自分でやろうとする暴れっぷりだったと話を聞きます。やんちゃな性格で、度を超える負けず嫌い、そして、目立ちたがり屋。とても扱うのが大変だっただろうと思います。自分なら無理です。

その中でキャプテンを任せてもらい、様々な経験をさせてくれた事が、今の自分がここまでサッカーを続けるきっかけとなった事は間違いが無いです。


小学校の頃は、ただひたすら兄を超えたくて、兄の代の結果を越えるためにがむしゃらにやっていました。四年生の時には県大会でベスト8、その後は自分のくじ運がとても悪く、県大会はどちらも1回戦敗退。地元の大会では、少し良い結果を残す。とにかく狭いコミニティーの中でサッカーをするのにとどまりました。

その結果、自分を上手いと思い込む始末。そんな世界を知らない小さな存在は、すぐに大きな存在の影へと隠れていく事になります。


中学進学時には、自信があったにも関わらず、横浜F・マリノス追浜のセレクションに落ちました。ここで入団できていれば、もっと僕のサッカー人生は華やかなものに変わっていたのかもしれませんね。伸びた鼻をへし折られ、逃げるように、ここでもまた兄の背中を追って、明浜Jrユース(現AIVANCE YOKOSUKA)に入団しました。


中学では、のびのびとプレーをさせていただき、その中で、自分に必要な技術を磨くことができました。町クラブであるにも関わらず、広い人工芝のグラウンドでプレーさせてもらう事ができるような恵まれた環境で、サッカーをする事ができました。

結果としては、クラブユースではベルマーレ小田原に敗れ、高円宮杯では大豆戸FCに粉砕されました。県リーグの2部では少し良い結果を残す事ができましたが、とにかく自分自身がまだまだ実力不足な事を実感し、さらに上へ上へと目指すきっかけを得ることに繋がり、地区トレセン等の活動を通して、レベルの高い場所への憧れを抱いていきました。


中学3年生の時にいよいよ、進路を決めなくてはならないようになり、色々な高校の練習参加を必死に申し込んでもらったことを今でも覚えています。

高校の第一志望は、同い年の國学院大學キャプテンの鷹取くんが所属していた、福島県の強豪尚志高校に入学をしたかったのですが、ここでも見事にセレクションで落ち、夏に参加した練習会で印象に残っていた、体を作って蹴って前に運ぶサッカーではなく、パスを繋いで崩していくサッカースタイルを持っていた横浜創英高校に進学したいと思っていました。

なかなか連絡が来ず、地元の三浦学苑や湘南学院に進学をするか悩んでいた秋頃に、連絡があり、運良く横浜創英高校に特待生として声をかけてもらう事ができました。


しかし、自分の中では正直葛藤がありました。地元の三浦学苑は、免除の話が上がっていたし、家も近い。親の負担が減るのは間違いなくそちらの道でした。おまけに友人や知り合いもたくさん入学する予定。でも、体の小さい僕がサッカーをするスタイルは間違いなく創英の方が向いていて、なにしろ、新しい環境に飛び込んで自分自身をもっと高めたいという気持ちが大きかった。そんな思いを持ちながら、両親と話した時、

「行きたい方に行きなさい。他は何も気にしなくていいから」

と背中を押してもらい、横浜創英に入学する事を決めました。



高校では、今まで小さなコミニティーでなんとなくサッカーを続けていた僕が、本当の勝負の世界へと飛び込んでいく事になりました。

高校サッカーといえば、自分がサッカーを始めた際に全国大会を見て、「この舞台に立ちたい」と思った舞台だし、熱くて華やかなイメージがありました。小学校の卒業文集には「桐光高校に進学する」なんて書いた印象があります。ごめんな。小学校の時の自分。視野にも入らなかった。

それでも、当時は桐光とも同じK-1所属、並々ならぬ自信を持って、門を叩きました。


「坊主にはなりたくないな」


そう誓って入った部活動で僅か数ヶ月で人生初の坊主になりました。恥ずかしすぎて最寄駅では制服に帽子を被ったことを今でも覚えています。そっちの方が恥ずかしいですよね。でも当時はそれよりも坊主頭を見られたくなかったんです。

とにかく苦しかった思い出が多い高校生活。


片道1時間弱の学校からさらに電車で15分程移動したところから歩いて20分くらいの所にある、土のグラウンドで練習をして、見つかるまで終わらないボール探し、帰りが日を跨ぐ直前になることもありました。冬には朝練があり、疲労で食事が喉を通らない時もあるくらい過酷な環境でサッカーをしました。

加えて、勉強面も決して疎かにしてはいけない部活動方針、いつ勉強をする時間があるんだろう。いや、いつ寝る時間があるんだろう。テスト期間には、寝る間も惜しんで勉強に励みました。特に、監督の担当する世界史は…。

あまりにも想像とかけ離れすぎている現実。

1年生では、特待生にも関わらず、全くもって出場機会を得られず、坊主にもなり、何度も辞めたいと思っていました。

自信はあるのに全くもってピッチに立たせてもらえない。不貞腐れて練習にも身が入らない。そんな時、地元の友人で高校野球をしている友人に駅でバッタリ会い、死人くらい顔をげっそりさせて、同じ境遇で必死にもがいている事に刺激を受けました。

「何をしてんだろ俺は」ここで、自分を奮い立たせる事ができました。そんなこんなで、なんとか苦しい生活を耐え抜きギリギリで生活していました。

2年生の春からは、トップチームとBチームを行ったり来たり。結局この年もトップチームでは公式戦で出場する事は一度もありませんでしたが、様々な経験をここでも積むことができました。

一つ上の先輩にビビりながらプレーして何度も怒られるトップチームでの練習。下に落とされて、安心している自分に少し嫌気がさしました。

この時に、試合に出る為に何かを変えなくてはならないと感じて、守備もしっかりとやる事を意識し始めました。現在のプレースタイルの確立はここから始まっていたのかもしれません。この経験から、体力的にも精神的にも、自分自身のタフな部分はだいぶ鍛えられたと思っています。

いよいよ3年生!今年こそは!という時に、コロナウイルス蔓延。その影響により、関東大会、インターハイは中止、K1リーグも各チームと1試合のみの形態となってしまいました。試合の中止に伴って、同い年の半数以上が夏に引退を宣告され、不完全燃焼で高校サッカーを終えてしまう人が多かったと思います。そんなみんなのために、最後に残された選手権では、絶対に全国に行きたい。そんな熱い想いを持って取り組みました。

無観客試合の中、川和高校、郁弥がエースの弥栄高校、日大高校をなんとか下し、勝ち上がり、ついにベスト4まで進出、等々力スタジアムで試合をする事になりました。この試合には身内は、両親だけ招待する事ができ、同期のみんなも試合を現地で観戦することができました。試合は、隼斗擁する桐蔭高校に0-1で負け、夢は儚く散りました。全国に出て、もっと多くの方に恩返しの意味も込めて試合を現地で見てもらいたかったのですが、その思いは届きませんでした。それでも、スタジアムでプレーする姿を両親やネットを通じて友人やお世話になった人に見せる事ができた部分で少しは恩返しができたんじゃないかなって思います。これが僕のサッカー人生の中で1番の快挙です。


高校生活の中ではもちろん苦しい思い出が多いですが、自分が今持ち合わせるメンタリティや体力、技術の部分はこの、苦しい高校生活をたくさんのサポートで乗り切る事ができたからこそ、身についた能力であると実感しています。勉強面でも、大学に入学し、上手に電車の移動時間を利用し、単位を取る事ができたのも、部活動だけでなくしっかりと勉強をして成績を取らなくてはならない、という部活動方針の中で身についた力であると確信しています。


高校サッカーを終えて、進路希望を出す時には、もうサッカーは終わりにしようと思っていましたが、やはり、諦めはついておらず何処となくサッカーをする事ができる大学を探していました。

その中で、勉強もサッカーも両立して出来るという所を重視して、この國學院大學に指定校推薦にて、入学することを決めました。



そして、大学入学。きっとここからは長くなります。

初めての練習参加は入学式の数日後。セレクション入部。

同期のみんなが早めに練習参加をしている中で、僕は完全にスタートから出遅れてしまいました。

全員の止める蹴るの能力の高さ、そして何よりも、その日U-22Aの練習にたまたま参加していた田中琢人の上手さに驚いたのが初日の練習参加の印象。

「あー、この中ではやっていけないかもしれない」劣等感に苛まれ、このまま続けていくのか本気で悩みました。

次の日には、セレクション生は半分以下になり、またその次の日には、5人になっていました。練習後にピリつくセレクション生、自主練の時に、みことにシュートみたいなパスをぶつけられて全くボールを触れないとしやを今でも覚えてます。(変わってないね)

結局入部したのは4人、今は1人減ってしまったけど、

真の入部同期です。

やっとの思いで、入部する事はできたけど、問題はまだありました。当時は尖りに尖っていた玉造くん。カテゴリー同じで学部もクラスも同じなのに、まじで一緒に部活に行ってもらえなかった。はぶかれてました。(今は仲良いよ大好き)笑

課題フレンドの輪が形成されたことで、徐々にみんなと仲良くする事ができました。法学部のみんなほんとに仲良くしてくれてありがとうね。けんしろうも。

部活動面でも、たくさん苦労しながら、成長する事ができました。


1年生では、あんなにサッカーをしてて勝てない事はなかったなって今でも思うくらい苦しい苦しいシーズン。そのなかで、最終節の明海戦での勝利は最高に嬉しかったのを今でも覚えてます。


2年生

U-22Aにカテゴリーが上がってプレーするも、シーズン序盤に、足首に怪我を負い、長期離脱。自身が思っていたよりも、足首は限界を迎えており、この怪我をきっかけに、テーピングで足を固めないとサッカーをする事ができないようになってしまいました。怪我とリハビリでシーズンをほとんど終えてしまい、復帰した時にはシーズン終了まであと数試合という所、ここでもまた苦しい時期を過ごしました。復帰後は、U-22Bで初めて松川イズムを体感。次のシーズンからの僕のFWとしての苦悩のキャリアはここから来てるのかなって思います。

3年生

チームとしては結果的に最高のシーズン。自分にとってはすごく悔しくて、自分の力のなさを改めて実感するようなシーズンでした。

シーズン序盤は、敗戦が続き苦しい状況が続きましたが、夏前くらいから徐々に勝てるようになり、とにかくすごい数連勝して、入替戦への参戦権も勝ち取る事ができました。

しかし、個人としては、毎試合毎試合自分に変わって試合に出た宇が点を取り、気がつくとスタメンを取られて、あり得ないくらい得点数も離れてました。心が折れそうになる事もありましたが、それでもチームが勝つ事が嬉しくて、自分の感情を押し殺して、チームに貢献する為にできる事を一生懸命やってました。だからこそ、あのシーズンで1部へ昇格する事ができた事が嬉しくて、昇格戦で勝ったときには思わず涙が出ました。


4年生

いよいよ大学生として、最後の年

就職活動から、6月に復帰して、活動再開。

ボールに触れられる事の嬉しさ、そしてなによりも、就職活動という不安から解放されて、同期のみんなと会えるのが本当に嬉しかった。

U-22Aで復帰させてもらう事ができたが、チームは苦しい状況。4年として自分にやれる事は限られてると割り切ってやってました。去年から出場機会が少なかったし、試合に出れなくても、チームに声をかけ続ける、勝ったらとてつもなく嬉しいし、同期の活躍が何より誇らしかった。でも、4年で試合に出れないのは精神的にきつい部分もありました。そんな時、響がよく話を聞いてくれてました。雨で止まる電車の中で響に試合に出れない苦しさを吐露した事もありました。あの時響が話を聞いてくれたから、試合に出れなくても、チームの為に戦っていく事ができたと思ってる。本当にありがとうね。

夏のオフ明けから怪我人が出た事もあって、スタメンで試合に出る事ができるようになったけど、連勝が遠い。勝って負けてを繰り返していくうちに、徐々に順位を落としていってしまった。

10月13日

本来なら僕たちの引退はこの日でした。しかしながら悪夢のような3連敗で入れ替え戦に突入してしまいました。責任を感じて、何も考えられなかった。正直立ち直るのに結構時間がかかった。

同期のみんなや友人に支えられながら、絶対に勝ってやる。そう思って今日まで取り組んできました。

トップは関東3部優勝・昇格。U-22Bも入替戦に臨み、惜しくも昇格はならなかったものの、みんなの気持ちのこもったプレーには本当に魂が震えました。

次は俺たちの番、絶対残留したい。勝って最高の年で終わらせたい。

たくさんの気持ちが込み上げてくる。

それを具現化する事ができるのは、ピッチの上。

覚悟と責任を持って臨みます。



と、ここまでが、今までの僕のサッカー人生です。

サッカーの事ばかり考えて、熱中できるのもあと1試合。

最高の仲間達と出会えた事に感謝し、最後の試合では魂を込めたプレーをこのブログを読んでいる皆さんに届けられるように必死にやります!


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お世話になった方々へ


中山さん、白須さん

まずは、遅れて入部を希望してきた。僕を部活に入れていただきありがとうございました。ピッチの内外でチームをサポートしていただいて、関東リーグやIリーグで自分達がプレーに専念する事ができる環境を整えていただきありがとうございました。


松くん

松くんには本当に感謝しかありません。今でも忘れない、「今のままじゃお前を使う気はないよ」という厳しい言葉。毎回痛い所を突いてくる松くん。腹が立つ瞬間は何回もありました。でもその発言は確実に的を得ていて、自分自身を見つめ直すきっかけとなり、謙虚でいる事ができました。

ありがたい事に出場機会も多くいただいて、苦しみながらも、試行錯誤してなんとか食らいついていくことができたんじゃないのかなって思ってます。

もっと点をとって松くんに沢山の勝利をプレゼントしたかったです。チームを勝たせられるような選手になれなくて、ごめんなさい。最後絶対勝ちましょう。

育ててくれて、本当にありがとうございました。


正樹くん

正樹くんには1年生と2年生の前期、3年の前期に特にお世話になりました。

たくさん負けて、心が折れそうな時に正樹くんの言葉はとても身に染みました。3年生以降も自分がうまくいってない時にそれを見透かすかのように、言葉をかけていただき、すごく助かってました。本当にありがとうございました。

自分が入学してきた当初、U-22Bが勝つ方が珍しかったのに、今年は入替戦まで行く事ができているのも、まさきくんの熱い想いがあったからこそだと思っています。

今シーズンで指導者を離れてしまいますが、どんな事にも熱く取り組む正樹くん大好きです。本当にありがとうございました。

あと、1年生の時彼女さんと歩いているところ盗撮してすみませんでした。消しときます。


塩さん

フレンドリーでとにかく話しかけやすい国大の太陽みたいな存在でした。

とにかく若くて、人が足りない時には練習に参加して、ボール回しでとてつもない強度で守備をして、がっつりアフターしてきました。でも大好きです。米騒動起こす所も、グラウンドで黄昏てる所も大好きでした。来年からは、舐めた態度を取る後輩はしっかり怒ってください。本当にありがとうございました。

マネージャー

とてつもなく熱い日も、凍えるくらい寒い日、電車が止まるくらい雪が降った日も、活動を支えてくれてありがとう。仕事量も尋常じゃなく、周りから求められることも多くて、とても辛い思いをしたこともあったと思います。嫌な顔一つせず、毎日動いてくれていたこと、心から尊敬してます。本当にありがとう。

後輩たちへ

やかましく、生意気な後輩が多いですが、僕にとっては全員可愛い後輩達です。

とにかくうるさいバンギ、縦パスのトラップとESを要求してくるカク、足の短いドリブラーのぶら下がりうっくん、ピッチ内外格闘家のレイト、かわいこぶって仕事できない縦パスの岡部、怒ると手が出ると噂のマサキ、やる気出せば頼りになるショウタ、期待してるよ!

来年からはTOPは関東2部だし、アンダーもその下のカテゴリーとして、もっと難しい試合が多くなると思います。能力がある人が多いし、絶対にやれると信じてます。ベクトルを自分に向けて、やれる事を一生懸命にやってください。期待してます!悔いを残さないように頑張ってね!


両親へ

まずは、2人とも、ここまで育てて、サッカーを続ける為のサポートをしてくれて本当にありがとう。お陰で、なに不自由なくサッカーをここまで続けてくる事ができました。特に高校を選ぶ時にはもっと楽をさせてあげられる道があったにも関わらず、僕の挑戦を尊重して厳しい道を歩ませてくれました。全国大会に出たり、もっと活躍する姿を見せて恩返しをしたかったのですが、実力不足で叶いませんでした。

これからは沢山親孝行するので、期待しておいてね。

沢山迷惑をかけて、生意気言って、めっちゃ腹立つ事もあったと思います。特に高校の時には、働きながら、朝は早くからお弁当を作り送り迎えしたり、土グラウンドで真っ黒に汚れたワイシャツの襟を綺麗にしてくれました。

寝過ごして最寄りを通り過ぎて、とんでもない所まで迎えに来てくれることもあったね。ほんとごめんなさい。

大学に入っても、家から通って、帰宅時間が遅い時も起きて食事の支度をしてくれて本当にありがとう。母のサポートのおかげでここまでやって来れる事ができました。ほんとにありがとうございました。

とにかく沢山努力しろ。と小さな頃から言い聞かされてきたお陰で、根性だけはつきました。小学校の時には、トイレにイチローの作文を貼ってきたり、セレクションや大事な試合に行く時は「戦いの曲流すぞ」って言ってロッキーのテーマを流したり、やりすぎなくらい、やる気を出させようとしてくれました。

高校・大学では、単身赴任で忙しい中、大事な試合があれば、毎回見にきてくれてありがとう。選手権で全国に出たり、もっと注目されて良い思いをさせてあげたかったけど、期待に応えられるような活躍がなかなかできず、ごめんなさい。何事にも好きなように挑戦して、サッカーを続けてくる事ができたのは間違いなく父のサポートのおかげです。本当にありがとうございました。

兄へ

兄貴の背中を追いかけてサッカーを始めて、もう18年経ちます。とにかく俺の一歩先二歩先をいつも歩いてる兄貴の事をサッカーをしてる時も私生活でもよく付き纏ってました。サッカーに関してはいつも追い抜こう追い抜こうとしてくるアホな弟がいて、生意気な事もやってきて、やりづらかったと思います。とにかく感謝すべき事が多すぎて書けないけど、サッカーでも私生活でも、色んな面で兄貴に支えられてきました。本当にありがとう。たくさん苦労しながらも、自分の道を進んでいく兄貴を心から尊敬してます。最近家出ちゃって会わなくなったけど、たまには帰ってきて遊んでね。

地元の友人達

喜怒哀楽を共に過ごしてくれて本当にありがとう。

苦しい時辛い時には、いつもみんながそばにいて、支えてくれました。

いつも優しくて、野球を教えてくれる、何事にも一生懸命でかっけー奴、

最近人間辞めちゃったけど、面白くて元気がない時には励ましてくれる最高な奴、

小さい頃はライバルで、優しくて、いつもサッカーの話を聞いて、鼓舞してくれる天才な奴。

その他にも、たくさんの友人達の支えのおかげでここまで突っ走ってくる事ができました。本当に皆んなの事が大好きです。これからもよろしくね。




さー、お待たせ同期達!

まずは、遅れて入ってきた俺と仲良くしてくれてありがとう。(たま)

最初はどういう立ち回りをしていいかわかんなくて、若干スカしてたけど、みんなが話しかけてくれるとすっごく嬉しいかった。入学当初は、カテゴリーで壁あるなーとか、グループあるなーって思ってたけど、年を追うごとにどんどんと壁がなくなってとても仲良くなったなって思います。みんな書いてるけど、4年は仲悪いとか、よく言われてたけど、飲みに行けばそこらじゅうで熱い話をして、ハグしてる奴がいて、側から見たら結構グロいけど、それだけ愛が深いんだと思います。

冷めてるようで、実際熱いやつが多くて、熱いやつに呼応するように協力してくれる奴もいるすごく良い学年で、間違いなく、國大史上最強の同期達です。みんな大好きです。

四年の最後、トップもU-22Bも4年がたくさん点取って勝つのはめっちゃ嬉しかったな。ここについては学年会でもまた熱く語ろう。

郁弥とバカみたいに熱くサッカーについて語って、お互いを鼓舞しあった事も、聖にすっごいやりずらい雰囲気作られる事も、たまにいやーな事言ってめっちゃ怒らせた事も、ユースケとたわいもない話で盛り上がれるのも、まーくんのドリブルと得点でこっちが気持ちよくなったのも、哲平のイケメン顔を拝んで幸せな気持ちになるのも、あっきーに課題要求されて怖かった事も、ゆいとのひとりごと聞いて笑う事も、まきのシュート角度を完全に理解した事も、りゅーせーとまがたをゴリラいじりして怒らせた事も、守屋の事を病気いじりしたのも、ゆーまとたくまと野球観戦してユニフォーム買わせた事も

全てが俺にとってかけがえのない思い出です。

思い返せば、まだまだ出てくると思うからここも学年会で…


今年は4年人数が多く、入れ替え戦がかかっている事もあって、Bのメンバーの中には、最後の試合に出れない人やベンチ外の人もいました。きっと想像し難いくらい悔しい思いを持っていたと思います。それを堪えて、チームの為にやるべき事をやっている姿には本当に心を打たれました。

俺はその気持ちも背負ってピッチに立ちます。ピッチに立てなかったみんなの分、俺がきっちり暴れてやりたい、情けないプレーをする事は本当に許されない。みんなの為にも絶対勝って終わります!期待していてくれ!


さて、最後はゆーすけ、ゆいと、まき、俺らの番だね。今年1年たくさん辛い事もあったけど、みんなと一緒だから乗り切る事ができた。最後は絶対勝ってバカ騒いで終わろう!


同期のみんな!出会ってくれて本当にありがとう!愛してるぜ!


⚠️1人1人に愛が深くて、個別メッセージは出せてません。楽しみにしてたみんなごめんね。個人で送るから聞きたい人はLINEお願いします!



ーー挑戦し続ける事ができた理由ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

兄の背を追いかけて始めたサッカー、何を理由でここまで頑張ってきたのか、何がそこまで自分を突き動かしていたのか、

もちろん、自分のサッカーのレベルを上げたい、上手くなりたいという気持ちも、もちろんですが、僕の中では、恩返しをしたいという気持ちが大きかったからです。家族や友人、そしてサッカーを続ける中で出会ってきた、指導者の方や仲間達、そして、そこに関係する人達。自分が上手くなるために選んできた道のなかで、ここまで書いたように、たくさんの人と出会い、支えられてここまで続けてくる事ができました。

サッカーがチームスポーツである事は、もちろん、僕1人ではここまで挑戦をし続けることはできませんでした。

「出会った人や支えてくれた人に結果で恩返しをしたい。」

いつしか、その気持ちが僕の1番の「原動力」となり、僕の挑戦の背中をいつも押してくれていたのです。

周りの環境に恵まれ、たくさんの人に支えられて「櫻井蓮斗」という人間のサッカー人生は成り立ちました。

本当に素晴らしいサッカー人生でした。

サッカーに出会った事、そして、それを介して出会った全ての方々に感謝します。

長くなりましたが、ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございました。

ありがとうサッカー⚽️

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以上蓮斗くんのブログでした!

「走る」

この言葉こそ、蓮斗くんを象徴するものだと思います。常に全力を尽くし、何度でもチームのために走り続けます。その姿は攻守にわたり、相手に絶え間なく圧力をかけ続け、見る人々に強い印象を残します。また、U-22Aの前線で躍動する蓮斗くんは頼もしく、まさに「稲妻」のようです。

しかし、蓮斗くんの魅力は、そのプレーだけに留まりません。蓮斗くんの周りにはいつも笑顔が絶えず、年齢やカテゴリーの枠を超えて積極的にコミュニケーションを取り、チーム全体を明るくしてくれます。また、蓮斗くんはとても視野が広く、後輩たちにも気にかけてくれます。よく奢ってくれるそうです(笑)実際に「蓮斗くんは本当に気にかけてくれる」「蓮斗くんについていきたい」という後輩の声が多く寄せられています。私を含め、蓮斗くんの優しさに救われた人は少なくありません。

特に印象的だったのは、今季の日体大戦です。この試合で蓮斗くんは、果敢に前線からプレッシャーをかけ、ボールを奪い、魂のこもった3得点を挙げました。その活躍は今も鮮明に記憶に残り、私の日々の励みとなっています。

これからも、蓮斗くんのさらなる成長と活躍を心から応援しています。
そして明日の最終節、蓮斗くん持ち前の熱い戦いを楽しみにしております。

最後に、麻生哲平くんとある同期の方からメッセージを預かっているので掲載し締めたいと思います。

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たくさん一緒に授業を受けて、課題もたくさん教えていただき、本当にお世話になりました。
サッカー面では、守備的FWという珍しいプレースタイルの持ち主。
チームのために献身的に前線で追いかけ回す姿に心を打たれます。
少しの期間だったけど、一緒にプレーできた時は最高に楽しかった。
れんと大好きだよ〜〜。
明日の試合、ゴール期待してます!!

哲平
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課題くんありがとう
明日頑張ろう
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最後までご覧いただきありがとうございました!
次回もお楽しみに!




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