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2024年4年生ブログNo.19

こんにちは!
本日は4年生ブログ第19弾!
麻生哲平(あそう てっぺい)くんのブログをお届けします。
それではスタート!

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4年 麻生 哲平(あそう てっぺい/FW/昌平高校/法学部)

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男三兄弟の末っ子、生粋のAB型、どうも麻生哲平です。

高校時代の頭髪検査の反動で髪を伸ばし、ライオンヘアーで入学してから、気づけばもう引退間近。
早いものですね。
見た目も、心も大人になったのでしょうか。

サッカー歴も今年で20年目になります。
そんな人生の大半を占めるサッカーを通じて、どのようにして今の「麻生哲平」が出来上がったのか。

どうぞご覧ください。

気づいたら2歳からボールを蹴っていた。おそらく兄の影響だろう。幼少期から兄が一番のライバルとしてサッカーに励んできた。

小学生の頃は、若松エルフSCという地元の少年団でプレーした。自分の代はなかなかいいメンツが集まり、小3(俺の全盛期)の頃には千葉県で2位になったり、地元の少年団にしては強かった。

チームでは王様だったため、味方に文句を言いまくり、当時コーチだった父からは数え切れないくらい怒られた。
まさに、お山の大将だった。
そして、当時の俺は誰よりもサッカーが上手いと思っていた。

ちなみに、小学生最後の試合は悠佑と対戦し、完敗した。閉会式で俺が大泣きしていたことを未だにイジってくる。

中学になり、環境がガラッと変わった。
セレクションで合格したジェフユナイテッド千葉に入団した。そこで悠佑ともチームメイトになった。
同期の中にはナショトレでやっていたり、全国大会に出ていたり、県大会止まりの俺からしたら別世界だった。

天狗の鼻はへし折られ、人生初めての挫折を経験した。

中学入学時は身長が145cmと、周りと比べて成長も遅かった。試合に出れないということが、これまでに味わったことのない屈辱だった。何より、試合に出れてない姿を親に見られるのがとにかく恥ずかしかった。
入るチームを間違えたと弱音を吐いたり、泣きながらサイドバックをやったりもした。

自分のサッカー人生を振り返ると、この挫折の経験は大きかったと思う。

学年が上がるにつれ、身体も周りに追いついてきた。
そして、素晴らしい指導者、意識高いチームメイトのおかげで、日に日にサッカーが上手くなっていることを実感し、試合にも出れるようになった。
細かな技術、さまざまな戦術、サッカーへの意識、多くのことを学んだ。
俺の得意技でもある腕ブロ、足ブロもこの中学3年間で身に付いた。

だが、中学3年間はチームとしても、個人としても全く結果を出せずに終わった。

思春期真っ只中で迎えたユース昇格の面談で、「保留」を言い渡され、その時点で高校サッカーの道を選択した。

とにかく強豪校に行きたい、厳しい環境に身を置きたいと、当時の監督にも相談し、候補の一つにあった昌平高校に入学した。

高校3年間は親元を離れ、埼玉のド田舎で寮生活をした。

特待生として入学したこともあり、すぐにトップチームに行けると思っていたが、現実はそう甘くなかった。

入学前からトップチームで試合に出ている同期もいる中で、一年間Bチームにすら上がれなかった。

それでも、同じ目標に向かう仲間でありライバルとして、切磋琢磨した同期の存在が大きかった。毎日が競争で、刺激的で、そんな日々が楽しくて充実感に満ち溢れていた。

一切恋愛もせず、毎日22時には布団に入り、がさつな同部屋と仲が悪くなるくらい必死だった。
ただ目標を達成するために。

そんな中、Bチームで得点を量産し、何とか監督に認めてもらい高校2年の選手権からトップチームに上がることができた。

その時、いかに「結果」が重要かを学んだ。

トップに上がってからは、ベンチから試合を眺める日々が続いた。自我を殺してサイドバックもやった。

上手くなりたい、試合に出たいよりも、トップに生き残ることだけを考えるようになった。
その頃から、到底サッカーを楽しんでいるとは言えなかった。
練習の独特の緊張感、監督からの異常な圧、グラウンドに行くと吐き気に襲われる時期もあった。

いつしかプロを目指すこともやめてしまった。

親には寮生活もさせてもらい、多くのサポートをしてもらっていたため、どんなに辛かろうが、高校3年間は絶対にやり切ると決めていた。腐っていく同期もいた中で、そこの軸はブレなかった。

試合に出たらやれる自信もあった。
でも、結果が全ての世界。試合に出ているやつが正義。
そんなもどかしさもあった。
俺はレギュラー争いに負けた。
現実を受け入れて、ただやるしかなかった。

同期から4人Jリーガーが出たこともあり、高校トップレベルの環境でやってきたからこそ、個人のレベルとしてはかなり成長を感じていた。
「他の高校だったら絶対試合出れてるやん。」とも思っていた。

思い描いていた高校サッカーにはならなかったが、両親の前で埼スタのピッチを踏んだ時、全国大会でスタジアムの電光掲示板に自分の名前が載った時、少しは喜ばせることができたかな。

多くの困難を乗り越えたからこそ、胸を張ってやり切ったと言える3年間だった。
この高校を選んだことに間違いはなかった。

進路選択の際、高校で燃え尽きたこともあり、サッカーをやめる選択肢も考えた。

三者面談の時に、普段は「自分で決めな〜」って感じの父が、「今やめたら絶対やりたくなると思うよ」って言ってくれたのが続ける決断の一つきっかけになった。
サッカー続けて良かったよ。ありがとう。

なぜ、この大学を選んだかというと、「ちょうどよかった」からだ。

キャンパスはあの眠らない街渋谷にあり、サッカー部は走りがないし、設備も整っている。
本気でプロを目指しているわけでもない自分からしたら、ベストな環境だった。

なぜか練習参加では決まらず、少しムカついたが、セレクションを受けた。一発勝負には自信があるので、今までで一番と言えるほどの活躍をし、スポーツ推薦の枠を勝ち取ることができた。

同じチームには助っ人として哲太がいて、やったことのないCBで体を張って、高身長ハーフFWを押さえ込んでくれた。この大学に入学できたのは哲太のおかげかな。ありがとう。

この大学なら100%試合に出れるという確信を持って入学した。

1年生から試合に出させてもらい、個人的に結果も残せていた。試合に出ることの楽しさや緊張感、応援される立場になることで、どこか自信を取り戻していた。
そして、気づいたらまたサッカーに夢中になっていた。

練習で削りあったり、紅白戦で先輩と喧嘩したり、当時の自分は良くも悪くもギラついていた。

2度関東2部昇格のチャンスを逃し、毎日同じことの繰り返しの日々の中で、「プロになるわけでもないのに、何のためにサッカーをしているのだろう。」と考えることが多くなった。

サッカーに対するモチベーションが徐々になくなり、グラウンドには一番最後に来て、一番最初に帰るようになった。その日の気分によって練習に取り組む姿勢も変わっていた。試合にも出れて、ある程度結果を残せている現状に満足している自分がいた。

完全に目的意識を失っていた。

高校とは違ってある程度自由がある環境を選んだのに、どこか刺激を求めている自分がいたのかもしれない。
ないものねだりですね。

色々あって、少し部活を休んだ時期があった。
本来自分が出ているはずのポジションに他の選手が出ていたり、誰かが活躍していたりするのを見ると、なんか悔しくて、やっぱりやりたくなった。

そんなこんなで、またサッカー漬けの日々に戻った。

一度だけ、プロの練習試合に参加する機会をもらった。
プロフェッショナルを肌で感じ、久しぶりに燃えた。
そして何より楽しかった。やれる手応えもあった。
そこでまた俺の心に火がついた。

そこから日々の練習への意識が変わった。
その日から今日まで手を抜いた日はない。
筋トレにも目覚め、食事にもより気を使うようになった。

就活の時期に入り、本当にサッカーをやめるのか、正直悩んだ。
関東一部と対戦してもプロ相手でも、やれる手応えを感じてしまう。
自分は格上とやるとなおさら燃えるタイプで、ワクワクする。そして、負ける気もしない。
もちろん、プロの世界がどれだけ厳しいかも分かっているつもりだ。

家族からも「どっからそんな自信出てくるの?」とか「いい育て方したな〜」とか「アスリートが1番向いてんじゃない?」とか、色々言われる。
強がってるとかではなくて、本当なんだもん。

この「根拠のない自信」はどこからくるのだろう。自分でも分からない。

大学4年生、この1年間はサッカーを続けるにしても、やめるにしても勝負の年だった。
こう見えて現実派な自分はサッカー一本に絞る勇気はなかった。
どのカテゴリーまでのオファーならサッカーを続けるか、という基準を定め、とにかく、何事も悔いを残さないように、就活もサッカーも全力でやろうと決めた。

そして、サッカー人生ラストシーズンになってもいいように、覚悟を持って臨んだ一年だった。

就活で練習に出られない日もあり、休んだ次の日にいきなり50m走の測定でフルダッシュをしてしまい、人生初めての肉離れを起こした。
リーグ開幕直前で怪我をし、少し遅れたスタートになった。
子供の運動会でお父さんがいきなり走って肉離れをする、あの現象と同じだ。世のお父さんの気持ちが分かった。

最後の年だから、怪我も完治しないまま復帰した。
(今は治ってます、星野さん。)

一つの事しか集中できない性格なので、それが顕著に結果に現れた。
リーグ前半戦は1点も取る事ができていなかったが、就活が終わった途端、得点を取り始めた。
本当にわかりやすい奴だ。

そこから運良く得点を重ね、現在得点ランキングトップに立っている。

そして、チームも熾烈な優勝争いを繰り広げ、関東2部昇格を間近にしている。

何も成し遂げてないこの大学生活で、自分たちの代で回ってきた最後のチャンス。

優勝しよう。2部昇格しよう。
得点王取ります。取らせてください。
有終の美を飾ろう。

トップだけでなく、全カテゴリー笑って終わりましょう。

この間、明治神宮に必勝祈願をしに行ったので絶対大丈夫です!

最後の年にして、こんなに結果を残せている。
最後の年だから、なのか。
サッカーの神様がやめるなと言っているのか。
いい状態で終わる方が幸せか。
自分のゴールでチームを勝たせるあの快感をもう味わうことができないのか。
色々考えてしまう。
現状オファーがないということは、そういうことだ。
このままサッカーをやめても悔いはない。

自分がここまでサッカーに本気になれたのは、ただ目の前の相手に負けたくないからだ。
練習だろうが、自分より活躍しているやつがいると納得いかない。サッカーに関しては自分が一番じゃないと気が済まない。
サッカーになると人格が変わってしまうのも、負けたくないからだ。それほど「勝ち」にこだわってきた。
この「負けん気」こそ、「麻生哲平」なのだ。

今までは全て自分のためにサッカーをしてきた。
しかし、この1年間でそれが変わった気がする。

声を枯らすまで応援してくれる仲間がいて、試合を見に来てくれる家族や友達がいて、自分のゴールを喜んでくれるチームメイトがいる。

前よりは、誰かのために、チームのために戦えるようになったのだと思う。
全然走らないし、守備もサボっていたあの俺が。
我ながら成長を感じる。

自分を変えてくれたみんなには感謝したい。
そんな人たちのためにも、勝つ。点を取る。

そして、サッカー人生も残すところあと2試合。
みんなの応援が本当に励みになっています。
死ぬ気で戦うので、また熱い応援よろしくお願いします。
点決めるので、そっちも準備しといてください。

先輩方へ
周りから、来年哲平大丈夫?って心配されるくらい先輩っ子でしたが、安心してください。素晴らしい仲間のおかげで充実した日々を過ごしています。
めっちゃ名前出して欲しそうだったから書くけど、蒼太。この大学生活でー緒にいる時間が一番長かったかな。一度も先輩とは思ったことないけど、本当にお世話になりました。引退したらまたたくさん遊んでね。

同期へ
社会不適合者だの、サボりキャラだの、集まりに来ないキャラだの、散々言われたこともあったけど、結局みんな大好きです。
同期のみんながいたから4年間続けることができたし、最後までサッカーを楽しむことができました。
学年会でまた熱いハグしましょう。
引退したらたくさん飲みに行こうね。

そして、これからもサッカーを続けるであろう眞方、翔紀、琢人、聖。頑張れ!応援してる。

法学部のみんなへ
君たちがいなければ、私は確実に卒業できていないと思います。特に、真面目で優秀な方々。人任せなやつが多くて大変だったと思いますが、いつも優しく丁寧にご指導してくださりありがとうございました。
本当にお世話になりました。

マネージャーの方々へ
夏の暑い日も、雨が降っている日も、どんな時でもサポートしていただきありがとうございます。色々大変だったとは思いますが、本当に頼りになりました。

白須さん
生意気な自分を息子のように可愛がってくれてありがとうございます。2年時のアウェー東農戦で大喧嘩して、普段全然怒らない白須さんが鬼のような顔になっていたこと忘れません。朝練の時、何度も腹痛下車で遅刻してすみませんでした。

中山さん
まず、この大学に入れてくれてありがとうございます。
試合前、中山さんが声をかけてくれるおかげで、いい気持ちで試合に臨めてます。今年こそは昇格させます。

松くん
選手時代、りょうへいとやり合ってたのが今でも面白いです。約2年、松くんのもとで戦えたことを誇りに思います。必ず優勝しましょう。

まさきくん
挨拶をする度に、いつもだる絡みありがとうございます。(嬉しいです)
結局一番かまちょなのは、まさき君だと思います。

塩さん
熱い男ですね。練習で1番強度高いと思います。
ストレッチは入念にしてくださいね。またサッカーしましょう。

母へ
父が海外赴任になってから、家では2人で過ごすことが多くなりましたね。
千葉という田舎から片道2時間かけて通っていた中で、
朝早い時でもおにぎりを握ってくれて、夜遅い日でも栄養満点のご飯を作ってくれてありがとう。
試合前は特にルーティンが多くてめんどくさかっただろうけど、本当に支えになりました。
毎試合後にLINEをくれる父もありがとうね。

最後に家族へ
何ひとつ不自由なく、いい男に育ててくれた両親、いつまでも俺を子供扱いしてくる長男、常にライバル視してくる次男。家族の支えがなければ、こんなにも幸せなサッカー人生を送ることはできませんでした。
本当に感謝しています。
家族揃って試合も見に来てくれてありがとう。
自覚はあまりないですが、甘やかされてきた分こっから返していこうと思います。
最後の試合、ヒーローになる姿を目に焼き付けに来てください。

この先、サッカーほど自分を熱くさせるものはないかもしれない。
しかし、何事もいつか終わりが来るものです。

大嫌いな走りとも、鍛え上げられた下半身とも、これでおさらばです。

第2の人生、前を向いて歩んでいきます!

サッカーを通じて関わってくれた全ての人に感謝します。
人に恵まれたサッカー人生だった。
ありがとうサッカー。

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以上哲平くんのブログでした!

哲平くんは、チームのみんなのことをよく見ていて、気遣いや思いやりに溢れる素敵な方です。

後輩である私たちにも必ず挨拶をして下さり、そのさりげない優しさがとても嬉しかったのを覚えています。

そして、誰もが認める国宝級イケメンで、蹴球部の顔ともいえる存在です(笑)。

なんでもそつなくこなす哲平くんは一見クールな印象を受けますが、実はサッカーに対して誰よりも熱い情熱を持っており、ひたむきに努力する姿が印象的な選手です。

ものすごく優しいですが時には厳しくメリハリがあり、後輩や同期から厚い信頼と尊敬が寄せられています。

哲平くんは、エースプレイヤーとしてピッチ上で活躍するだけでなく、ピッチ外でもみんなに憧れられる素敵な人柄の持ち主です。

1年生の時から、チームを背負うプレッシャーと戦い続けてきたことと思いますが、哲平くんのように常に高い志を持ち続け、チームのために尽力してくれる存在は蹴球部にとってかけがえのないものです。

残り2試合、哲平くんのご活躍を楽しみにしております!

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最後までご覧いただきありがとうございました!
次回もお楽しみに!

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