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2024年4年生ブログNo.20

こんにちは!
本日は小久保響(こくぼ きょう)くんのブログをお届けします。
それではスタート!

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4年 小久保 響(こくぼきょう/FW/JFAアカデミー福島/人間開発学部)

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皆さんこんにちは。人間開発学部4年小久保響です。

サッカーを始めて今年で19年目。

引退の実感が湧いてこない為か何を書けばいいかわかりません。

19年のサッカー人生を振り返るとともに感謝の気持ちを綴りたいと思います。

拙い文章ですが、最後まで読んで頂けると幸いです。

小学生から振り返りたく、各年代多く書き、1万文字を超えたため、関わったくれた年代だけでも見てくださると嬉しいです。


「結果に拘る」

サッカー経験者の父と2歳年上の兄の影響で、3歳からサッカーを始めた。

初めは何をやってもうまくいき、日が暮れるまでサッカーに熱中する日々を過ごした。


私の所属していたシルフィードFCは、小学4年から育成チームが結成される。愛知では小学4年のチビリンピックから本格的な公式戦が始まるからだ。愛知県内各地域から15人に選抜される試験だったが、難なく合格できた。憧れの先輩が育成チームで真剣にサッカーに打ち込んでいる姿を見ていた為、早く自分も真剣勝負の中で力を試したい気持ちでいっぱいだった。


初めの練習試合で誰が主将を務めるかとなった時、1番に志願した。理由は単純で、チームのリーダーってカッコいいから。勝負に勝つ為に先頭に立ち、仲間を鼓舞して、チームを勝たせる。このブレない軸を持ち、3年間結果に拘り続けた。


練習から喧嘩をしたり、親達からは熱血指導が入り、どこのチームよりも強度の高い練習をする。熱い親、熱い監督。熱い選手が集い、お互いがライバルとして凌ぎを削り、切磋琢磨しながら日々を過ごした。


全ては勝つ為に。何としても勝ちたいから。

負けず嫌いの性格を全面に出し、自分達を信じ続けたことで、全日愛知県大会優勝、夢の全国大会出場を手にすることができた。


グランパスやフェルボールといった格上の相手に対しても、屈することなく、自分達のサッカー、チーム力、一体感を持って、闘い続けた結果だと思う。


時には厳しい事を仲間にも言い、誰よりもチームのために走り闘った中で勝ち取った、全国への切符は、一生忘れることがない私の人生の財産になった。


振り返ると仲間、家族、指導者に恵まれてサッカーができていたんだと思う。斉藤コーチをはじめ、共に闘った仲間、家族に感謝したいと思います。


自分の思い通りにいった3年間、でも全国では勝てなかった。進路選択の時、自分の中で欲が出たのか、愛知県優勝だけでは満足できず、もっと上を目指したい。成長した姿でもう一度全国に出て、自分の力を試したい。そんな思いから、4次選考を突破し、JFAアカデミー福島に入団した。詳しく知らなかったが、ここが一番サッカーに打ち込めて、また全国で真剣勝負ができる環境だと思ったからだ。


中学1年から親元を離れてサッカーをする決断。親の立場からすれば様々な不安や葛藤があったと思います。ですが、自分の意思を尊重してくれて、送り出してくれた事、本当に感謝しています。当時自分の中では、親元を離れて、サッカーをすることに何も抵抗感はありませんでした。しかし今振り返ると、私生活含めて1人で戦いにいく難しさ、大変さを理解することができます。この挑戦的な選択が私の人生の転機になりました。




半月板を損傷していたこともあり、4月はリハビリを行い、5月にみんなから少し遅れて練習に参加した。

練習着からユニフォーム、バック、スパイクまで全て支給品。選ばれた環境でサッカーができる喜びと、全国で闘った奴や、全日得点王、素人だけどハーフでポテンシャルすごい奴、新しい仲間とサッカーができる喜びを噛み締めていた。


しかし、慣れない土地、慣れない環境、新しい学校、新しい仲間、共に生活する先輩達。何もかもが新しく、気持ちが昂っていたと同時に、怖い高校生の先輩方やライバルである仲間と寮生活。負けず嫌いな性格から、寮に帰っても、サッカーでも喧嘩して、気持ちが休まらないまま生活を続けていた。


何もかも上手くいっていたサッカーだったが、ここで初めて挫折を経験した。

チーム内の競争に勝ちきれず、スタメン出場ができない。主将としてチームを引っ張っていき、チームの勝利のために戦ってきた私だが、試合すら出れない。余りに大きな境遇の変化に気持ちが追いつかなかった。


そのせいからか、自分の限界を越えるようなプレーをして、怪我が多くなった。気持ちだけは負けていなかったから、歯を食いしばって練習についていくのが必死だった。


今まで何も挫折をしてこなかった私は、自分のことを天才だと思っていたため、人より練習することが嫌いだった。下手だから練習してるんでしょ。そんなくらいに思っていた。要らないプライドってやつがあった。


だけど、自分より下手くそだった奴が、朝5:00に毎日起きて自主練に励んでいる。たまたま仲良くなったこともあり、私はそいつの愚直に努力する真っ直ぐな姿勢に看過され、スタメン出場できない屈辱を払拭するために、初めて主体的に朝練に励んだ。この頃は練習でアピールするために1日を過ごし、四六時中サッカーの事を考えていた。今までは、練習や試合で我武者羅にプレーしていれば、結果を出せていたが、自分の弱い部分と向き合う事、評価されなくても、根気強く頑張ることに本気で取り組んだ。1人では出来なかったと思う。やはり仲間がいたから朝早い自主練も頑張れた。感謝しています。


その成果もあり7.8月で東海リーグに絡めるようになり、9月には右サイドバックとしてスタメンを勝ち取ることができた。元々、中盤で守備的MFとしてプレーしていたため、守備には自信があった。やったことが無く脇役で地味なイメージがあるポジションは不本意であったが、監督に対人面で評価を受け、自分の適正ポジションを客観視し、「対人では誰にも負けない」を武器として頑張る事を決めた。


中学2年では個人目標としていた後期ナショナルトレセンにも選ばれ、段階的にステップアップしている実感があった。しかし、同期では世代別の日本代表、エリートプログラムに数人参加しており、別格な存在として輝きを放っていたため、チーム内に自分より上の存在がいる事が悔しくて、納得できずに過ごしていたと思う。


中学3年では夏冬全国大会に出場することができた。小学時代のチームと異なり全国大会出場は当たり前のチームだった為、小学時代の全国大会と違う緊張感でプレーした。

夏は決勝トーナメント1回戦負け。

冬はベスト16で関西1位の永川率いるヴィセル神戸と闘い1-3で負け。

何人か違う道を進むことが決まっていたため、負けたらこのメンバーで戦う最後の冬の大会。

夏の大会から成長し、優勝を目指した中での敗戦。人生で1番悔しく、1番涙を流したと思う。

今振り返ると良いチームだったと思う。


夏の大会以降から、チームではウイング起用の奴が、サイドバックで代表に入ってしまい、同時期に私が足指の骨折をしてしまい戦線離脱。チームでもサイドバック起用が増えポジションを失っていた。冬の大会は途中出場で出場していたため、個人としてはこの頃からスタメン出場ができなくなっていた。




高校は中高一貫ということもあり、そのままエスカレーターでユースに上がった。

高校からは学年でチームを組むのでは無く、トップとセカンドに分かれプレーする。


高校3年間はサッカー人生2度目の挫折を経験した。試合に全く出られない。高校1年ではBチームで公式戦1試合しかスタメン出場出来なかった。しかも最後の1試合。お情けで試合に出させてもらったようなものだった。


1個上の先輩達の代が全国2位の世代ということもあり、中々先輩の壁を打ち破ることが出来なかった。客観視しても、プレースタイルが似ている同ポジションの先輩だったため、勝てる気がしなかった。


1年試合に出れなくなると、今まであった自信がなくなっていき、初めてネガティヴな感情で、自分の中で負けを認めていた。自信のなさはプレーにも出て、ビルドアップでは自分の所でボールが止まってしまう感覚に陥り、周りからは強い要求を浴び、いつしかサッカーがするのが怖くなっていた。


中学では、学校の友達でサッカーから離れられる時間があったが、高校では学校もサッカーも全て同じ面子。悔しさはあるけど、そんな仲間と一緒に生活しないといけない。自分の中で気持ちの整理がつかずに生活を送っていた。精神的に1番きつかったと思う。


怪我も多く何度も足首を捻挫した。高校生に上がり筋トレが始まり、筋力がつき、練習の強度が上がったためか。スタメン勝ち取れず焦って無理して身体を張ったせいか。精神的にも肉体的にも負の連鎖の繰り返しだった。


人生で1番の挫折だが、そんな時でもいつかは絶対勝ってやるという気持ちだけは持っていた。負け惜しみや言い訳をする奴が大嫌いな性格なため、結果で証明するために、絶対に自分には負けなかった。どん底まで落ちた自分は、コツコツ毎日自分に出来ることを積み重ねるしかなかった。


サイドバックとして、対人で負けないためにフィジカル能力を高めようと考えた私は、愚直に筋トレに向き合った。また怪我が人一倍多いのであれば、練習前の準備を人よりも多くしなくてはならないと考え、足首の補強や柔軟性を高める事、自分の身体と向き合う時間を大切にした。


環境は整っていたため、食事管理で身体に必要な栄養素を計算して、毎日の食事にも拘った。馬鹿真面目に愚直に誠実に自分と向き合い続けた日々を送った。


努力する姿勢は良かったが、客観視すると馬鹿正直で馬鹿真面目に取り組みすぎていて、バランスや要領が悪かったなと思う。

 

高校2年ではBチームでスタメンを勝ちとり、試合に出場するなど、一定の成果は出せた。


しかし小学、中学と全国で戦ってきた私はやはり満足出来ていなかった。Bで活躍してトップに上がることを目標に頑張っていた。


そんな中、高校2年の秋、公式戦でアシストを記録して、調子が良かった日に、左膝膝蓋骨骨折をしてしまった。膝がぶつかった瞬間は、よくわからなかったが、自分の膝を見ると膝の形が変形しているのが分かり、終わったなと思った。悔しくて悔しくて涙が止まらなかったのを覚えている。


そこから1年間のリハビリを頑張ったと同時に、進路も考えた。将来の就職のことも考え、サッカーも勉強も高いレベルで両立したいと考え、AO入試で國學院大学に進学した。

サッカーでは、このまま何も結果を出せず終わったら一生後悔すると思い、当時都リーグの上位で、自分のレベルとしても妥当だと思い選択した。




1年間のリハビリを経て、久しぶりにサッカーを出来る喜びを噛み締めていた時期に、高校サッカーを引退したため、早くサッカーがしたく、白須さんに12月にお会いして早めに練習参加をお願いすることができ、高校3年の2月に光瑠と1番早く練習参加した。


国大での練習は6年間同じチームメイトと練習してきていたため、新しい仲間、環境で新鮮だった。大学1年からアンダーAでプレーした。


シーズン初めから、国大初のアイリーグ1部昇格を目標に日々の練習を積み重ねた。「相手を最後まで見て、プレーを選択する」ポゼッションサッカーを試行し、一度でボールを止めて最後の最後で判断を変える力が求められた。


振り返ると懐かしい、フロンターレ式で止めて蹴るの基礎練習。鳥かごでは、止めて蹴るの基礎、状況判断力、遠い足で必ず止める事、ボールを持っていない選手のサポート。


中でも、毎回の練習、ワンプレーに拘ること、全カテゴリーの中で一番良いサッカーをすること、俺ら上に行くんだろ、調子悪くても声は出せるし走ることできる。といった言葉。


松くんの、圧倒的なリーダーシップと勝負にかける想い、言葉、情熱が心に響き、本気でこの人のためにプレーしたい、この人と共に昇格したい。こんな気持ちでプレーすることができていた。


恐らくこれは私だけではなく、この時共に戦った全員が思っていたことだと思う。そのぐらい一体感があり、サッカーに熱中することができた。


個人としても見違えるほどの成長を実感できた。個人目標としていたスタメン獲得を勝ち取ることができ、シーズン初めのトップチームの練習には歯が立たなかったが、シーズン終了後は、自信を持ってプレーすることができるまで成長した。


松くんからは、練習に向かう姿勢やチームが勝つために声を出すこと、対人の守備を評価して頂き、自分が頑張っていることを認めてられた感覚が何よりも嬉しかった。


結果に拘り、練習から喧嘩や言い合い、その週で良かった奴が試合に出れる競争意識、この真剣さ熱量が、何か私の小学校時代の勝てる組織、集団に似ていて國學院大學のBチームの誇りを持ってプレーすることができた。


皆が成長に貪欲でチームのために走ることができ、昇格させるというベクトルを合わせ繋がることができた。結果は2位で自動昇格することはできなかったけど、抽選という形で昇格し結果を出すことができた。




大学2年、合宿やプレシーズンで結果を出せず、アンダーAでプレーすることになった。

初めてのアイリーグ関東1部への挑戦だったが、開幕前から肉離れや捻挫をしてしまい、中々試合に出場することができなかった。チームも思うように結果が出せず、シーズン通して苦しい時間が続いた。


正樹くんとは、勝つためにチーム内で起きている不満やベクトルが定まっていないこと、戦術面での方針、練習に対しての意見など、対話を重ねさせてもらった。自分のチームに対する思いや現状を何としても打破したい想いを赤裸々に伝え、一人の選手の意見を受け止めてくださり、感謝しています。


うまくいかなくなった時にその人の本性が出る。


他人にベクトルを向けるのではなく、自分にベクトルを向けて、個人としてもチームとしてもうまくいかない中で、自分のできることを地道に取り組んだ。


結果は、シーズンで4勝しかすることができず、1年でアイリーグ2部降格となってしまった。あれだけ頑張って昇格させたのに、1年で降格させてしまった結果に責任を感じた。




大学3年、4年生が就活で抜けていたこともあり、チームを引っ張る存在となった学年。

この年も合宿まではトップチームに帯同していたが、結果を残せずアンダーAでプレーした。


昨年1年で降格させてしまったため、1部復帰を使命として練習に励んだ。


負け癖のあるチームから勝ち続ける集団に変える、シーズン初めのスタートダッシュが肝心だと思い、熱量を大切にして取り組んだ。


そんな思いをもって取り組みたいことを正樹くんにも伝えると、その情熱を買われ主将を任せてもらうことになった。


トップから共に落ちてきた副主将の渋谷と悠佑にも、今年1年にかける思いを伝え、強い覚悟と責任を持ってシーズンが始まった。


開幕戦は1-5。気持ちを入れて頑張ってきただけに受け入れがたい結果だった。

開幕7戦4勝3敗でなかなか勝てない。

そんな中、監督も松くんに変わり、同時期に怪我。


主将も2人体制になり、三好が主将、自分が副将のような形で進んでいった。。


怪我明けで数試合に絡むことはできたが、昇格戦でスタメンをとりかえすことができず、最終的には屈辱のアップ隊長をやっていた。


主将の立場である以上、自分が試合に出られなくても、チームが勝つための言動、行動が求められる。自分のできることを探し、悔しい気持ちを押し殺して、チームのために行動した。


昇格戦を勝ち、チーム目標だった1部昇格を達成することができ、頑張ってきて良かったと思ったと同時に、やはり試合に出て昇格をつかみ取りたかったと悔しい気持ちでシーズンを終えた。




そして大学4年、3月の1か月間就職活動で休みを頂いたが、それ以降は部活との両立を頑張った。


中々就活が思うように進まず、サッカーに集中できていなかったこともあり、今シーズンも捻挫や肉離れを繰り返してしまった。


実際アンダーAで試合に出たのは3試合。進路も決まり、正直なぜサッカーをやっているのかわからなくなる時期もあった。


それでも、関東2部昇格に向けて頑張っている同期、進路が決まらない中でも、プロを目指して奮闘し続ける同期、サッカーではないが新たな目標を持ち資格勉強に励む同期、アイリーグ1部残留に向けて、強い使命感を持ち頑張っている同期、いつも仲間のためを思って応援し続ける同期、そんな何か一生懸命に頑張っている同期の姿をみて、今年は頑張ってきた。


怪我の影響で引退が早いアンダーAで試合に出ることはできないため、試合に出て引退したい想いからアンダーBでプレーする選択をした。


感謝の気持ちとして國大サッカー部に自分が何を残せるかと考えたときに、4年間所属したアンダーAで残留に貢献することが、恩返しかとも思ったが、自分が試合に出て引退したいという素直な気持ちを優先させた。


またアンダーBが残り4試合全勝すれば昇格戦にいけることもあり、カテゴリーは違うが、同じ國大サッカー部への恩返しができるチャンスがあることもモチベーションになった。


さらに、アンダーBは4年生が多く、一人一人がチームに愛情を持ち、立ち振舞いができる組織であると、自分が初めて練習参加した時に感じることができた。


アウェイ東国戦で3か月ぶりに試合出場した時に、ベンチ内外から応援してくれる声に心が熱くなった。


人を想って行動できる集団、サッカーだけでなく見習う部分が多いと感じることもできた。特に郁也が想いを発信できる力を持っていて、その情熱に引っ張られ、頑張ってこれた。


他にも、一人ひとりが違う個性違う良さを持っていて、一人一人の良さ、力をチームのために捧げることができたら絶対に昇格できると思う。


松くんがよく言う言葉だけど、全員が必要で全員の力が試されると思う。


それぞれの頑張り方で互いの良さを尊重し、ベクトルを合わせ一枚岩になって戦う。


明海戦、東国戦、亜細亜戦、自分たちを信じてやり続けた結果が出せたと思う。


去年、私は昇格戦に出ることができなくても、一生懸命声を出し、自分の役割に誇りを持ち、悔しかったけどチームのために行動した。


そんな経験もあるからこそ、1年ぶりに昇格戦に出場してプレーでチームを勝たせる時が来たと思っている。


出れない選手、出れる選手と分かれるが、勝負の世界。


残酷さは知っているが、出れない選手の気持ちも背負って闘う強い責任を持ち、結果に拘り闘う。


最高の応援待ってるし、勝って笑顔で引退したい。


小久保響の19年のサッカー人生のすべてをかけて闘うことを誓う。




同期へ

普段仲間と和気あいあいとすることや、群れるようなことはあまり得意では無く、面白くはなかったと思います。そんな自分を受け入れてくれて感謝の気持ちでいっぱいです。学年会の時は感情や愛情を爆発させるので、引退しても学年会やろう!

これからも仲良くしてください!


特に龍世、遼、眞方にはお世話になった。声がでかく、情緒不安的で、腹減った時は機嫌が悪く、面倒くさい性格な俺と仲良くしてくれてありがとう。これからも仲良くしてください。



アンダーA

特に悠佑、結人とは1番長くプレーし、今年1年一緒にチームを引っ張る立場としてお世話になった。

自分が声を出すとか、チームを引っ張るとか、自分の役割を果たすことができていたかどうかわからないけど、自分になりに頑張ってきたつもりです。

そんな中で、2人は自分の持ってない強さを持っていて、頑張る姿に勇気づけられ、心の中でいつも尊敬していました。

時には、チームが上手くいかない時に共に悩み、時には、1年の中大戦や3年の昇格戦のように勝利して喜びを分かち合うことができました。

チームが勝つために真剣に考え行動し、喜怒哀楽を共に過ごしたからこそ、見えない信頼があると勝手に思っています。

だからこそ、巻と蓮斗と協力して、1番4年が少ないカテゴリーで大変だと思うけど、後輩たちと共にアンダーAを1部に残して下さい。

23日声が出なくなるまで応援します!


トップ

昇格おめでとう!14年ぶりの関東2部復帰。簡単に出来ることじゃないと思います。キャプテンの聖を中心にそれぞれが、チームのために走り続けた結果だと思います。尊敬しています。

最終節応援には行けませんが、勝って優勝掴み取ろう。映像越しに応援しています!


アンダーB

これまで4年間アンダーAでプレーしてきた自分をチームの一員に受け入れてくれてありがとう。ここまできたら、後は勝つだけ。みんなで昇格を掴み取ろう!


マネージャー

高校までマネージャーがいなかった環境だったこともあり、大学で初めてマネージャーにお世話になりました。

高校まで自分たちで用具や試合準備をしてきて大変だったことを知ってるからこそ、マネージャーの有り難さを実感できた4年間でした。

引退ブログを読んで自分の見えない所でも、チームのために動いてくれていたことを知り、尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです。

4年間ありがとう!


松くん

約2.5年間お世話になりました。ブログ途中でも書きましたが、チームを勝たせるために、行動できる強さを尊敬しています。勝つために、チームのために、勝負に拘るメンタル面。止めて蹴るの基礎技術から、ポゼッションするための個人戦術の技術、戦術面。心は熱く頭は冷静に戦う勝者のメンタリティーを学ぶことができました。最後、松くんの下で試合に出て、恩返しすることはできませんでしたが、Bで昇格させて、國大の未来のために頑張りたいと思います。ありがとうございました!


正樹くん

約1.5年間お世話になりました。大3に時は、主将という貴重な経験を積まさせて頂き有難うございました。人として成長できたと思っています。正樹くんとは1番対話を重ねた監督だと思っています。大2の拓殖大戦後に本音で話し、長文ラインをさせて頂いたこともありました。選手の想いを真っ直ぐに受け止め、前進していく強さを尊敬しています。また、アンダーAからアンダーBに行くことになり、最後一緒に戦えることができて嬉しいと言って下さり、正樹くんのためにも昇格したいという気持ちになりました。後1試合絶対勝ちましょう!ありがとうございました!


塩さん

直接指導を受けることはありませんでしたが、鳥かごに入って下さり、明るくサッカーをすることができました。また、怪我をした時やふとした時に調子はどう?と気にかけて下さったことも嬉しかったです。ありがとうございました!


白須さん

1年の学年代表から始まり、教育班、倉庫班とリーダーズミーティングを中心にお世話になりました。國大サッカー部をより良い組織にするために、本気で話し合いました。サッカー面でも一生懸命戦う響のプレーを見ていると気持ちが良い。と嬉しい言葉を頂きました。1年の振り返りの個人面談でも、熱しやすく冷めやすいことや、怪我が多くなってしまうことに対して、メンタル面のアドバイスを頂きました。サッカーの指導を直接受ける機会は多くありませんでしたが、4年間お世話になりました。


父へ

こんな心を熱くさせるサッカーに出会ったのは父の影響です。私は父の勝負に拘る姿勢、譲れない信念を持って生きる強さをみて、育ちました。きつい時に声を出せるか、先頭に立って立ち向かえるか、逃げずに立ち向かえるか。私がこれから先生きていく上で、大切にしていきたい軸です。小学校の頃から、どんな時も自分の試合を見にきてくれて、本当の強さというものを教えてくれました。

普段言えないからこの機会に言わせて下さい。

ここまで育ててきてくれてありがとう。

社会人となり、今度は社会に貢献する立場として、自分の生きる軸を持ち、頑張っていきたいと思います。

これから恩を返していきたいと思います。


母へ

サッカー一筋で頑張ってきた私は、就職活動で悩み苦しんだ時期がありました。1人で悩んでいる時に名古屋から横浜まで会いにきてくれました。3月の1ヶ月間名古屋で就活に取り組みましたが、改めて母の人の気持ちを理解して、愛情を持って支え続ける強さを知りました。

アカデミーに合格した時、本当は行って欲しくないと言っている中で、最後は自分の夢を応援することを決め、送り出してくれたこと。家族の夢も背負って頑張る気持ちにもさせてくれました。自分の夢は叶えることができませんでしたが、夢を追う中で頑張ってきた過程に、誇りを持ち、社会人になっても頑張ります。

ここまで育ててきてくれてありがとう。


兄と弟へ

3兄弟の次男として、兄に助けられ、弟を守ることで、自分が成長できたと思っています。

3人大学サッカーまでする、真面目でサッカーが大好きな兄弟だけど、兄と弟は自分と異なり、勉強面で努力してきた人生だと思っています。受験勉強を粘り強く励む姿勢、結果を残す力強さを尊敬しています。これからも仲良くして下さい。



最後に

これまで私のサッカー人生に関わって下さった方々、ありがとうございました。

感謝の気持ちを忘れずに次のステージでも頑張っていきたいと思います。


ありがとうサッカー。

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以上響くんのブログでした!

響くんはチームの心臓であり魂のような存在で、モチベーションの柱でした。
どんなに状況が厳しくても、チームの士気がどれだけ低くなっても、響くんはいつも声を出し続けて雰囲気を盛り上げてくれました。
雰囲気を変えてチームを前に進めようとするその姿は、思わず心を打たれます。

特に今シーズンは怪我に悩まされることが多かったと思いますが、それでも響くんのサッカーへの揺るぎない情熱は際立っていました。
部分的に練習に復帰した日に見せてくれた、心の底から嬉しそうな笑顔は今でも忘れられません。
「部分合流できた!」と本当に幸せそうに話す響くんから、サッカーがどれだけ好きかが伝わってきました。

その後、再び肉離れをしてしまいましたが、リハビリをしながらもチームのサポートを続ける響くんの姿は、マネージャーとしていつも刺激を受けました。
響くんの努力や仲間を奮い立たせる姿勢は、多くの選手にとって勇気や励ましになったことでしょう。

マネージャーにもいつも「ありがとう」と感謝の言葉を伝えてくれます。
しかし、ピッチ外でも情熱的で、飲み会では誰よりも声を張って盛り上げる存在だとか(笑)そんな響くんの優しさとユーモアは、みんなに愛される理由の一つです。

響くんのポジティブさ、そしてユーモアは、誰からも尊敬され愛されています。
そんな響くんの、これからの進む道が輝かしいものとなりますよう心から願っております。


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最後までご覧いただきありがとうございました!
次回もお楽しみに!

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