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異常者の翻訳家

おれは今、ありがたいことに絵を描くことで飯を食い、猫と暮らし、生活をさせてもらっている。
支えてくれている皆さん、本当にありがとうございます。

が、しかし、自分の絵の描き方を改めて考え直してみるとおれのやっていることは絵描きではなくて翻訳家に近いことだったのかもな、という考えに至った。

おれはおれ自身が至って平凡な人間だということを理解している。

非凡な人間であると信じていたかったし、非凡な人間でありたいと強く願っていたが、平凡な人間は非凡な人間に近づけはすれども、完全に非凡な人間にはなれないし、非凡でありたいという願望が自分自身に失望してしまう原因だということも理解したので自分が平凡な人間だということを受け入れている。

おれの親や、おれ自身、本質は平凡な人間だが、親が流れ者のサーファーということもあり、物心つく前から種子島や宮崎などの海の近くに住み、環境的に異常で天才肌の人が周りに多かったからか異常で天才肌の人の考えだったり、その人が美しいと思うものは分かったりするのでそこからインスピレーションを受けて凡人にも分かるようなデザインに落とし込む、という作業をしている

それ故に、おれの絵の真意までは汲み取れなくても、ビジュアル的には凡人にも受けるようなデザインにしている、というかおれ自身が凡人なために凡人なりの出力しかできない。
なので感覚的だったりビジュアル的にいいなと思ってくれる凡人の人に受けるのかな、と思った(おれの絵が好きな人がみな凡人だと言っている訳ではない)

世の中の人間はほとんどが平凡なため、平凡な出力の非凡なテーマの絵がウケるというのは考えてみれば当然の摂理である

思うに、天才肌の人というものは何かを表現している人が目立ちがちだが、天才肌のただ生きている人も突然いる、凡人的にはそういう人の人生観や思考の回路などは本当に学ぶことが多い。
特に、人生というコンテンツをよりよく楽しむためにはそういった人たちが、もがきながらも懸命に生きた上で練り出した考えは本当に役に立つ、人生の攻略法と言っても過言ではない。

これはある種の悟りであると考える。

悟りとは、なにか壮大で神秘的なものと捉えられがちだがスケールを小さくして見てみればそこらじゅうに散らばっている。

因果とは原因と結果

因を考えて、果という答えに辿り着くことが悟りだとおれは考えるので、これを当てはめると本当にそこらじゅうに悟りが散らばっている。

自分が社会の歯車のほんの一部でしかないと知り、自分の替えがいくらでもいることをも理解し、それでも尚生きるため、家族を養うため自分を殺して、自分のやりたいことも諦め、しゃかりき働いているサラリーマンなども完全に悟っているとおれは考える。

そういう人のおかげでこの社会は成り立っている、感謝しかない。

完全に本題から逸れてしまった、おれがこの文で何を伝えたかったかも忘れてしまった

とにかく今伝えたいのは、世の中の生きる意義を見失ってしまった平凡な人たちに感謝と敬意を持っている人間がここにいるということ

平凡な人間より

虚空坊主

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