
遠野旅 「剥き出しの怪異」に出会う場所
せっかくの岩手出張だったので、延泊して遠野物語の地にも行ってみました。
盛岡の帰りなら通り路じゃん!→全然そんなことなかった
もともと私は、いわゆる古典の名作に対しては「名前は知ってるけど読んだことがない」が多くて当然だし、何なら今の時代に頑張って読んでもそれほど面白くなくない? くらいの気持ちでいます。
例を挙げると、私は夏目漱石をそれほど面白いと思えていません。「当時は面白かったのかなあ……でも当時を生きていても今のメンタリティであれば私はこれをダルいと思っただろうな」くらいの思いでいるので、娘と行った某アイドル映画で文芸部設定のキャラがうっとりした顔で『坊ちゃん』読んでるシーンを見て「読んでねえんだろうなあ……」などと考えていました。あれを令和のアイドル高校生が陶然と読むのは無理があるって。それ以来「なんかあの男は信用できないな……」という思いがぬぐえません。
ごめん閑話休題。
これに似た認知の中で『遠野物語』も、原文ではとても読む気がせず、副読本や絵本を通した一般常識レベルの知識がある、程度だったのです。
ただ、遠野旅行は「期待して行ったらただの田舎でがっかりした」という話も聞いたことがあったので、
「ならこの程度の知識で行けばちょうど楽しめるのかな」くらいの気持ちでいました。
そんな折、盛岡に出張することになり、ならついでに延泊して遠野も行っちゃえ! こんな機会でもないと一生行かないだろ!! と思い。
計測自動制御学会システムインテグレーション部門講演会とかいうゴリゴリの学会の帰りに寄ってきました。
いや面白かった。めちゃくちゃ良かった。誰だよ期待して行くとガッカリするなんて言ったの。あと3泊くらいしたかったよ……!?
なお盛岡駅からは2時間くらいかかりました。そして降りた先でSuicaが使えなくて焦りました。
鉄の馬がおすすめ
東京からの出張なので、当然新幹線を乗り継いで行っています。それで遠野駅に着いてびっくり、いわゆる全国チェーン店のたぐいが一切ありません。とくに私は夜に着いたので、飲み屋が数店舗開いてるだけでコンビニもなく、危うく夕飯を食いっぱぐれるところでした。
公共バスもあるにはありますが、基本的にマイカーで移動する場所ですね。そういえば柳田國男も馬で来ています。
馬と娘の悲恋「オシラサマ」の伝承に象徴されるように、遠野は馬とともに生きる地です。郷に行ったら郷に従うべく、私もあわてて鉄の馬を確保しました。
市立博物館がやたらオシャレ
明朝、まずは駅から10分くらい歩いた先にある市立博物館へ。天候が悪ければ、ここだけ見て帰ろうと思っていました。

というのもココ、常設展がすごく充実しているんですよ。




さらに今ちょうど、こんな企画展をやっていまして。

オシラサマ、オクナイサマなどの「家の中」での祭事に関する企画展です。
ずらっと並んだオシラサマが圧巻(写真は自粛します)。そういえばシャーマニズムの地でもありました。つい手を合わせたくなり、直後に外から来た人間が「博物品としてそこに在るモノ」に信仰的な態度を取るのはよくないな、と思い直して控えます。
その後、よく説明を読んだら「一度拝んだら一生拝み続けなければならない家もあった(ので、いずれ家から出す子供には拝ませなかった)」みたいなことも書いてありました。あぶねーあぶねー……
また、かなり良かったのが「遠野物語」執筆者である柳田國男と、語り部だった佐々木喜善の書簡たち。

この、カジュアルながら品のある、都会の官僚らしい字面よ。喜善の話を本にするミッションに夢中なのが伝わりますね。分かる〜構想段階のテンションってこうだよね〜
……で、書き進めるうちにキツくなってきたのかなあ、を感じるのが以下。

めっちゃ斜めじゃん。なんか焦ってるみたいだし……イライラしてる? 情緒大丈夫そ?

校了間際に出していた葉書がこれ。もう字体や余白のバランスなんか考えてなくて、あんま大丈夫に見えない。どしたん話聞こか?
たしか部数に悩んで「200のつもりだったけど……思い切って350部刷っちゃった!」みたいなことを言ってた頃です。(300でも400でもなく「350部」ってとこがすごくいい)
柳田國男、最初に出した遠野物語の部数が350部と聞いて「1冊目からオリジナルジャンルで350部はなかなか強気だな」の感想しか出てこない
— 紡 (@tsumugu) June 1, 2024

完成直後に気弱になってる感じにすごい親近感を覚える。分っかる〜! しかもナマモノだもんね怖いよね〜!!
そして世に出た初版本。いまや稀書中の稀書となった伝説の同人誌、じゃなかった遠野物語がこちらです。

なお、遠野は豊かながら貧富の差は激しく、ときおり飢饉も起きる厳しい環境だったようです。そんな中で育った佐々木喜善の肖像がこちら(手前左、ちょっと斜めってるメガネの兄ちゃん)

そして喜善のノートも。

サブカルが野賢の受け皿だった時代を感じさせます。頭良かったんだろうなこの人……
そしてすごかったのが、大御所漫画家たちの直筆色紙群。
小島功、さいとうたかを、石ノ森章太郎、モンキーパンチ、やなせたかしなどなど。錚々たる昭和の大先生たちによる着彩イラストが通路沿いに並んでいました……これ入館料310円で見ていいものなの?
合法カッパ釣りに挑戦
天候もよく鉄の馬も手配できたので、ちょっと足を伸ばして「伝承園」へも行きました。
歴史的な建築や風土の記録がうまくまとまった野外博物館です。
ここは観光用・教育用の雰囲気で、団体客もガサッと受け入れられるところって感じ。遠野物語の舞台となった「現地」はそれほど観光地化されていないので(詳しくは後述)、駅周辺やこのあたりで物語の世界を味わえるようになっているもようです。






オシラサマのお堂がある一室を除くと、全体的に怪異からは切り離されています。狐の窓を通しても何もありませんでした。
さて、ここに立ち寄った最大の理由はカッパ釣り。
許可証を買うと合法的にカッパの捕獲ができるのですよ!

伝承園から10分ほど歩いた寺の奥に、河童が住んでいた沢があります。

最後の目撃談は1970年だそうで、現在は観光客からも広く目撃情報や捕獲の協力を募っています。
許可証を取ったので堂々と!合法的に!チャレンジです!!

えっ水量が少ないって? うるせえ!
下流から泳いでくると予想してなるべく凝視は避け、警戒されないよう静かに粘ります。他に人間いないしワンチャン釣れるんじゃねえ!?
うわ~~~!!! 楽しい~~~!!!!

この楽しさを残したくてひたすら沢にキュウリたらしてる動画とか撮ってました(noteって動画載せられないのね、残念……)。
……けっこう粘りました。30分〜1時間くらいはいたと思います。だめでした……
悔しいけど帰りの新幹線もその後のメインイベントもあったため、釣果は断念しました。すごい悔しい。絶対リベンジする。
怪異の「物証」ポイント、遠野の山口集落!!
そしてメインイベントがこちら。佐々木喜善が生まれ育ち、たくさんの怪異が語られた「現地」、山口集落です!! クルマじゃないとちょっと無理!!


このマップは、いわゆる「留場の橋」の付近にあります。ここから孫左衛門の屋敷跡まではほぼ一本道。つまり、この道からすでに「現地」なのです。

佐々木喜善の生家もこの道なりにあるようです。が、普通に住居として使われているので侵入禁止。
というかこのへん一帯、明らかに「私有地の一部が善意で公開されているだけの生活集落」で、基本的には観光資源になっていません(バスの停留所と公衆トイレは整ってた 寒いから助かりました……)。外から来た人には基本的に観光拠点で満足してもらい、山口郷はトイレ休憩に立ち寄るくらいの場所にしてるのかもしれません。
「現物」は歴史の遺産として奥の方に残し、もっと手前にライトな観光用の施設を設けておくデザインは、足尾銅山の感じにもちょっと似ていました。お邪魔なのは承知の上、せめて失礼にならないよう襟を正します。
でも、山口郷はもう少し観光客に優しいですね。「トイレ休憩ついでにまあ見てってよ」みたいな場所に、水車小屋が再建されていました。夏場はしっかり機能しているようですが、今はバキバキに凍結中でした。


そこから少しだけ戻った場所に、本日のサビ「孫左衛門の屋敷跡」がありました。

うおぉーーーーーー!!!やべぇぇぇーーーーー!!!!

広い!!! ここに20人もの使用人を抱える豪農の屋敷があったのか!!! そしてあっという間に滅んだのか!!! ここに!! 孫左衛門の屋敷が!!!ここに!!!!
ウォォォォーーーーーー!!!!(フルテンション)
山口の孫左衛門。遠野物語の中でもトップクラスで有名ではないでしょうか。童女の姿をした2人の座敷童子が去って滅んだ豪農の物語です。滅び方のリアリティというか……「ああ、あったんだろうな」と思うしかない説得力がすごいんです。興味ある方はぜひ読んでみてください。
また、馬にとりつこうとして引きずられ、人に捕まった河童の伝説が残る「姥子淵」もすぐ近くにありました。
遠野物語には河童の話が多く、それぞれが独特の現実感を持っています。口減らしや不義の子、どちらとも異なる、棄民の存在を思わせる話も。


これ超えていいのかな……ダメな気がするな……でも先に看板あるっぽいしな……ダメだったらごめんなさい……と思いながら踏破した先に姥子淵がありました。

狐の窓を通して見てみたものの……何も出ません。
そういえばここの河童は、人に捕まって〆られたあと、さらに上流にあるという「相沢の滝の淵」に移り住んでいました。じゃあここにはもういないのかな……。
後から知ったことですが、この周辺には余裕で熊が出るそうです。無事に帰れてよかったです……
その後、車であればそう遠くない場所にある「でんでら野」へ。ひらたく言えば姥捨の地です。
姥捨て、いわゆる棄老伝説は世界中にあります。観光先で「それっぽい地名」を見つけることもまあまあありますが、本当にあったのかは分かりません。
遠野にあったのは、「60を過ぎた者が送られて、共同生活を送っていた台地」でした。
山口郷のでんでら野は、生活集落のすぐ近く(本当に、びっくりする程すぐ近く)にあり、山口郷の美しい田園風景が一望できました
財産を持たずに送り出され、ここで老人だけの共同生活をして、昼は畑に降りて農作業を手伝い、わずかな食糧の配分を受けながら、死を待つ集落だったそうです。
子や孫が得る実りを見下ろし、作業を手伝い、おそらく越えられない冬の訪れを感じる。
飢えと冷えで、肉体は細っていったでしょう。骨と皮だけの身体であれば土壌を穢す心配もわずかです。
土を穢さず、次の世代に口を譲りながら、何を思っていたのか。
粗末な藁小屋が、少しの説明と共に建てられていました。捨てられた老人の記憶が土に染み込んでいるような、とても寂しい場所でした。
ここまで圧倒的な「実際ここに在りました」を見せられたのは初めてです。白刃の事実が抜き身で置いてあるようでした。
少しだけ不思議なことが起きた
さて、この山口で停めていた車を出すとき、「絶対にありえない、すこしだけ不思議なこと」がありました。
私が見えていないだけで同乗者がいるんじゃないかと思い、
「よかったら東京の家にお越しください」
とお招きしてから帰ったところ、帰路の新幹線でも、東京の家でも「ちょっと平素では考えにくい、少しだけ不思議なこと」が重ねて起きています。
家族とも「来てくれているのかもしれないねえ」とか話して、次は家族で行こうかね、なんて思っています。
歴史の重さと、人間の生活が怪異に組み込まれ、怪異がむき出しの事実として在る地でした。「異界の近く」という表現もよく分かります。解明とかあんまり意味ないです。それが事実で日常なのだから。
「こんな風景はほかの田舎にもある」と言った人がいた。私は「でも、そこに『遠野物語』はないだろう」と思う
これは宿に置いてあったガイドブックの序文です。初読では「なんか微妙にヤな感じだなあ」と思ったものですが……行ってみると、何が言いたかったのかはまあ分かります。
そして、冒頭で聞いていた「期待して行ったらただの田舎でがっかりした」で、どんな期待外れがあったのかも、正直ちょっと想像できます。
この5千字を超える記録をここまでお読みいただき、少しでも「……いいじゃん……?」って思われた方であれば、きっと期待を超える体験があるはずです。きっと。たぶん。
また行きたいです。こんどは家族と、あと「ついて来てくださったなにか様」とも一緒に。
