少しずつ離す手。
夏休み。
もうすぐ終わる。
今は8月31日まで夏休みではないのだ。
どういうわけか、3日ほど前倒しで始まる。
お盆が明けたら始業する地域もあると聞いた。
誰が得をするんだろう。
どんなメリットがあるのだろう。
おそらく、授業時間の確保だろう。
さて。
今日は8月26日。
残りわずかな夏休みと聞くと。
宿題は終わったの?が話題に上がるだろう。
わが家は今年も無事に終えることができた。
強敵といわれる読書感想文ももちろん書き上げた。
低学年のうちは、ほぼ親の宿題といわれるが。
これは本当だと感じている。
もちろん今年も頑張らせていただいた。
どんな宿題があるか把握して。
学習計画を一緒に立てて。(一緒に立てられれば良いのだが、こうしたほうがいいのでは?という親の意見がほとんどではないだろうか)
読書感想文の本を読み、あらすじを把握して。
一緒に感想文のメモを起こし、作文にしていく。
読書感想文の本を読むのは子どもに任せておけばと思われるかもしれないが。あまりにもトンチンカンな感想が出てきたので、読んでみることにしたのだ。
一緒にメモをしていかないとまったく膨らんでいかないことも知っている。
どうしてここまでするのだろうか。
きっと私が不安だからである。
宿題の把握をしておかないと子どもは困るだろう。
そして私も困るだろう。
そんなことは容易に想像できる。
でも、ここまでするのは今年で終わりかもしれないとも感じた。
子どもの様子を見ていてそう思うのだから、間違いではないだろう。
夏休みのある日の夕方。息子が一人で家の前の公園へ出かけた。
二階からよく見えるから様子を見てみると。
近所に住むおじちゃんと何やら話をしている。
いつもなら私も行かなくてはという思いになるのだが。
この時はやめた。
息子なら大丈夫、だと思ったから。
手を離してみたのだ。
今まで、おじちゃんに迷惑をかけないかな、と不安に思っていたんだろう。
でも、息子が選んでいける。
どんな人間関係を築いていくかは彼が決める。
いつだって、親は心配しすぎ、なのだろう。
親の心配が子どもの成長を妨げる。
書きながらそんなことも感じている。
来年はもう少し手を離せる。
勝手に離れていくのだろうな。寂しいけど。
こう思うと、私は夏休みの宿題をどうやっていたのだろうとか。
母が手伝ってくれたのだろうか。
いや、まさか。
勉強を見てくれていたのは父親だから、やってくれたのだろうか。
母に聞いたところで「さあ、どうしていただろうね」としか返ってこないのは目に見えている。