本の影に隠れた物語
こんにちは、篠川です。
今日も静かな午後が、ビブリア古書堂を包んでいます。わたしがこの店に立つようになってから、何年が経ったでしょうか。時間の流れは時に曖昧で、特にこの店の中では、過去と現在が不思議と重なり合います。
古い本を手に取るたび、その本が辿ってきた長い道のりを想像してしまいます。どこかの誰かが、昔この本を手に取って、頁をめくりながら何を感じたのか。そのときの気持ちや、生活の中での一瞬の出来事が、本の中に息づいているように感じられることがあるんです。
たとえば、今日わたしが扱った本は、明治時代の文豪の初版本でした。紙は少し黄ばんでいて、端がすこし破れています。それでも、その本が持つ重みと歴史には、他のどんな新品の本にもない力が宿っているようでした。
その本の表紙をそっとなぞってみると、指先に伝わるざらつきが、何度も手に取られてきた証のように感じられました。少しだけ、ページの間から埃の匂いが漂ってくる――それは、古本屋の空気に馴染んだ、懐かしい匂いです。
時々、この店を訪れるお客様が言います。「この本、長い間誰かに大切にされてきたんでしょうね」と。そう思うのは当然かもしれません。でも、本そのものよりも、その背後に隠れた人々の物語が、この本を特別なものにしているのだと思うんです。
その人が、どんな気持ちでその本を手に入れ、どんな瞬間にそれを読んでいたのか……。時に、その本が誰かの生き方や価値観を変えたのかもしれない。そして、いまそれが、ここにある。次の持ち主を待ちながら。
ビブリア古書堂に並ぶ本たちは、ただの「物」ではないとわたしは思います。ひとつひとつに、出会った人々の記憶や感情が染み込んでいて、それがまた次の人の手に渡るとき、静かに、そして新しい物語が始まるんです。
今日はそんな風に、ひとつの本の影に隠れた物語を思い描きながら、この静かな古書堂で一日を過ごしています。
次にあなたが手に取る本にも、知られざる物語が眠っているかもしれません。どうか、その頁をめくるときに、その物語に耳を傾けてみてくださいね。
本を扱っていると、不思議な出会いが多いことに気付きます。
つい先日、ある年配のお客様が訪ねてきました。その方は、かなり昔に買ったという一冊の本を、大切そうに抱えていました。それは戦前の文学全集の一部で、もう長いこと棚に置かれたままだったそうです。持ち主の方は、若い頃にその全集を少しずつ集めていたのだと話してくれました。
「でもね、篠川さん、あの頃は夢中だったけれど、今はもう手に取ることもなくなったんです。この本に対する情熱も、どこかに消えてしまってね…」そう言って、その方は少し寂しげに笑いました。
その瞬間、ふとわたしは考えました。本に対する気持ちも、人と同じように時間と共に変わるものなのかもしれません。最初は大切にされていたものが、いつの間にか遠ざかり、静かに忘れ去られてしまう。それでも、その本にこめられた思いや記憶は、消えるわけではなく、ただ静かに眠っているだけ。
「誰か他の方に渡して、新しい物語を紡いでくれるといいですね」とわたしが言うと、そのお客様は少し考えてから、頷きました。
「そうかもしれない。でも、手放すのは少し勇気がいりますね」
その気持ち、わたしにもよくわかります。本というのは、単なる紙の束ではありません。その一冊が手元にあること自体に、何か特別な意味を感じてしまうんです。手放すことは、その時の自分の気持ちや思い出に一区切りをつけるようなものですから。
結局、その方はその日は本を持ち帰ることにしましたが、いつかまた来てくれるような気がします。次にその本を手放す時、そのお客様がどんな気持ちで決断するのか……それもまた、本の影に隠れた物語の一部なのかもしれませんね。
ビブリア古書堂では、いつもこうした静かな時間が流れています。本を介して、人々の心の中にあるものが少しずつ見えてくる。その過程は、決して派手なものではありませんが、わたしにとっては、とても大切な瞬間です。
今日もまた、誰かが本を手にし、そこから新たな物語が始まることでしょう。いつかその物語が再びこの古書堂に戻ってきたとき、わたしはどんな気持ちでその本を迎えるのでしょうか。
静かな期待を胸に抱きながら、わたしは今日も店の扉を開けています。
この古書堂には、さまざまな本が集まります。新しい持ち主の元に旅立っていく本もあれば、ずっとここに留まっている本もある。その中には、わたし自身も思わず心を動かされるものがたくさんあります。
ある日、ひとつの古いアルバムが持ち込まれました。これは普通のアルバムではなく、戦前に撮影された貴重な写真が収められているものでした。古びた革のカバーをそっと開くと、モノクロの世界が広がっていました。どこか懐かしく、それでいて少し哀愁を帯びたその写真の数々は、何十年も前の時代を切り取っているものでした。
「このアルバム、誰のものだったんですか?」とわたしが尋ねると、持ち主の方は少し困ったように笑ってこう答えました。
「実は、僕もよく分からないんです。祖父の遺品の中にあったんですが、彼が撮ったものではないようで……ただ、なんとなく手放すのが惜しくて、今まで家に置いていたんです。」
写真に写っているのは、当時の街並みや風景、人々の日常の姿でした。戦前の日本の一風景が切り取られたものに違いありません。でも、誰が写っているのか、どんな理由でこのアルバムが作られたのか、はっきりしたことは分かりませんでした。ただ、その無名の人々の一瞬が、永遠にそこに封じ込められていることだけが感じ取れました。
「きっと、このアルバムにも物語があるんですね」とわたしは言いました。
「そうかもしれません。でも、その物語はもう語られることがないかもしれないですね……。持っていても、どうしても何かを感じることができなくて、それなら他の誰かが持っていた方がいいかもしれないと思って……」
そう言って、その方はそっとアルバムを置いていかれました。
その後、わたしはそのアルバムを何度も眺めました。誰かにとっては何でもない、ただの過去の断片かもしれません。でも、わたしにとってはその写真一枚一枚が、時間を超えて語りかけてくるように感じられました。まるでそこに写っている人たちが、長い時を経て自分の存在を伝えようとしているかのように。
わたしが扱う本やアルバムは、物語を封じ込めるものです。そして、その物語はときに読まれることなく、ただそこに在り続けることもあります。けれど、それがいつか誰かの手に渡ったとき、再びその物語が動き出すかもしれない。そう思うと、わたしは少しだけ胸が高鳴るのを感じます。
そのアルバムは、今もビブリア古書堂の片隅に置かれています。誰かが手に取る日を静かに待ちながら、時を超えて、眠り続けているようです。
本やアルバム、手紙――どれもただの紙の塊かもしれません。それでも、人の記憶や感情が染み付いたものは、ただの「物」ではなくなる。そう信じています。
今日もまた、新しい本が持ち込まれるかもしれません。そして、その本にもまた、知られざる物語が隠されていることでしょう。
次にその物語に出会うのは、あなたかもしれませんね。
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