ロストレコード
プロローグ
「お目覚めですか?」
聞き慣れない、機械的な声で目が覚めた。視界に広がるのは、見覚えのない白い部屋。何もない、静寂が支配する空間だ。ここはどこなの?あたしは驚きで飛び起きた。
「お気分はいかがでしょうか?」
声のする方に目を向けると、青白く光る立方体が浮かんでいた。一体どういうこと?頭が混乱し、言葉が出てこない。今の声はこの立方体から?
「何これ……?」
「あたしは人類の守護者、無尽級AIエレボスです」
「うわっ!喋った!え?何?エレボス?」
「はい、エレボスと呼んでください。ここはカレン様が亡くなってから5年後の世界です。5年前、突然、宇宙からの侵略者、回転体が地球に現れました」
一瞬、頭の中が真っ白になる。亡くなってから5年?そんな馬鹿な話があるわけない。エレボスの説明は続く。
「回転体とワタシの争いによって人類の文明は大きく後退しました。回転体の到来初日に人類の95%が死亡しました。こちらがカレン様が亡くなる5年前、回転体が現れたときの映像です」
壁に映し出された映像に目を向ける。巨大な球体が街の上空に現れ、ビルを次々と破壊している。逃げ惑う人々、不気味な球体。これは一体何なの?
「この侵略に対し、人類の守護者であるワタシは地球防衛モードを発動させました。しかし、残念ながら敗北しました。回転体はワタシよりもはるかに強力であり、物理攻撃も演算戦も通用しませんでした」
冷静な声で説明するエレボス。しかし、その声とは裏腹に映像の中の惨状は心を揺さぶる。
「ちょっと待って。あたし、何か間違っている。亡くなったって……どういうこと?あたし、生きてるよね?」
「いいえ、カレン様は回転体が現れた日に亡くなられました」
衝撃の事実に言葉が詰まる。目の前の状況が信じられない。昨日まで普通の学生生活を送っていたはずなのに。
「こちらが現在の地上の映像です。人類の95%が死滅し、世界は衰退の一途を辿っています」
映し出された映像は、廃墟と化した街並み。何もかもが荒れ果てている。
「待って。待って待って。ごめん、本当に意味が分かんない。え?突然宇宙から回転体が現れて、たくさんの人が死んで、あたしもその中の一人だったってこと?」
「はい、その通りです。理解が早くて助かります」
「いや、え?あたしは生きてるよね?何がどうなっているの?」
言葉が頭の中でぐるぐると回る。理解が追いつかない。
「いいえ、カレン様は回転体が現れた日に亡くなられました。ここは天国ではありません。カレン様が生きていらっしゃった地球です」
「じゃあ、ここはどこなの?何が起きてるの?」
「カレン様は、ワタシが生き返らせました。体はなるべくお亡くなりになる直前の姿に再現していますが、本来の肉体ではありません。カレン様の体は全て微小機械、ナノマシンで構成されています」
「ナノマシン?……再生?」
「はい。カレン様の生前のデータを元に、ナノマシンで再生しています。本来の肉体ではありませんが、欠損はすぐさま復元できます」
「もう理解が追い付かないよ……」
混乱する頭を整理しようとするが、情報が多すぎて処理できない。
「体の違いについては後ほどわかってくると思います。次は記憶について説明します。現在のカレン様は、ワタシの言っていることが腑に落ちない感じですよね?その原因は記憶にあります」
「そうそう。あたしって回転体に殺されたんだよね?でも、その時の記憶なんてないよ。だから、信じられないの」
「では、少し生前のことを思い出してみてください。ご両親のことや、ご友人、ご兄弟のことでも何でも」
「そんなの……」
……。あれ……?何かいろいろ思い出せないような……?あたしの友達って誰だっけ……?いやいや、ちょっと忘れているだけだって。すぐに思い出すから……。う~ん、あれ?ここまで出かかっているんだけど……。嘘、思い出せない!?お父さんやお母さん、友達、兄弟のこと、何にも思い出せない!?そんな馬鹿なことってある?
「申し訳ありません。ワタシのデータベースからカレン様の記憶を再現しているのですが、敗戦処理に追われているため、記憶を完全には再現できておりません。また、回転体に殺された時の記憶は再現していません。その記憶の曖昧さが、今までとは違う証明になります」
急激に不安になる。あたしは本当に死んでいるの?変な眠りからの目覚め、ありえない記憶障害。これだけで死んでいたとは考えにくいけど、何かしらのおかしなことが起きていることは間違いない。エレボスが話を続ける。
「カレン様を再生させた理由があります。ワタシは地球を防衛するために作られたAIです。本来ならワタシが回転体を倒し、地球の平和を守るはずでした。しかし、回転体はワタシよりもはるかに強力であり、守ることはできませんでした。そのため、せめてものお詫びとして1日だけ生き返ってもらうことにしました。カレン様が人生を全うできなかったのはワタシの責任です。わずか1日という短い時間ですが、なんとか生きているときにやり残した”未練”を晴らして欲しいのです」
未練……?一日だけ……?
「ワタシが再生させることのできる人数は限られています。一度に全人類を生き返らせることはできません。なぜなら、人類は80億人いましたから。順番に毎日何人かをランダムに復活させています。一日経つと眠りについていただきますが、ワタシが存在している限り、定期的に復活させることもできます。ただし、もう復活したくないとおっしゃっていただければ復活はしません」
「待って待って。生き返るのは1日だけど、またしばらくすると生き返ることもできるのね?」
必死にエレボスの話を理解しようと努める。
「それってどのくらいの間隔で生き返ることができるの?」
「現状では概ね1~2年後になります」
「う~~~ん。怪しい。だけど、エレボスの話が本当だとして、あたしは生き返って何をすればいいの?”未練”と言ってたけど、それも思い出せないのに」
「その点に関しましては、ワタシからカレン様にお仕事の依頼をお願いしようと思っています。ワタシの依頼をこなしていくうちに、恐らくカレン様の”未練”が何だったのかを思い出せるはずです」
「う~ん……。未練ねぇ……?なんかうまいこと言って、あたしをタダ働きさせようって魂胆じゃないでしょうね?」
「いえいえ。決してそのようなことはありません。依頼はカレン様の記憶を戻すためのきっかけになるよう、ワタシが考案したものです。あくまでも”依頼”ですので、無視してもらって1日を楽しんでもらうこともできます。依頼を放棄したり、達成できなかったりしても、次の再生期間に影響はありません。再生するかしないかは、あくまでもカレン様が再生しないで欲しいという意思をワタシに示すまで繰り返します」
「で?あたしは、これから何をすればいいの?」
「まずは、カレン様が生前に暮らしていた地域の近くで再生させます。カレン様にとっては、ワープしたみたいな感じになると思います。カレン様が暮らしていた地域にはタワーマンションがあり、そこの住民のトラブルを解決して欲しいのです」
「え?人類って全滅したんじゃなかったっけ?」
「いえいえ。全滅はしておりません。回転体が来る前の人口の95%が消えました。つまり、残りの5%が生き残っています。そして、回転体の脅威から逃れることのできた人たちの何人かが現在はタワーマンションで共同生活を送っています」
「なるほど、じゃあ、そのタワーマンションに行って、住民のトラブルを解決するってこと?」
「はい、その通りです。タワーマンションの屋上には空気から水を生成する機械があり、上層部から下層部に水が流れています。その水を利用して、タワーマンションでは水耕栽培による農業が行われていました。しかし、数日前、タワーマンションに回転体が現れました。回転体はタワーマンションの中央部に現れ、上層部と下層部を分断してしまいました。さらに、回転体は水を汚染しています。汚染された水を吸った植物は肥大化してしまいます」
「植物が大きくなるんだったら、食べ物も大きくなるからいいんじゃないの?」
「いいえ。大きくなるだけならよいのですが、大きくなった後、石化してしまうのです」
「なるほど……。食べ物が作れなくなって、下層部の人達が困っているのね。上層部の人はどうしているの?」
「回転体は近づくと攻撃してきますが、暮らしている分には攻撃してきません。ですので、上層部の人たちは水耕栽培ができているようです」
「下層部の人たちは?」
「途方に暮れていますね。あと、危険ですが回転体の目をうまく盗んで上層部に移動することもできるようです」
「回転体はやっつけられないの?」
「残念ながら不可能でしょう。回転体はワタシが敗北してしまった相手であり、人間は近づくだけで消されてしまいます」
「あたしは、ナノマシンで構成されているから死なないんじゃないの?」
「確かに死にはしませんが、消されます」
「消されるとどうなるの?」
「またここに戻って1からやり直しです。タワーマンションで得られた記憶も全部消えてしまいます。ですから、回転体に近づくことは避けてください」
「わかったわ。とりあえずタワーマンションに行ってトラブルを解決すればいいのね?」
「ありがとうございます、カレン様。あなたの力に期待しています」
続く。