カトラリーからあふれるデザインのあれこれ
カフェロワイヤルなるものをご存じだろうか。 昭和純喫茶世代なら「あーあれね」とか、コーヒーマニアであれば「何をいまさら」な 話題ではあるのだが、
平成令和ピープルは知らない可能性が高いので写真。
コーヒー(ブラック)を注ぎ、スプーンに角砂糖を乗せる。角砂糖にブランデーかコニャックを注いで染み込ませる。角砂糖に染みたアルコール分に点火し、アルコール分による青い炎を楽しみ、火が消え角砂糖が溶けたら、コーヒーに落とし、かき混ぜて飲む。 ロワイヤル・スプーンとも呼ばれる先端が下に降り曲がっていて、カップの縁に固定できるスプーンもある。なお、ロワイヤル・スプーンは日本で考案されたカトラリーである。 ブランデーの香りと青い炎の演出を楽しむ飲み方である。アルコール分が燃える青い炎は明るい場所で見えにくいため、やや暗い場所の方が炎の演出を楽しむには向いている。 (出展:Wikiより)
珈琲専門店でもない限り、一般のメニューにはなかなか選ばれることのないカフェロワイヤルはなかなかにその存在だけでレトロである。 そもそも、「コーヒー専用スプーン」というものがアンティークの世界でも国によって少なく、その専門性が分かれ始めたのは20世紀中盤と 考察されている中、「カフェロワイヤルスプーン」を作ってしまう日本という国は当時からガラパゴスであった。
さて、さらりと「レトロ」と言ってはみたものの人が「レトロ」だとか「懐かしい」と感じるフックは何だろうか。
定義するとして、「古いもの」であればクラシック、と言っても良いはずだがクラシック=懐かしいでは、ない。 クラシックはクラシックなのである。(説明放棄。エリーゼのためにを聞いて懐かしさを感じる人は少ないであろう)
それでは、記憶の中に残っている古いもの、であればどうだろう。 例えば私個人が内田百閒先生の随筆を読んで懐かしさをやたらと感じてしまうことについてはこれは違う。内田百閒先生のエピソードなどに関しては 大正時代や昭和初期になるだろう。私は見たことがない。
そう、人は見たことのないものにも懐かしさを感じることができるのである。ここで記憶説は消える。よく見るキャッチコピーなどに「見たことないけど懐かしさを感じるレトロ可愛い」なんて書いてないですか。そういうことです。
レトロとは懐古趣味のことであるが、分解すると古いものを懐かしむという受け手ありきの問題である。 その人が懐かしいと思えなくてはレトロではないのである。つまりはこのカフェロワイヤルスプーンなるものを 山田太郎(仮名)おぢに見せたとき「おお、懐かしい!今の若い子は知らんだろうけどうんちく」という反応が得られるものが 山田おぢにとってのレトロだ。おそらくユタ州在住ジャクソン・デービス(仮名)に渡した時は「What is this spoon for?」となる(はず)。
レトロプロダクトというのは「カルチャーにおける原風景をDNAによって引きずる」ことが必須、ということだろうか。どうですか。
ということで、こちらのカフェロワイヤルスプーンは間違いなく日本人にとってのレトロです。 でもちょっとやってみたいよね。 ちなみに文体もレトロにするために「である」調にしてみました。