
お買い物マラソンでの自分自身の失敗を許すべきだろうか?
みなさん、楽天の「お買い物マラソン」をご存じだろうか。
一定の期間で複数店舗を一店舗につき1000円以上で買い回ることでどんどんもらえるポイントの倍率が上がっていき、最終的に『幸せになる』というありがたいネットショッピングイベントなのだ。
今回私はメインにベビーカーを据えて、このマラソンを「完走(マックス10店舗)」しようと頑張った。
そうすればたくさんのショップで買えば買うだけもらえるポイントが増える。
なので、マラソンだけに奔走した。
血眼になって、楽天市場中を。
そうして、その期間を終える深夜1:59のギリギリ前になんとか10店舗、今回のマラソンを走り終えたのである。
しかし、最後のの30分、私は慌てていた。
欲しいものが思い浮かばない中で、「緑茶葉100g3セット」や「ファミマの楽券」なんかで埋め合わせなんとか10店舗達成、というところで、最後の最後とんでもないミスを犯していた。
2つ目ベビーカーを購入してしまっていたのだ。
すぐに気づいてキャンセルをかけたが、そのときにはすでにマラソン期間の1:59を過ぎており、10店舗達成ならず、9店舗に。
完走したかと思ったら、ゴール手前で後ろ走りで引き返す形となった。
これは悔しい。何たるミスだ。
あと1店舗は別に、目に入っていた「チロルチョコ1000円分」とかあったのに。
こんな私を、私は許すべきだろうか。
雷がほぼ起こらなさそうな雨の日に雷に打たれたら、それを罰と思うことにしようと思う。
自戒の念を込めて。
たまに、あり得ない悪いことが置きた時に、「俺、何も悪いことなんてしたないのに」と言ったりするものだが、そんなことはほぼ絶対ない。
ミミズにしょんべんかけたり、ごはんを一粒でも残したこともあるはずだ。
生きているうちに何か悪いことしたから、悪いことが起きているのだ。
因果の法則である。
それは、先の例のように自分が自分を許さない場合もあることだろう。
「今日はもう絶対なにも食べない」と思っていたのに食べてしまった22時のプリンとか。
「わたし達、どっちも恋人は作らないでおこうね」といったそばから恋人ができてしまったりとか。
そんなとき、罰を受けたい気持ちになるのだが、人っていうのは自分に甘い。
いや、攻撃ができないようプログラムされている、というべきか。
なので、罰だからといって普段42度で入っている風呂を48度にするとか、目に唐辛子とわさびを混ぜたものを塗りたくるとか、できないのだ。特に一人では。
つまり、そういったときには「罰は天から降ってくるの待ち」が一番理にかなっている。
罰があった時用に「自分を許さないノート」を作っておけば、「これで一つ罰を受けたぞ」と照らし合わせていける。
そうして全部の自戒マラソンが終わったときに、やっと「自分で自分を褒めてあげたい」という気持ちが、浮かび上がってくるのではなかろうか。