★性悪説を採用してると「がんばらなきゃ」で人生がしんどい。
こんにちはJinです。
先日、またある発見をしたんです。それが、タイトルにもある 僕は「性悪説」を採用した人生を歩んでいたのだ、ということ。
もともと「性善説」という中国の考え方があって(孟子 もうし) 、 「性」というのは、生まれた心、という字です。生まれながらの心、ということ。
ひとはもともと(本質は)いいもの(善)だから、さらに悪いことに染まらないよう頑張っていきましょう。そうすれば聖人になれるし、という考え方です。
それに対して異を唱えたのが同じ中国の荀子(じゅんし)で、ひとはもともと弱い生き物だから、欲望や堕落に走ってしまう、だからそうならないように努力しましょう、すると悪でも聖人になれるよ、と。
どちらも「努力しましょう」というのは同じなわけです。ただ、スタート地点が違う。
なんとなく、この言葉を聞いて今まで「ひとは」「人間は」と人間全般に対していっているぐらいに思ってたのですが、先日、これ、自分にあてはめたとき「僕はもともと弱い生き物だから、欲望や堕落に走ってしまう、だからそうならないように努力しましょう」つまり「自分は悪」で自分は「そのまま」だと、悪い道に行ってしまう生き物だ、と思っていることに気づいたのです。
そこで怖いのが、その「努力」となると
「だから、このままだと嫌われるんだ、見捨てられるんだ」だから、好かれるようにしなきゃ!
「だから、頑張って役に立ってないと愛されないんだ」だから、頑張らなきゃ!!
「だから、ぼーっとしてちゃダメなんだ」だから、サボりたくてもさぼらないで日々成長しないとダメなんだ!
「だから、好き勝手せず、わがまませず、欲望に流されることなく律しないといけないんだ」だから、楽しんでばかりじゃダメなんだ!!!
「だから、がんばらないと!!!!!」となると苦しいわけです。
そして、わがまま心や欲望やゆっくり休む時や、何の役にも立たないことに時間を費やすことに「罪悪感」が生じる。だから「同じような人」を見ると「そんなんじゃだめだぞ嫌われるぞ怒られるぞ」と「反面教師」にしたり、ひやひやしたり意見を言っていた僕がいた。「罪を見る目」で見ていたんですね。
「そのままだと悪だ」
という「性悪説」をここまで採用して生きて来たんだ、と気づいたのです。
だから、それを知ってか知らずか、以前から僕の発するメッセージは「そのままでいい」「がんばらなくていい」「ひどくていい」「サボっていい」「ダメでいい」ってなった。そうみんなに伝えつつ、自分に何度も言い聞かせてきたのだろう(笑) そしてその思いは今も変わりはない。
「そのままだと悪だ」という思いを覆すための「このままでいい」を発信し、自分が率先して体現し経験し「大丈夫」を積み重ねてきたし、その姿を見て多くの人も発奮してチャレンジしてくれて、「このままでいいんだ」「ダメでもわがままでもいいんだ」という新しい経験をしてくれたと思う。
「完全性悪説」から、少しは「性善説」に変わったのだと思う。それだけで人生って激変する。「安心」「自由」を知り、その世界に足を踏み入れたのだから。
でも、それは「経験」しない限り、頭でいくら理解しても腑には落ちないし、僕のように何度腑に落ちても、腑の根っこ、自分の大前提はまだ覆ってはいない。だからいまだに「バンジー」を飛び続けるのだと思う。
今回のクラウドファンディングへの挑戦も、やっぱりその側面があって、もしダメだったとしても、別にいいわけです。その「結果」と、自分の「大丈夫」を結ぶ必要はないのだ、と自分で分かればいいし、この「姿」が、たくさんの人に勇気を与えるとも思うのです。「ダメでも失敗してもいいんだな」と。
だから、僕にクラウドファンディングで応援することは、自分を応援することの疑似体験だと思ってくれると嬉しい。そんな場を作ってみたかったのもある。
もちろん非難する人も笑う人もばかにする人も無視する人もいると思う。性悪説を採用している人だ。一昔前の僕のような人だもの、しかたない。
大前提のOSって、なかなか変わらないね。心屋を辞めてから新しいパソコンにしたとき、前もウインドウズだったので、今回もそうした。それは、マックOSにうまくなじむ自信がなかったから。前提を変えるって、性善説に変えるって、もしかしたらその程度のことなのかもだけどね。
だから僕は「性悪」つまり「根っこが悪」であり、ダメ人間であり、クズである、そしてなにより「愛されない人間である」という強い「性悪」を持っている。もうそこに自信を持とうかなと(笑)
でも「性善説」を採用している人に、無条件に自分と人を信じ、頼り甘えられる人に心底あこがれる。だから、そんな「いいひと」を演じようとする癖が随所に出る。
器が小さいからこそ、大きいふりをするし、ホントは怠け者だからこそ、頑張ってしまうし、ホントは不自由な制限をいっぱい持っているからこそ、自由にふるま「おう」とする。
イライラカリカリ怒ったり無礼なふるまいをする人のことを「器が小さいなぁ」と思ったりするけれど、実は堂々とそんな自分をさらけ出しているその人の器の大きさに気づいてないだけだったりするのだ。
そこに「嫌だなぁ」「いいなぁ」と反応する時点で、自分の中に何かがあるのだ。
優しい人に「優しいなぁ」と感じるのは、自分の中に優しさがあるのだ。猫も犬も花を見て美しいなぁとは思わないから平気でその上に乗るのだ。子供も、平気に虫をつぶすのだ。でも、犬も猫も、人間の赤ちゃんには攻撃しないし手加減も我慢もする。やっばり、自分の中に何かがある。
さて、あなたは「性善説」「性悪説」どちらのOSが入ってますか。
Macでもウインドウズでも、当然一長一短があるように、性善説でも、きっと困ることがいっぱいあると思うのだ。だからこそ、自分の性悪説を忌み嫌うことなく、「ああ、自分は性悪説を採用しているんだなぁ」ぐらいでいいんじゃないかな。「だけど、そんな悪の自分でもいいか」と、少しでもなれたらいいよね、それだけで人から責められることは極端に減る。で、あとは自分からいかに責められないか、だけだね(笑)
ということで、ここまでで今回の記事はほぼ終わり、今回はほとんど無料で書いてみました。あとは、憂慮の人に一言だけ追伸して終わります。
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