★結果が原因を作る

いままた新曲を書いていて、そうするとこんな風に文章も書きたくなる。

先日久しぶりに起業のときの話などしていて頭に変なスイッチが入ったので収まるまでアウトプットしてみようと思う。


今回は「結果が原因を作る」という話。


そう「原因」が「結果」を作る、のではなく
僕らは「結果から原因を作るのだ」ではないか? という話です。


これ、ちょっと面白いのでほぼ全公開で書いてみようと思うのですが、

仕事やスポーツなどで結果が出たとき、悪いとき、
プライベートでひとに嫌われたり、逆にいいことがあったとき。

僕らはその「いいこと・悪いこと」という「結果」から「原因」を導き出す傾向があるように思うのです。


なにかを「引き寄せ」たときは「あの神社にお参りしたからだ」「このブレスレットのおかげだ」「お金を洗ったから」と


「かもしれない」ものを「絶対にそうだ」「よし、またやろう」ってなる。「期待した結果でない」ときは、もっとやらねば、やり方がおかしいのかななどと考えたりもする。

これ、はっきり言って、因果関係がありそうでなさそうで、答えはないと思うのです。

逆に、なにか想定外のことや結果が悪いときも同じです。

「あんなこと考えてしまったから」「神社にお礼参りをしなかったから」「パワーストーンの力が弱まってきてたから」

これも、その影響は、ゼロではないのだと思うし、僕はそういう能力がないので、能力者からすれば「見えないものでもちゃんと影響があるんですよ」って怒られるのかもですが。

とはいえ、僕は毎日神棚のお水やお塩を替えてご挨拶してます。

そうすると「いいこと」がありそうで、そうしないと「わるいこと」がおきそうで、っていうのも心のどこかにあるのかもしれないし、なんかそういうの関係なく、神棚に感謝することは自分に感謝することでもあるのだし、と頭で考えたようなそれらしきことも思ってみたりもする(笑)


で、会社の数字やなにかの売り上げに関しても、SNSのフォロワー数が落ちてきたときも「あれが悪いのかな」「あれをしたからかな」「あれをしなかったからかな」と

目の前の結果から「原因」を導き出す。
そして隙あらば「がんばろう」「なにかしよう」とする。


売り上げが上がったとき、本や商品や映画がヒットしたとき、評論家や色んな人が「あれがよかったからだ」とそれらしきことを理論「のようなもの」を立てて言う。

現象事象に対する「エビデンス」「データ」も、それらしきものをそれらしく見えるようにそれらしく作られただけのもの、だと僕は思っている。「一説」「仮説」だと思ってる。


つまり僕らはそうして「目の前の結果」から「原因」「のようなもの」を作り(想像)していく、のではないかというのが今回の「説」だ(笑)

これ、その「原因に見えるもの」を、しなかったとき、またはしたときのことを僕らは一生知ることはない。


だからあとはその仮説を追いかけて、いいことはもっと「それ」やろう、になるし、悪いことは「これはやらないようにしよう」とするだろうし、それを「反省」「学び」「学習」「教訓」というのだと思う。


でも、そうしててまた何かヒットがでたとき、実はその今までの「学びのセオリー」の逆をやってる人がヒットを出したとき、じゃあその語っていた「正解」「のようなもの」は何だったのだということだ。

具体的には、以前「嫌われる勇気」という本が大ヒットしました。
あの本は「会話調」で話が展開していくのですが、実はそれまでは「会話調の本は売れない」という「正解」「定説」「セオリー」があった。

なのに、大ヒットしたら、そう言ってた口を裏返してまた別の「正解」が導き出され、同じ柳の下のドジョウ取りが溢れるわけです。

喫茶店はウエイトレスが席に注文を取りに来るという「正解」をスタバのような店がひっくり返したり

いまはSNSのフォロワーが多いことで成功するという「セオリー」と、いいねやコメントや読者登録を増やすことでそこに近づける、のが正解のようになってるけど、そういうの全然してない、フォロワーも全然いない人やお店が成功してる例もたくさんある。


「でた結果」から生み出された「うまくいく正解」「失敗する教訓」という、「原因」は、つまり「作られた原因」ではないか、と思うのです。


僕が以前にテレビに声かけてもらって出て、いろんな数字が大爆発して、それに対する僕の思う「原因」はたくさんあるけど、結局は「多分こうだと思う」だし、

武道館の後にいろんな数字が落ちてきたものも「多分な原因」があるけれど、状況証拠をそろえて「いや絶対あれが原因だと思う」と自分も語りだす(笑)
しかも別に数字は全然落ちてはいなかったという事実まである(笑)








地球温暖化も、CO2などがいまは原因として「正解」とされてるけど、もしかしたら「たまたま地球がそういう周期に入ってるだけ」かもしれない。

氷河期も勝手に終わったし、温暖期も勝手に始まるよね。
恐竜が絶滅したのも結局は「諸説あり」だ。

今の自分がこうである理由、いろーいろ考えられる諸説。

結論から言うと「原因は結果から想像した諸説」だと思うのです。

つまり「原因と結果の法則」は、ないということ。

こうしたらうまくいく
こうしたら失敗する

あれをしたからあの人を怒らせた
これをしなかったから自分はこんなになってしまった


でも

あれをしても、あの人怒らないときもある。


これをしてても、あなたはいまのあなたになったと思うのだ(笑)


あれを食べたから太った減った。原因と結果は「ゼロ」ではないと思うけれど、すべてでもない、ということ。

僕はこの数か月でおやつをやめて、一日一時間ぐらい歩くようにしたら、三キロぐらい落ちた。

でも、今同じような生活してるのにゆっくり戻ってきた(笑)
なんだーーーーー??! (笑)


「僕はこの数か月でおやつをやめて、一日一時間ぐらい歩くようにしたら、三キロぐらい落ちた。」

この説はなんだったのだ(笑)


僕が考えたテレビに出れた理由やブレイクした理由があるのなら、もう一度それをすれば、同じことが起きるはず。

原因と結果というものがあるなら、ね。

同じことを続けてるんだけどね(笑)


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