ガンダムXを考える



初めに

いわゆるオルタナティブシリーズまたはアナザーという括りのガンダムシリーズの初期3作品が30周年記念として、昨年から活発な動きを見せている。
中でも『機動武闘伝Gガンダム』、『新機動戦記ガンダムW』の2作品はファンの間でも未だに人気が高く、30周年の企画でも様々な試みを行い盛況を見せてくれた。
そして来年いよいよ『機動新世紀ガンダムX』が30周年を迎える。
ガンダムXは「ボーイミーツガール」や「ニュータイプに対する一つの答え」という評価が一般的だが、それ以上にこの作品が抱くテーマはより普遍的かつ現代的なものが見えてきたように思えた。
自分なりに読み取れたものをこの場を借りてまとめてさせて頂く。
論を絞り込む為に大きく2つ、ガロード・ランとティファ・アディールだけの話ではない大小様々な共同体について、もう一つはニュータイプを含めた過剰な力に対する距離感について記述する。

いわゆるネタバレが占めているのでまだ未視聴という方はご注意いただけると幸いである。
またここでは他のガンダム作品との比較は一切しない、難解な専門用語は極力使わない、安易に製品画像を使用しないことを明示しておく。
更にここで触れるガンダムXはあくまでも1996年に放送したTVアニメに沿うのみであり、他の派生作品については言及しない。

第一部 共同体

他者とコミュニケーションによる集団形成

主人公のガロード・ランは15年前の戦争の後で産まれた時から15年間一人で生きているということ、ヒロインのティファ・アディールも15歳になるまでアルタネイティブ社で研究対象として心を閉ざすような環境で過ごしていたことが伺える。
更に言えば人工ニュータイプのカリス・ノーティラスや終盤で登場するパーラ・シスも同い年であること、少々年齢は上だがエニル・エルを含めた共通点として第7次宇宙大戦のせいで天涯孤独であったということを留意して読み解いていく。(注1)

ガンダムXにおける特筆すべき点として、丁寧に他者とコミュニティとの出会いと投企を描いている点を挙げておこう。
先述の通り戦争孤児だったガロードはティファと出会い、原初的でありシンプルな少年少女という限りなく小さな、か弱いコミュニティを形成した後、戦艦フリーデンのクルーとのぎこちない集団生活に身を投じる。
ティファの為に慣れない生活をそれでも率先して参加しようとするも、空回りをして中々馴染めないガロード、しかし一歩一歩少しずつ努力をしてフリーデンクルーに受け入れられていく様を序盤に観ることができる。

対称的にティファはフリーデンでの生活において、活発に世界に関わっていくガロードと違い1人個室で過ごす日々を送る。
一見全てに無関心な様子の彼女が他者との共同生活を意識し始める興味深いシーン2つがある。

第6話『不愉快だわ…』でガロードとジャミル以外の人間が積極的にティファへのコミュニケーションを取る場面がある。フリーデンのオペレーターであるトニア・マームはガロードを元気付けるきっかけとして、ティファに化粧を勧め女性ならではの触れ合いを試みるが、ティファはそれを断る。その後1人になったティファはトニアが置いていった口紅を何気なく使う。
しかし、その後チーフオペレーターであるサラ・タイレルが防護服を持ってきた際に緊迫した状況で化粧をしていた姿を見られ、叱責される。
少女は女性2人に化粧という社会への道具を通して優しく接せられ、厳しく叱られる。
ガロードより先にティファはきちんと叱られ、社会性に触れるエピソードである。

次に第8話『あの子、許さない!』におけるテクスとティファの会話を見てみよう。

テクス「お前さんも少しはあいつの気持ちをわかってやれ」
ティファ「気持ちを…分かる…?」
テクス「いや…ガロードだけじゃないな。他の連中も同じだ。大人になるとな、人に言えないことたくさん抱えて生きなきゃならん。ま、おいおい分かればいいがな。」
ティファの独白「気持ちを…分かる…人の気持ちを…」

なんということは無いセリフに見えるが、テクスが話している相手がニュータイプと言われる存在ということを気に留めてもう一度読んで頂きたい。
ニュータイプは「誤解をせずに人と分かり合える」という一つの定義があるが、他者の心を読むという特殊能力が出来たとしても、他者との社会的経験が欠けていれば相手の気持ちに寄り添うことなど出来ない、テクスが言う「人の気持ちを分かる」とは“理解"することではなく、分かるように努めると捉えるのがしっくりくる。(注2)
これは後半で述べる「特別な力」の拒否へと繋がる序盤の重要なシーンでもあると思われる。

ガロードとティファはそれぞれ天涯孤独であったが、2人はフリーデンという集団で他者との距離感を探っていき、安住の場となっていく。
その後世界に多数存在する他のコミュニティと、それは必ずしも同じ方向を向いていないものも含まれて、向かい合い理解をしようとする旅路となる。

では他のフリーデンクルーはどうだろうか?
注目して欲しいキャラクターにフリーのモビルスーツ乗りのウィッツ・スーとロアビィ・ロイという2人の青年がいる。この2人はあくまでも傭兵という姿勢を強く押し出しある程度ドライな関係性の立場であった。
9話『巷に雨の降るごとく』で一応フリーデン専属になるが、本当の意味でフリーデンに帰属するのは15話『天国なんてあるのかな』の終盤である。
唯一家族が生き残っているウィッツは大金を持って故郷に戻っても居場所が無く、ロアビィは唯一愛した女性がいた街を訪れた際に既に他界してた事実を受け止め、この話の最後にこうやり取りをする。

ロアビィ「天国なんてあるのかな…今の世の中に。」
ウィッツ「さぁ!帰ろうかフリーデンへ。」
ロアビィ「ああ帰ろう。」

本来の帰る場所を失った2人の居場所がフリーデンとなる場面である。
しかしこの話には続きがある。
次回『私も人間(ひと)だから』の冒頭でウィッツとロアビィが揃ってフリーデンの食堂で朝食をするシーンがあるのだが、そこでガロードに「2人ともテイクアウト組じゃなかったけ?」と言われ、少なくともこの2人とティファは食堂ではなく部屋で食事を取っていたことが明かされる。
同じ釜の飯を食う。今では薄れてしまったかもしれない共に食事をするということの意味、他者と話し合い受け入れる場で共食共飲をして分かち合うこと。
煙草や酒は気体と液体という本来分割出来ないものを通して共同体儀式を行うことは古くから行われている。
ウィッツとロアビィはここで初めてその儀式を行うことになる。
その後、17話『あなた自身が確かめて』において最後の一つのピースが嵌り、ティファも本当の意味でのコミュニティの中に組み込まれる。

ガロード「え…あのう今度みんなみたいに食堂に朝メシ食べに行かないか?」
この回の終わりにティファはガロードにこう告げる。
ティファ「ガロード。」
ガロード「ん?」
ティファ「明日から食事届けてくれなくていい。」
ガロード「え?」
ティファ「私が行くから。」

都市、民族、国家、地球と宇宙、あるいは過去

小さな共同体を形成したフリーデン一行は、道中で様々なコミュニティと出会う。
各地で戦時中のテクノロジーを奪い合い、中には海上にも基盤を持つ烏合の衆ともいえるバルチャー。
戦後の世界で兵器開発で発展を目指すアルタネイティブ社があるセントランジェ、地球人への復讐の為に市長のノモア・ロングがカモフラージュで作ったフォートセバーン、海上商業都市セインズアイランドといった独立都市。
そして25話から28話で地球統一を目指す巨大な新地球統合連邦政府に翻弄されるエスタルド人民共和国、ガスタール民主共和国、ノーザンベル連合王国のアジアにある小さな国々。
物語は更にスケールを大きくして地球の新連邦政府と宇宙に住まうスペースノイドが形成した宇宙革命軍という巨大な共同体へと繋がっていく。
ガンダムXの一つのテーマとして、ガロードとティファを含むフリーデンクルーは順々に大きくなっていく各々の地域社会に、その時の状況の、様々な問題に対峙し身を投じることによる成長譚であることが挙げられる。
そしてこの世界は、それぞれの共同体と向かい合う際に戦争という過去、カトック・アルザミールの言葉を借りれば「15年目の亡霊」が常に付き纏う。
ガロードが過去を背負う決意をしたのは24話『ダブルエックス起動!』でのカトックからの最後の言葉「過ちをくりかえすな」であるが、過去の人間が引き起こした悲劇から15年経った生きている人間がどう受け止めるか、この視点もガンダムXは丁寧に物語る。

エニル・エル


ガンダムXの共同体について語るに当たり、1人の人物にスポットを当てたいと思う。
エニル・エル、序盤から登場し事あるごとにフリーデンにちょっかいをかけてくるガロード曰く「お色気ねーちゃん」であるが、彼女の言動に気を止めてみると色々と見えてくるものがある。
作中で分かる彼女の生い立ちとして、父親である宇宙革命軍の将校ナーダ・エル少将が地球で出会った女性との間に産まれたいわば地球と宇宙とのハーフであるということ、父親は地球でスパイ活動をしていた故に現地民に惨殺され、その後母親はすぐに亡くなり天涯孤独の身となったことが語られてる。
9歳以後天涯孤独となった少女が悲惨な世界で生き抜くにはどうするだろうか?作中では描かれていないが、エニルはモビルスーツ乗りになる為の訓練のみならず、女性であることを武器として生き抜いたからこそ、ああいったセクシャルな服装になったと推測出来る。
以上がエニル・エルの人物像だが、なぜ彼女がガンダムXの物語で重要なのか、ガロードとティファと同じ孤独な出生ではあるが違う点がある。それは過去を引きずり、手を差し伸べられても常にためらいながら、時には過ちをおかしても自分自身の居場所を懸命に探し続けている作中唯一のキャラクターだからである。
ここで全ての脚本とシリーズ構成を担当した川崎ヒロユキさんのインタビューを見てみよう。

――狭間ゆえの劣等感が、彼らを走らせる……という点はとても人間らしく映りました。
これはニュータイプに限ったことではないんですよ。戦後はいろいろなものの狭間にいて、過去を引きずった人たちがたくさんいたはずなんです。ニュータイプになり損ねた人、戦争をやらせてもらえなかった連邦の偉い人……。国も宗教もチャラになった世界ですから、一番原始的な欲求にのっとって動くと思うんですよね。

電撃ホビーマガジン10年6月号

エニル・エルというキャラクターがまさに「狭間」を体現していることを見ていこう。
ガロードに拘るようになったのは8話『あの子、許さない!』ではあるが、ここでは20話『…また逢えたわね』に焦点を当ててみたい。
ザコット一味という取り敢えずのコミュニティに属していたが、その後バルチャー稼業から身を引いたエニルは豊かなセインズアイランドで入国管理局の次長マイルズ・グッドマンと恋仲となっており、いわば普通の生活を送る身となっている。
己が求めていた安定したコミュニティにようやく属することが出来たように見えるが、彼女の真意はそうではないようだ。結婚の話を切り出そうとするマイルズに対する思い詰めた心境が描かれる。

マイルズ「過去にはこだわらないさ。」
エニル独白「マイルズ…あなたは過去にはこだわらないと言うけど私自身が忘れてないの。」

これは自身がモビルスーツ乗りだった過去だけではないだろう。過去とのしがらみが無いガロードやティファと違い、エニルは自身の両親の顛末から、過去を受動的に背負わされている。
常に「ここではない何処かへ」逃れようとするが、それは自身の全てを受け入れてくれるコミュニティを求めて続けるが故なのかもしれない。
しかしながら彼女がその苦悩から抜け出せるきっかけが、同年代で“女性“のフリーデンクルーであるトニア・マームとの出会うことで訪れる。
エニルが働くバーの名前は「ライラック」、エニルの父ナーダ・エル第7次宇宙戦争のコロニー落とし以前に、宇宙革命軍によって行われた地球上陸作戦であるライラック作戦が想起されるが、紫のライラックの花言葉「初恋」「恋の芽生え」に注目するのも一興であろう。
ここでエニルとトニアはお互いの人生観を吐露する。

トニア「でもこんなメチャクチャな時代に生まれてさ、幸せって何だろうって考えない?」
エニル「でも戦争中はもっと悲惨だったんでしょ?」
トニア「今だって十分悲惨よ。さっきの話に戻るけど今の時代って幸せつかむのも不幸せになるのもぜーんぶ自分自身のせいだと思うのよ。私は自分の思うように生きる。自分で選んだ道を歩くの。原因は全部自分だから失敗しても誰にも文句言えないけど。での成功したら幸せ独り占め。誰かに寄っかかって生きるのはまだ先にしようかって思ってる。ずっとこのままってのお困るけど。」
エニル「ふーんなーんか羨ましいな。」

その後、トニアがフリーデンの人間だと知りこのエニルがフリーデンクルーの一員になることはご破算となるが、この邂逅がエニルにとって分岐点であったことは間違いないだろう。
過去のしがらみに囚われながら「あるべき私」の置きどころに苦しむエニルと対称的に、トニアは未来を見据え、自らの選択に責任を持ち「なるべき私」を提示する。(注3)
その後も彼女は1人で行動を続けるが、最後はフリーデンの一員となり、最終決戦では家となった母艦を守る役となる。

エニルの話を終わらせる前にガロードとの確執について触れておく。
ガロードに抱いていた感情はやはりシンプルに恋、それも初恋であると思われる。
孤独だった彼女が初めて出会った自分を受け入れる異性が現れたと思い込んだが拒絶され、それが一転憎しみへと転化する。
しかし様々な経験と出会いが彼女を徐々に変化させ、過去を背負いながら「なるべき私」を見出すようになったことにより、初恋の相手だったガロードに向き合うことが出来るようになった。
31話『飛べ、ガロード!』でエニルはガロードに惹かれた理由をこう語っている。

ガロード「でもどうして助けてくれる気になったんだ?」
エニル「言ったでしょ?いろいろあったって…」
ガロード「いろいろって?」
エニル「ハァ…私ずっと過去を引きずって生きてきた。子供の頃に父を殺されてからムチャばかりしてきた。そんな時にガロード、あなたに出会ったの。こんな時代に未来を信じているあなたを見て、私自分の運命を変えられるかもしれないって思ったわ。でもあなたにはティファがいた。私はあなたを憎んだ。それだけ気持ちが動いたってことね。でも私は負けた。戦いだけじゃなくて気持ちも負けたの。私はすべてを捨てて新しい人生を歩もうとした。けれどもそれもかなわなかった。あなたは私の最後の思い出なの。だから生きて帰ってくるのよ。もちろんあの子と一緒にね。」
ガロード「うん!」
エニル「女の子が本当に幸せになるのって戦争に勝つよりも大変なことなんだから!」
ガロード「うん」

エニルはガロードを「最後の思い出」と自らに落とし込み、ティファよりも遅れてガロードに出会ったことすら受け入れる。

遅れて到来する私

僕のもの。君のもの。

「この犬は、僕のだ」と、あの坊やたちが言っていた。「これは、僕の日向(ひなた)ぼっこの場所だ」 ここに全地上の横領の始まりと、縮図がある。

パスカル『パンセ』中公文庫 p.199

旧約聖書のヨブ記で主人公である善良な青年ヨブは神から艱難辛苦を強いられ、ヨブは神に「なぜこのような仕打ちを受けなければいけないのか」と問いかけ、
神はそれにこう答える

地の基いを私がすえたとき君は何処にいたか。

『旧約聖書ヨブ記』岩波書店p.142

神が世界を創ったのであれば、私は常に世界に遅れて到来することが定めとなる。
私は産まれる国や時代を選ぶことは出来ない。
自分より先にその場所に既に誰かがいて、何かを所有しており、私はそれに見合う対価を持たない。
ガンダムXの世界は戦後にまっさらな更地と化すが、産まれたばかりの戦災孤児はその争奪戦に出遅れる。
ティファが特別な力を持っていたら、権力者がその力を利用して富を築こうとし、カリスが人工ニュータイプの素質が優れていたら、それを使い復讐の道具とする。
パーラ・シスは宇宙の真っ只中の難民船で産まれ、その際に両親は死亡しており、その15年後に自身が所属する反宇宙革命軍組織サテリコンの基地が宇宙革命軍による荷粒子反応弾によって消滅する。
パーラは宇宙船という場所であるかも分からない出生地と、受け入れてくれた共同体の場所全てが塵と化しており、二度と戻れない故郷を2度も失っている。

パーラ「ガロード…よく見ておけ。革命軍本当の恐ろしさはこんなもんじゃない。」
ガロード「パーラ…?」
パーラ「それにしてもダセーよな。また故郷が消えちまうなんてさ。」
ガロード「パーラ…」

物語終盤に登場することもあり、恋愛描写は無いが、
パーラもガロードに出会うのが遅れていることを鑑みると色々と考えさせられる。
エニル・エルに関しては先述した通りである。
この他にも齢20でエスタルド人民共和国の君主にさせられるウィリス・アラミス、更にはドーザ一味に狙われていた白いイルカも望まない環境を強いられていると言えるだろう。

艱難辛苦。
戦災孤児はこの世界に遅れて産まれてしまったことを恨み、憤り、選択の権利すら持たない状況に絶望してもなんらおかしくは無いだろう。
しかしガンダムXで描かれるストーリーはそうではない。
艱難汝を玉にす。
これは困難な状況であっても苦しみもがき打開する意志を描く物語である。

ガロードは単騎で戦術的兵器を持つGX-9900を持ち、ティファは産まれながらのニュータイプ能力があり、2人が合わされば世界を簒奪するほどの力を持つ。
続く第二部ではその力をどうするかという観点で読み解いていく。

第二部 特別な力

ガロード・ランとサテライトキャノン

ガンダムXの世界において、ニュータイプが主に特別な力として扱われるが、それを通して使用可能になるサテライトキャノン自体も戦後という舞台では明らかに過剰な力であると言えるだろう。
作中でガンダムX、ガンダムDXが戦術兵器サテライトキャノンを使用するのは回想を除いて作中では9回しかない。

2話『あなたに、力を…』で絶体絶命のピンチで有象無象のバルチャー群へ。
5話『銃爪はお前が引け』でグランディーネもろともアルタネイティブ社研究施設へ。
7話『ガンダム売るよ!』で核爆発から逃れるために推進力として。
24話『ダブルエックス起動!』でもぬけの殻状態のゾンダーエプタ島へ。
25話『君たちは希望の星だ』で作戦として地球連邦軍の爆撃基地へ。
34話『月が見えた!』でティファを取り戻すために牽制2発とコロニーレーザー本体を直撃。
39話『月はいつもそこにある』ではフロスト兄弟が放つサテライトランチャーに対抗するため。

この中でも多数の人間の命を奪ったのは、知らずに放ってしまった初めの一発と、ティファを助ける為にアルタナティブ社にいる研究員もろとも吹き飛ばしたもの、多数人がいたであろう爆撃基地に向けてのものである。
巨大な力に翻弄される序盤、10話でサテライトキャノンが破壊されるとは言え、GXでは3発しか撃っておらず、その内1つは推進力のみに利用してる。
ダブルエックスに乗り代わってからは、カトックの遺言「過ちは繰り返すな」という言葉を、呪縛ではなく積極的に背負ったガロードは撃つこと自体にためらいを持ち、撃つ決断を見極める。(注4)
カトックは常に「15年目の亡霊」に取り憑かれ、後悔を抱える人物だったが、ガロードに出会うことで次の世代に託す決断をし、ガロードはそれを真摯に受け止め、戦争の火種となる過剰な力に対しての距離を探り続ける。

10話までガロードはニュータイプについてティファという普通の無害な少女と触れ合っているのみで、もしその力が自分に向けられたらという想像が足りていない状態だった。そこに人工ニュータイプであるカリス・ノーティラスによってニュータイプの凄まじさに体感することとなる。
第11話『何も考えずに走れ!』でカリスの力に圧倒され、ティファを奪われ塞ぎ込むガロードに艦長のジャミル・ニートは荒療治として外に連れ出す。

ジャミル「情けないな。女一人取られたぐらいでなんてザマだ。」
ガロード「違うんだよ。」
ジャミル「何が違う?」
ガロード「うっ…俺ニュータイプがあんなに強いなんて思ってなかった。それに俺には特別な力なんて無いし。」
ジャミル「特別な力か…」

ここでジャミルはガロードを凍った湖に連れていき、氷面にGコンを投げ捨てガロードに取ってくるように命じる。
戸惑うガロードに「特別な力はいらんだろう。」と言い残し置き去りにするが、ガロードがおっかなびっくりでGコンを手にした瞬時に足元の氷が砕けた時に、密かに見守っていたジャミルはこう叫ぶ「何も考えずに走れ!」
すんでのところで陸にたどり着いたガロードはジャミルにこう決意を告げる「俺走るよ!何も考えずに走る!」
魔法のような特別な力を使い物事を解決するのは夢の様なことではあるが、だからといって普通の人間がそれを出来ない訳では無い。
たとえ回り道をしようとも、踏み間違えようとも、たどり着けなくても前を向き足掻く決意の重要性をガロードは見出す。
同時期にGXのディバイダー装備改装を不眠不休で行った普通の人間のメカニック、キッド・サルサミルとの対比も相まって、このシーンは最終話にあるメッセージに向けての緩やかな始まりであると言えるかもしれない。(注5)
その後、ガロードをけしかけ発奮させたジャミル自身もコックピット恐怖症を乗り越え、特別な力に頼らずベルティゴのビット攻撃に対抗する。

ここでカリス・ノーティラスについても言及させて頂く。
ガンダムXにおいて印象的な力の放棄を表しているものがある。
カリスが使用していたベルティゴはガロードと対峙した時はビットを多用していたが、35話『希望の灯は消さない』でフリーデンクルーを救い出すために再登場してから、特別な力であるビット攻撃は一切使っていない。(注7)
かつて特別な力に固執していたカリスは、ガロードとティファと出会い、信じていた市長のノモアが自身の力を個人的な復讐の為にに利用されること知り、特別な力という幻想から解き放たれる。
第13話『愚かな僕を撃て』で特別な力を持たないガロードに敗北し、こう呟く。

カリス「これでいいのです。人工ニュータイプの僕が力の限り戦って普通の人間に敗北する。これで思い残すことはない…」

人工ニュータイプを作るために数々の人間を犠牲にして得た特別な力の虚しさを知り、破壊されたフォートセバーンの復興をシナップス・シンドロームという十字架を背負いながら行う決意をしたカリスは、特別な力に頼らないという選択をする。

その後もガロードは戦後に存在する過剰な力を目撃する。
ローレライの海ではジャミルのかつての想い人ルチル・リリアントとティファを通して出会う。
彼女はジャミルと同様、新連邦政府のニュータイプ部隊にいた1人で、フラッシュシステムという精神派で複数のビットモビルスーツを操るシステムのコントロールを指導していたが、第7時宇宙戦争の際精神を崩壊し、その後その能力を利用され、周囲の電子機器を操る事が出来るLシステムに組み込まれる。
15年を経て、再び禁断のフラッシュシステムに利用される危機が訪れたが、フリーデンクルーによって阻止され、兵器であるGビットはジャミルが乗るGXディバイダーによって全て破壊される。
19話『まるで夢を見ているみたい』でジャミルは叫びながら機能が停止したGビットを残さず破壊する。

ルチル「ジャミル、後始末をお願い」
ジャミル「ああ分かっている。こんなものはもう要らないんだ!」

もう一つの過度な兵器といえば、宇宙革命軍が地球に放とうとしたコロニーレーザーだろう。
これも先述の通り、サテライトキャノンで跡形もなく破壊された。

以上の通り、ガンダムXでは戦後という舞台でこれからの世界には必要のない過剰な力を削っていく過程を見る。
それは「過ちを繰り返させない」ことと「戦後という言葉をこれで終わらせる」という決意であり、力に対して力で対抗しようとする手段に対する別の方法を提示する。

全体の話を観てもガロードがティファの能力に極力頼らないことにも触れておく。
たとえ強力な特殊能力を持っているとはいえ、ガロードにとっては惚れた同い年のか弱い女子でしかない。
年頃の男子がカッコいいところを見せるために背伸びをして、無茶してでも守りたい、ただの等身大の健気な少年である。(注6)

ティファ・アディールとニュータイプ

ティファ・アディールについて語る前に作画監督であり、キャラクターデザインをされた西村誠芳さんのインタビューを引用させて頂く。

Q:そうですか。多分一番難しい質問ですが、『X』の一番気に入ってるキャラクターありますか?

西村誠芳:ティファですよ。

Q:やっぱりね。

西村誠芳:ただあのキャラもね、どこにも特徴がないと思うんですよ。ただ最終的に出来上がったものはなんとなく個性的なキャラになってるけど。そういう意味では割と奇跡的にうまくいった設定なのかなとは思いますね。『X』の時はとにかく線少なくして作画の負担減らそう、作画の負担減らそうと言うと偉そうだけど僕が苦労したくない。(笑)

スタジオダブの裏話: サンライズの名作アニメを作った人々 – 西村誠芳ロングインタビュー

最終回でティファが「普通の人間として暮らしたい」と願ったことから、彼女のある意味無個性なデザインはまさに奇跡と言える。

ガロードが物理的な力への距離感を測っていたとすれば、ティファは概念的な、精神的な力へと対峙し、一方は積極的に世界へ飛び出し、片方は世界からの豊潤な知見を受け止める。この2人の対称性を持つカップルはガンダムXの1番の魅力として受け入れられていると言っても良いだろう。
第2話『あなたに力を…』でサテライトキャノンを放ち、バルチャーを一掃した際にティファは死者の苦痛と恐怖を一身に受け止めてしまう。
第一部で既に触れたがティファは序盤でフリーデンの一室に籠り、その感受性の抑制という防衛手段として、他者とのコミュニケーションに消極的であったが、徐々に共同体を通して自分自身の力と向き合い始める。

フリーデンの外の世界で、フォートセバーンではカリスと出会い、海では特別な力を持つイルカと会話し、ローレライの海ではルチル・リリアントを通して己が持つ能力が実際に悪用され、新たな戦争の火種となり、悲しい世界の再来に怯える。
そんな中、29話『私を見て』で今まで予知夢を見ていたティファの夢がただの願望を持った夢へを変化していくシーンがある。
ニュータイプ能力の一環としてフリーデンの進む道を暗示していた彼女の夢は、想い人であるガロード・ランとの甘い触れ合いを望む普通の夢へと変化する。
ジャミルとテクスはティファの変化についてこう語りあう。

テクス「ニュータイプのことは私の専門ではないが、ティファの能力の低下には別の原因があるとにらんでいる。」
ジャミル「別の原因?」
テクス「うん…ガロードだよ。あいつはあいつなりに自分を取り巻く世界に目を向けるようになったからな。そのあおりを受けてティファが置き去りにされてしまったらしい。」
ジャミル「寂しさがティファの力の妨げになっていると?」
テクス「実は彼女夢を見たそうだ。口止めされているので内容は言えんが、ティファが時折見る予知夢ではない。むしろ彼女が抱いている願望と言うべきか。」

エスタルド人民共和国で国家と民族、そしてそれを取り込まんとする更に巨大な共同体を目にしたガロードは世界における自分の立ち位置を自覚し、積極的に参与しようとする姿勢を見せるが、ティファはそんなガロードを見て、ひたすら自分へ向けてきた彼の視線が他に分散されていくことに寂しさを覚える。
そんな折ふと夢の中で個人的な欲望が現れる。
ここでほんの少しかもしれないが、無意識ながらニュータイプという過剰な力が初めて減衰する。
それはティファがガロードとの明るい未来を意識し「なるべき私」を見いだしたからというのは言い過ぎだろうか?
ティファは今まで予知夢で出てきた景色を主に描いてきたが、(注8)この後ガロードをモデルにして2人の絵を真っ白なカンバスに描き始める。未来を見ることが出来るはずの彼女が、あたかもこうでありたい未来を描くかのように。

しかしながら、終盤の37話『フリーデン発進せよ』でティファは積極的に、より強い力を望むことになる。
想いのガロードと遂に添い遂げたが、地球連邦軍と宇宙革命軍が全面戦争をすることを知ったティファは、ガロードとの未来に影を落とす世界に怯え、望まなかった自身の特別な力を使ってでも戦争という悲しい世界を拒否する。

ティファ「このとき私は初めて自分の力をもっと欲しいと思いました。」

その後、ティファは昏睡状態となり、月にある旧連邦によって封印された最初のニュータイプが保管されている場所D.O.M.Eからのメッセージを受け取る。

ティファ「D.O.M.E?あなたがD.O.M.Eなの?でもどうして私を?私が望んだから?いいえ私の望みは他にあります。ここに来ることで私の望みはかなうのですか?」

D.O.M.Eはティファが力を欲していたことを受信し、それに応えようとするが、ティファは他の選択肢を提案する。

ここでようやく最終回『月はいつもそこにある』での問答へ向かう。
D.O.M.E内では作中に登場するほぼ全ての主要人物が“フロスト兄弟を除いて“一同に集まる。
ニュータイプ主義を掲げる宇宙革命軍のリーダーであるザイデル・ラッツと、地球圏統一を目指す新連邦政府の首脳フィクス・ブラッドマンという二項対立の極みであるこの2人もD.O.M.Eに耳を傾けるが、それぞれが相譲れない思想を持ち、過剰な力への執着ゆえにD.O.M.Eに非難される。
かつてニュータイプ能力を持っていたジャミルと、そのライバルであった同じく能力を失った宇宙革命軍大佐のランスロー・ダーウェルの“刻を見た“2人もニュータイプについて問いかけるが、D.O.M.Eはこう答える。

「そう…全ては幻である」と

ニュータイプ。
宇宙に出た人類が極めて鋭い洞察力や直感力を持ち、言語的な手段ではない方法で他者との誤解無いコミュニケーションを瞬時に行い、未来予知が出来る人の革新。
ここで一度、この言葉を括弧に入れて、先入観を取っ払って考えてみると、かなり曖昧な概念としか思えない。
D.O.M.Eが言うように「人を超えた力」と「人の革新」は別のことであり、むしろその二つを結びつけることはかなり無理があるように思える。
ガンダムXの世界で超能力を持つ人間は確かに存在するが、ごく限られた一部の人間しか持たないこの力に依存する不安定さ。
D.O.M.Eはこの不確かな概念より、より明確で地に足が付いた現実的な力を伝えるのである。

最終回の前の38話『私はD.O.M.E…かつてニュータイプと呼ばれたもの』で、同じ15歳の戦災孤児であるガロード、ティファ、カリス、パーラはこう語り合っている。

カリス「この戦いが終わったら、君たちはどうするつもりですか?」
ガロード「どうするって?」
ティファ「私はガロードと一緒にいます。」
パーラ「ちぇっ、ぬけぬけと言いやがんの。」
ティファ「はい。」
カリス「となるとガロード、君の決断がすべてですよ。」
ガロード「えっ…へっそうだな。俺いろんな所へ行ってみたい。そしていろんなものを見て、いろんな人と会って…そして考えたい。自分がどんな未来を求めているのかを」
パーラ「自分が求める未来かぁ…私はどんな未来を見つけるかな」
カリス「もしかして未来は…この世界に生きる人々の数だけあるのかもしれませんね。」
ティファ「守ってあげたい。みんなの未来を。」

ティファが持っていた人智を超える力よりもずっと確実な力がすぐそばにあることを知り、今まで苛まれてきた己の力を捨てる決断をする。

D.O.M.Eとの対峙でティファは概念的、精神的な過剰な力を完全に放棄する。
次いでガロードは己が搭乗するガンダムダブルエックスを使い、それに相対するガンダムアシュタロンハーミットクラブとガンダムヴァサーゴチェストブレイクと相打ち、更にその余波でD.O.M.Eそのものも消滅し、この世界に残された物理的な行き過ぎた力が全て消滅する。(注9)

フロスト兄弟とカテゴリーF

シャギア・フロストとオルバ・フロストの兄弟について触れる前にカテゴリーFについて少し説明をする。
フロスト兄弟の特殊能力は思考だけのテレパシーとは違い、五感全てを共有する。
しかしその能力自体ががカテゴリーFという呼称で呼ばれるわけではなく、あくまでもニュータイプ研究所が求めているフラッシュシステムに対応しているか否かという判断から、適応していない能力の総称でしかない。
「偽物の部類」と一方的に判断されたフロスト兄弟は世界そのものを憎む。

第24話『ダブルエックス起動!』でフロスト兄弟はこうアイムザット・カートラルにこう言い放つ。

オルバ「“復しゅう“と言ったら見当違いかな」
アイムザット「何だと?」
シャギア「お前には分かるまい“似て非なるもの“とらく印を押された者が、どんな思いをしてきたか」

38話『私はD.O.M.E…かつてニュータイプと呼ばれたもの』においてフロスト兄弟は真意を明らかにする。

シャギア「我々こそ世界の中心にあるべき存在だと分からせるためだ。」
オルバ「僕たちには生まれながらの力があった。」
シャギア「だがその力はフラッシュシステムに対応しなかった。」
オルバ「たったそれだけの理由で僕らは黙殺されたんだよ。」
ガロード「それが世界を変えようとする理由か?」
シャギア「貴様には分かるまい。人を超えた力を持ちながら評価を受けぬ者の苦しみが!」
オルバ「僕らが味わった屈辱そして絶望。それは…この世界の滅亡と引き換えにしてこそ癒される。」
シャギア「そして全てが破壊し尽くされたら、新たな秩序が築かれるのだ。」
オルバ「それが僕らが求める正しき未来だ。」

世界から拒絶されたと思い込んでいるフロスト兄弟は世界を破壊しようとする。
一見かなり極端な思考に見えるが、今まで我々が見てきたことを当て嵌めてみよう。
ガロードとティファが最初に形成した限りなく小さなコミュニティからフリーデンという共同体に出会った。
フロスト兄弟という“双子“は2人のコミュニティに固執し、他の共同体はあくまでも目的を果たすための手段であり、双子という一つの“極めて“閉じられた関係性にひたすらとどまる。(注10)
世界に遅れて到来したせいで、産まれながらの能力を勝手にカテゴライズされるが、カテゴリーFという烙印をどこかで自らが受け入れてしまっており、その捌け口を世界に向ける。
そして彼らは戦後世界において過剰な力を求める。
最終話『月はいつもそこにある』において、D.O.M.Eの送電施設を制圧したフロスト兄弟はサテライトキャノンに匹敵する兵器、サテライトランチャーを使用する。

シャギア「ジャミル・ニートはこの引き金を引いて心に深い傷を負った。ガロード・ランは引き金を引こうともしなかった。」
オルバ「けれど僕らは違う。ためらいも後悔もない。」

ジャミル・ニートはサテライトキャノンの引き金を引き地球の全人口の1/100まで減らす悲劇を引き起こし、その後悔を一生背負い続ける覚悟で残ったニュータイプを保護する活動を行った。
ガロード・ランは過剰な力との距離感を測り続け、自身が持つ巨大な力と向かい合い悩み続けた。
フロスト兄弟にためらいはない。
もしフロスト兄弟がいつかどこかでガロードやティファのような出会いがあったら、心を許せる拠り所への入り口が見つかっていれば、どうなっていただろうか。事実カテゴリーFに対して差別的な態度を取っているのは作中ではアイムザットのみであり、それ以外の新連邦政府の人間はこの2人を非常に高く評価している。
気持ちの揺らぎやためらいをしない閉ざされた2人の強すぎる決意が逃げ道を無くす。
D.O.M.Eはフロスト兄弟を迎え入れようとするが、2人はその強すぎる意志を持って拒絶する。
だがしかし、最終話でD.O.M.Eと触れ合ったガロードはフロスト兄弟に最後の手を差し伸べる。

ガロード「お前たちもD.O.M.Eに触れれば…」

もしフロスト兄弟が共にD.O.M.Eの中に入っていたら、彼らは自身が持つ特別な力や憎悪を捨てることが出来ただろうか?
ありがちな話ではあるかもしれないが、戦後という世界で誰しもがフロスト兄弟なる状況であったことは忘れてはならないだろう。

おわりに

以上、戦後という舞台のガンダムXで他者との出会いとそこから繋がる共同体と物理的、概念的な特別な力への向き合い方を見てきた。
この二つのテーマだけでも現在でも語られる普遍性がこの作品に込められている。

ガンダムXは宇宙と地球、ニュータイプとオールドタイプという二項対立、二元論から脱却している。
究極の二項対立で多数のコロニーが地球に落ちた荒廃した世界で人の心の光を示す物語ともいえるが、その光は現実的なものである。
その現実的で等身大な力はこの作品のエンディングテーマとして我々に伝えてくれる。

『HUMAN TOUCH』

最後に『機動新世紀ガンダムX』という作品を世に出してくださった高松信司監督をはじめとする製作陣の方々に精一杯の敬意と感謝の気持ちを伝えたい。

作中のセリフはバンダイチャンネルでの字幕をそのまま載せてある。

以下に参考にさせて頂いた製作者インタビューを貼っておく。
それぞれ非常に興味深いお話なので是非ご覧になって頂きたい。


注1 カリスに関しては作中で明確に天涯孤独とは言及されてないので誤りの可能性があり。

注2 他者とのコミュケーションは常に不完全性を持つ。哲学の他者論をここで語ることはないが、ジャン・ポール・サルトルの『存在と無』の第三部、エマニュエル・レヴィナスの『全体性と無限』から完璧な相互理解の不可能性は見出せる。

注3 実存主義的な考え方と捉えてもらってかまわない。

注4 この辺りはかなり議論の余地がある。なぜならカトックの意志を継いだからこそ、新地球連邦軍の軍隊に向けてサテライトキャノンを撃たずにゾンダーエプタへ撃った描写の次回に、作戦とはいえほぼ躊躇なく爆撃基地に撃ち込む描写に違和感は覚える。
ティファを救い出す際に破壊したコロニーレーザーの中心も恐らく人はいないであろうという推測の範囲である。

注5 キッドは普通の人間だが普通じゃない。

注6 ガロードがティファの能力を唯一あてにしたのは36話『僕らが求めた戦争だ』の冒頭で、囚われていた新連邦政府の基地からフリーデンクルーと合流する為のみであると思われる。

パーラ「で?ガロードどこへいくんだい?」
ガロード「ジャミルたちと合流する!ティファ俺たちを導いてくれ!」
ティファ「はい」

注7 ガロードによってビットを全て破壊されたという説明の方がしっくりくるが、象徴として特別な力からの解放である面が強いように思える。

注8 22話『15年目の亡霊』でカトックがコロニーで亡くなった家族の肖像画を描いている。
ティファにとって初めて誰かの為に描いた絵である。

注9 とはいえモビルスーツ含めて戦争の火種は未だに残る。
特にサテライトキャノンがないとは言え、ガンダムXディバイダーに内蔵しているフラッシュシステムや過去の戦争で使われていたガンダムタイプも残っているが、放棄する意志を示した人類がそれをどう扱うかという想像が残る。

注10 双子性という概念を見事に描いたミシェル・トゥルニエの『メテオール』という小説がある。
特に一卵性双生児は幼い頃から共同体に入ることにより、他者のまなざしによって「特異な存在」となるように仕向けられる。
双子を見る者は同じ顔が同時に存在するという稀有な存在に触れることによって、ある意味神秘的なものとなり、あたかも「特殊な力」を持つかのような錯覚を持つ。
フロスト兄弟は一卵性双生児ではないと思われるので本文には載せないが、自身が特殊な人間であるというプライドは幼い頃から誰よりもあったのかもしれない。


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