人は、今ある幸せに気づきにくい。離婚から1ヶ月と2週間が経った日。
激動の期間を乗り越えて、やっと生活が落ち着いた。
こちらの記事で、書いた通り、元夫のマンションを出ることになった私と愛犬。
ここまでを簡単に整理すると、
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離婚→実家生活(1週間)→愛犬の体調不良により元夫のマンション生活(1ヶ月)→あることがきっかけで、再び実家生活
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メンタル崩すのでは?という位、激動といえる期間だった。
そこからの実家生活を2日経て、更なる急展開を迎え、結論。
私と愛犬のみで元夫のマンションで暮らすことに。
(※注:元夫のマンションという表現をしていますが、厳密には元夫名義の賃貸マンション。このタイミングで私名義に変更。)
そして、元夫は彼の実家で暮らすことに。
なぜこうなったのかは、タイミングがあれば更新予定。
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人は、今ある幸せに気づきにくい①
そう。
人は、今ある幸せに気づきにくい。
それが人間なのかもしれない。
私と愛犬が、2人暮らしを始めて2週間が経過した頃。
元夫が荷物を取りに来るという名目で、我が家へやって来た。
もちろん、事前のアポイントはあった。
あの一件があってから久々に顔を合わせた。
お互い、あっさりと性格のため、その件をひきづることはなく、2週間ぶりの再会に、はにかみあった。
元夫は、仕事が休みの2日間を我が家で暮らした。
昔のように、私は彼に食事を作り、一緒に夕食を食べた。
この日は、長ネギのハンバーグと、エリンギの炒め物、ブロッコリーのサラダと、お味噌汁。
久しぶりに誰かのために作り料理は、つくり甲斐があった。
彼の体調を見ながら、塩の種類を決めたり、調味料を工夫した。
(我ながら良く出来た元妻だと思う笑)
彼は、とても美味しそうに喜んで食べてくれた。
ここでゆったり話をしながら食べるご飯が大好きだったなあと、昔の気持ちを思い出した。
その後、翌日は、近所のお寺に散歩に行ったり、家で映画を見ながら過ごした。
一緒に生活をする上では、心地よいと感じる私たちのため、お互いにとって、とても有意義な2日間を過ごした。
帰り際、少し多めの荷物を抱えた彼をみて、なんだか感じたことのない初めての気持ちになった。
彼との時間を懐かしみ、別々に暮らすことを強く実感した瞬間だった。
結婚生活を送っていた頃の私は、この幸せな瞬間を心から感じて、心から感謝をしていただろうか。
そんなことをふと感じた。
人は、今ある幸せに気づきにくい②
結婚生活を送っていた頃、職場からの帰り道、肌寒いある日の夜。
季節は、春になろうとしている冬の終わりだった。
「私は、何年この苦しみや辛さに争い、生きるのだろう。」
「結婚していて、こんなにも孤独な人はいるのだろうか。」
「次のこの季節、私は誰と、どんな生活をしているのだろう。」
「もし、運命とかソウルメイトとかいうものがあるとすれば、まだ出逢ったことのない彼は、今の私を救い出してくれないだろうか。」
なんて空想をしていた。
それから、数年が経って、私たちは離婚をした。
この頃の私は、本当の意味での幸せを感じる力が弱かったのかもしれない。
でも、人間はそんなものなのかもしれない。
幸せとは、今あるものに感謝をすることである。
頭では分かっていても、
その現実が日常でなくなった瞬間に、人は「あの時幸せだった。」と気がつくものだ。
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