光の柱

(読了目安8分)


昔から一部の人に見られている幻覚のひとつ、「光の柱」について書いてみます。


みなさんは「ドラゴンボール」というアニメを知っていますか?
「光の柱」を見る体験をすごく大げさに表現すると、アニメ中に出てくるスーパーサイヤ人への変身シーンと同じです。
周りの人には見えませんが、変性意識状態になっている本人には、自分に降りてくる光の柱が見えることがあるんです。


以前は「特殊な世界の特殊な人だけのもの」と思われていた「光の柱」の体験が、インターネット時代になり、実は誰にでもありえる一般的なものだとわかってきました。


「光の柱」を見る体験は、変性意識状態の中の、「光を伴う幻覚体験」のひとつですが、その中でもっともインパクトが大きく、その人が飛躍的な進歩をしたときに見えるものだと思われます。
※2006年にマスターが「光の体験」で見た光は、ステンドグラスのような数色の光がキラキラしたもので、光の柱のような派手なものではありませんでした


みなさんも今後、変性意識になったときに「光」を見ることがあるかもしれませんから、そうなってもビックリしないように、そして、「私は神だ・神を見た」なんて言わないように、本文をよく読んでください。
また、光の体験やその他の覚醒体験の後、仕事や私生活に悪い影響が出ている友達がいたら、このnoteを紹介してください、きっと自分に起こった出来事を冷静に考えられるようになります。


◎「光の柱」ってなに? 


「光の柱」は、変性意識状態の中で見る「幻覚」です。
マスターが調べた限りでは、脳内に「良い変化」が起こったときに見られる傾向があり、薬物中毒者やアルコール中毒者が見る「負の幻覚」とは別モノです。


まず大前提として「変性意識状態」があり、そのときに起こる現象のひとつに「幻覚」があります。
さらに、「幻覚」の中にもいろいろあり、そのひとつに「光を見る体験」があります。
さらにさらに、「光を見る体験」にもいろいろあり、そのひとつが「光の柱」です。
変性意識→幻覚→光を見る体験→光の柱、こんな感じです。



◎光の柱は昔から表現されている


みなさんは、スピリチュアル系の話や昔の神話などで、「白い大蛇」とか「白い龍」が出てくることがあるのを知っていますか?
これらが「光の柱」を表現したものだと思われます。


宮崎駿の映画「千と千尋の神隠し」に登場する「ハク」も白い龍ですが、あれも、光の柱を大きな力の象徴として表現したものだとマスターは思っています。


また、

「天から白く光る柱が自分の頭に降りてきた!」

「あれは私に神が降りてきた証拠だ!」

「私は神と一体化した!」


などの言葉を聞くこともあると思いますが、これも「変性意識状態」での体験談としてよくあります。


「光の柱」を見た人の多くは、良くも悪くも、それまでより大きな内面的パワーを手に入れます。
(ドラゴンボールの覚醒シーンでは、筋力もかなり上がっているように見えます・・・)


実際は、自分が覚醒したから光の柱を見ているわけですが、光の柱が見えるメカニズムがまだ解明されていなかったころは、解釈の順番が逆で、「光が降りてきた結果、自分が覚醒した」と思う人もいたようです。
これは「光が降りてきて私に叡智を授けてくれた」みたいな古文書の表現、または絵などに見られます。
昔の人は光を「神」としか説明できず、「神が降りてきた」と信じていたのかもしれません。


ただ、「神が降りてきた」と言っても、神の姿は誰にも表現できませんから、神の化身として、どうしても「圧倒的な存在になりえる生物」が必要になり、「白い大蛇」とか「白い龍」を連想したわけです。
光の柱が3センチの「ミミズ」ではなんとなくイメージが悪いですし、30センチの小さなヘビでは説得力がないですからね。


そもそも龍という動物はいませんが、おそらくその表現は、「白い大蛇」という表現でもしっくり来なかった人が、「力」や「知恵」「覚醒」「神」の象徴として、「ヘビより派手で神秘的な生物」を作り出した結果生まれたんだと思います。


いずれにしても「光の柱」を見たということは、その人にとって「大きな変化・覚醒」が起こったということです。



◎どのようなときに見るのか


人はどのようなときに「光の柱」を見るのか。
普段の生活の中で、一般の人が「光の柱」を見るときについて書きます。


ひとことで言えば、


「心が成長するとき」です。


人は心が成長するとき、変性意識状態の中で光の柱を見ます。
ただし、人によって個体差があり、見るための条件はそれぞれ違います。


以下、「心の成長」を「筋トレ」に例えながら説明しますね。


筋トレをして、筋肉に強い負荷がかかった後、だれでも筋肉痛を経験したことがあると思います。


そして筋肉痛が治るとき、それまでの筋肉より強い筋肉になり、前回と同じ負荷がかかったときでも耐えられるようになります。
(これを「超回復」と言うようです)。


ですから、常に筋肉に負荷をかけ続けると、筋肉痛を経ながら筋肉モリモリの人になるわけです。


ただし、トレーニングを激しくやりすぎると、必ず「故障」がついてまわります。


筋肉が回復する前に次のトレーニングをしてしまうと、逆に筋肉が壊れて衰える場合がありますし、また「腰痛、脱臼、骨折」などのトラブルを繰り返すと、場合によっては成長できないまま再起不能になります。


・・・以上が、「筋肉の成長には筋肉痛を伴う」という話です。


では、心が成長するとき、つまり精神的な成長のときは、心にどんなことが起こるんでしょうか。


上記の、筋肉の成長には「筋肉痛」を伴うという理屈から書くと、心の成長には「心痛」を伴うということになりますね。


それって、その通りなんです。


肉体的な成長に筋肉痛が伴うなら、精神的な成長にも、なにかの痛みが伴うのが道理です。


心に強い負荷がかかった後、心が痛むことはありますよね。
そして、その痛みが治るとき、それまでの心より強い心になり、前回と同じ負荷がかかったときでも耐えられるようになります。


常に心に負荷をかけ続けると、心の痛みを経ながら精神力がモリモリの人になるわけです。


ただし、筋肉同様、心の痛みを激しく体験しすぎると、必ず「故障(躁鬱状態・PTSDなど)」がついてまわります。


心が回復する前に次の負荷をかけてしまうと、心が折れてしまうわけです。

では、心が折れた人は、元気がなくなり、うつ状態のまま生きていくんでしょうか・・・


そんなことはありませんよね。


その傷をバネにして、這い上がる人がほとんどです。
中でも、必要な条件が揃った人は、追い込まれたとき特有の「爆発的な力」を発揮します。


追い込まれたとき特有の爆発的な力には2つあり、ひとつは、

「もう一人の人格を作って心の負荷を回避する」、

そしてもうひとつが、

「脳の基本能力を飛躍的に向上させる」、

という方法です。


ひとつめは、現在では「解離性同一性障害(多重人格)」と呼ばれる精神疾患です。
これは、「もう一人の自分を作り、心の傷を負ってもらう」という、自己防衛反応です。
人間にとってマイナスの反応とされています。


そしてもうひとつ、「脳の基本能力を飛躍的に向上させる」という方法があります。
これが「覚醒・悟り・目覚め」などと呼ばれるもので、他人に迷惑をかけない限り、精神疾患とは言われません。
このとき脳がなにをするのか・・・
イメージとしては、強い負荷に耐えられなくなった脳が、「これじゃまずいぞ」と開き直り、神経回路の効率化や耐久力の向上を目指すために、脳を一度バラバラにして組み直すような感じです。


言ってみれば、「脳の完全リニューアルオープン」です。



脳の基本能力が飛躍的に上がるということは、それまでよりも物事の本質に近付くことができる、ということです。


スマホのカメラの性能で言うと、10年前のものと最新のものの違いです。
感度が10倍ぐらいになった上に画質まで向上し、暗いところも明るく見え、動いているものも止まって見え、被写体の細部まで的確に把握できるようになった、という感じです。


たとえば、包丁を見て、それまでなら「ああ、包丁ね」と思っていた人が、「脳のリニューアルオープン」後は、

「片刃かな? 両刃かな? 材質はなにかな? 研ぎ方はどんなかな? 右利き用かな? 刃渡りは何センチかな?重さは何グラムかな?」

などと、次々に疑問が湧き、即座に解決していくような「高い感度」を身につけるようになります。


生活のあらゆる場面で感度が上がり、たくさんのことがどんどんリンクし続け、物事の本質に近づけるようになるわけです。



この「脳の完全リニューアルオープン」のときに起こるイベントのひとつが・・・


そうです、



「光の柱」



なんです。


これは「脳からのメッセージ」と受け止めることもできます。
「基本性能を上げたから安心しなさい」、という知らせなのかもしれませんし、覚醒記念の「打ち上げ花火」みたいなものかもしれません。


上に書いたように、人は光の柱を見るから覚醒するのではなく、覚醒した結果として光の柱を見る、ということです。


「光の柱を見る条件は、脳に強い負荷がかかり続け、良い意味で脳が爆発的な力を発揮したとき」・・・こう覚えておいていいと思います。


ちなみに、現代の医学や科学では、光を見るために脳に負荷をかけても必ず見ることができるとは言えません。
脳に負荷をかけた結果として、光を見ることがある、というだけです。


◎錯覚


最後にちょっとした遊びです。
以前紹介したものですが、人の感覚がいかに曖昧なものかを知る「錯覚」について、マスターお気に入りの画像です。


いろいろなブログやHPで見る有名な画像みたいです、楽しんでください。

下の画像のAとBのマスは同じ色なんですって 。

エドワード・H・エーデルソン


「え? 白と黒でしょ?」と言いたくなったので、マスターはプリントアウトして切り抜いて確認しました。
結果は・・・確かに同じ色でした。
なかなかおもしろい画像です。


・・・


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