生きる練習が必要な理由
(読了目安4分)
「車を上手に運転できるようになりたい」と思ったとき、みなさんはどうしますか?
願うだけではなく、運転の練習をしますよね?
では「テニスの大会で優勝したい」と思ったとき、みなさんはどうしますか?
願うだけではなく、テニスの練習をしますよね?
なにごとも、上達したいなら「練習」が必要です。
ですから、「幸せに生きていきたい」と願うなら、願うだけではなく、幸せに生きる練習をしなければいけないこともわかるはずです。
そうなんです、人生が楽しくないと思っているみなさんは、幸せに生きたいと願いつつ、幸せに生きる練習をしていないんです。
どんなことでも、上手になりたいと願うなら練習が必要なように、上手に生きたいと願うならそのための練習が必要です。
マスターが思う「上手に生きる」とは、もちろん「幸せに生きる」ということです。
人を上手に騙しながら生きるとか、法律のスキマを縫うように生きるなどではありません。
単純に楽しい意味での「幸せに生きる」ということです。
昔のマスターは、お金がたくさんあることや、彼女がたくさんいることが幸せだと思っていました。
しかし今では、それは一時的なもので「幸せ探しの過程で通りすぎるもの」または「心の痛み止め」のような気がしています。
みなさんも、なにか買っても楽しいのは数日間だけだったり、パートナーや仕事に対して「なんか違うかも」と思ったりしたことはありませんか?
実際にマスターは昔、そんな思いが続いた時期があります。
その経験から、「お金や異性ではもっと多く求めるだけになってしまい、結局幸せになれない」ということを学び、次のステージを模索し始めたのは30歳を過ぎた頃でした。
そして「自分の幸せは人と人の心の問題にありそうだ」ということに気付き、物を手に入れたり人から好かれたりすることも大切だけど、もっと大切なのは、物をあげたり人を好きになったりすることだと気づきました。
そして自分がどんな人を好きになるのか考えたとき、「尊敬できる人」を好きになるとわかりました。
人の「良いところ」を探すと、その部分を尊敬でき、尊敬できる人と関わることでマスター自身が幸せになります。
そう考えると、次に必要なことは、マスターが尊敬される人になることで他人が幸せになれるのではないか、という考え方です。
そして、幸せな人を見ると自分も幸せになれるので、結局自分が尊敬される人であり続けることが、自分の幸せにつながっているとわかります。
つまり、幸せになりたいなら、自分を鍛え続け、人から尊敬される部分をひとつでも持ち続けなければならないということです。
マスターは、尊敬できる人と一緒に過ごす時間が幸せですから、逆を言えば、マスターが孤独になるなら、その理由はマスターが尊敬されていないから、ということです。
「幸せになりたいなら、尊敬される人になる」、つまり、生きる練習とは、マスターにとっては「尊敬される人になる練習」と言えます。
みなさんはどんな人を尊敬できるか考え、そんな人になってください。
お酒を大量に飲める人を尊敬するなら、自分がそうなればいいかもしれません。
スポーツが得意な人を尊敬するなら、自分がそうなればいいかもしれません。
豪快にお金を使う人や異性にモテモテの人を尊敬するなら、自分がそうなればいいかもしれません。
今のマスターの場合は、精神的な大人度や新しいことに挑戦する力、問題解決能力、本質の探究力などに魅力を感じますから、自分がそんな人になるために日々練習をしています。
◎まとめ
ここまでいろいろ書きましたが、生きる練習が必要な理由は、願っているだけではなにも変わらないからです。
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