父 人生を楽しんでいる人 6 NGO裏話
(読了目安8分)
今回も前回からの続きで、NGO裏話です。
☆肋骨を6本折っても
☆寄付した人の自己満足?
☆村に電気が入ると
☆王様を超えたとき
この4話です。
☆肋骨を6本折っても
25年ほど前の話です。
ネパールには、一般市民の交通手段としての「電車」がないため、長距離の移動は「バス」がメインになります。
今はどうかわかりませんが、25年前のネパールでは、長距離バスの運転手による「飲酒運転」は当たり前だったそうです。
しかも、整備不良のバスが未舗装の道路を走ることも多く、事故が絶えませんでした。
転倒、転落、ぬかるみから出られない、接触・・・
いろいろな事故があり、いまだに死亡事故も頻発しているんだそうです。
当時、父が長距離バスに乗って移動していた日のことでした。
後ろの方の席で眠っていたところ、突然襲った強い振動と、「バリバリバリ!」という音に驚き目を開けると、なんと、バスの運転席が、「前」ではなく「下」の方に見えたんですって。
それは、バスが崖を転落していく途中の光景でした。
その光景の後、父の記憶は途切れ途切れになります。
誰かに支えられながら崖を這い上がっている記憶や、激しい痛みの記憶などをはさみ、気がつくと病院で寝ている自分がいました。
その事故で、父は肋骨を6本折ってしまったんだそうです。
肺には水を抜くためのチューブが入り、とても痛い日が続いたため、8時間ごとのモルヒネの投与が楽しみだったそうです。
入院設備がある病院は、山奥の村から離れた「町」にあります。
退院までの2ヶ月間、事故のことを聞いた何人もの村人が、場合によっては何日もかけて歩き、病院までお見舞いに来てくれたんだそうです。
村でお金を集めてフルーツを買ってきてくれたりして、大きな痛みと大きな感動を同時に味わった入院だったそうです。
・・・
雪崩の事故に続き、バス事故でも九死に一生を得た父は、「それでもネパールにいたいならいさせてやろう、生まれ変わったつもりでネパールの役に立ちなさい」という天の声を聞いた気がして、さらにネパールに夢中になっていきました。
事故をきっかけに日本でのんびり暮らすこともできましたが、父からの手紙には、「それでもぼくはネパールが好きなんです」とありました。
みなさんは、父親がこんなだったらどうします?
マスターは、肋骨を6本折ってもそんなことを言う父に、「危ないから帰国しろ」なんて言う気にはなりませんでした。
息子としては、残された命を完全燃焼させ、悔いのない人生を送ってもらいたいと願うだけです。
☆寄付した人の自己満足?
NGO活動をしている団体へのお金の寄付についてです。
世の中には、「お金を使った」「支援をした」「感謝された」、こんな事実だけが欲しい人や団体があります。
感謝状や寄付金の領収書を集め、「支援をした・社会貢献した」と宣伝するためです。
その一方で、本当に支援をしたい人は、自分の足を使い、現地に入ります。
または信用できる人や組織を本気で探して支援します。
なぜなら、前回も書いたように、安易な支援は貧富の差を広げ、新たな争いを生む場合があり、本来の目的の逆になってしまうからです。
金銭にまつわる日本の裏事情もひどいかもしれませんが、発展途上国では、日本では考えられないような不正がまかり通っています。
ですから、単純に「1万円寄付したから誰かが救われた」とは言えないことも多いんです。
「お金を寄付した」という自己満足が目的では、NGO活動本来の目的を達成できないばかりか、争いの元を作る可能性さえあります。
父も数多くの失敗を重ね、ここ15年ほどで、「愛」をベースにした「お金の使い方」を覚えたようです 。
人には様々な欲があります。
みなさんもなにかを寄付する時は、なにを目的に寄付をするのか、自分の満足なのか、相手のことを思ってなのか、一度考え直してみてください。
☆村に電気が通ると
日本では、人が住む場所に「電気」が通っているのは当たり前ですが、ネパールの山奥では、村に電気が通っていないことも少なくありません。
時代の流れとして、どの村でも「電気」を欲しがります。
村に電気が通るとなにが起こるのか、父から聞いた話です。
マスターの父の家がある村は、住み始めた当初は村に電気がなく、数年後、父が関わっていない行政事業の一環として、車道ができ、電気が通りました。
山奥の村に「電気」の支援をすると、村人はテレビを見るようになるんだそうです。
テレビを見ると、世の人が楽しそうに、そして裕福に暮らしていることを知り、「自分も」とあこがれます。
商品の宣伝を見ることによって物欲が芽生え、現金収入を得るために、男性の出稼ぎ者が増えるんだそうです。
そうすると村の働き盛りの男性が減るらしいんです。
それから、照明があるため夜になっても寝なくなるそうです。
近代日本と同じですね。
「電気が入ると物欲があおられる」ということなんですが、それが単に悪いことかはわかりません。
異文化や文明に触れることで、教育が進み、村の文化も発展する場合があるからです。
マスターの父に限って言えば、電気を通すための支援はしていません。
村に電気が通ると、電気から逃げるように、さらに奥の村に行くんだそうです。
電気がない奥の村には、命に関わるニーズがあるからです。
ということで、村に電気が入ると・・・
「欲があおられる」
「現金を求め働き盛りの男性が出稼ぎに行く」
「夜ふかしをするようになる」
「父がさらに奥の村に行く 」
こんなことになるようです。
電気がない村の家
電気がない村の日常的な食事です
質素な食事だということがよくわかると思います
電気がない村の子供たち
毎日片足で靴ヒモを結ぶ練習をしています
ネパールの山奥と日本の中心地では、照明の差は歴然です。
マスターは日本の明るさが好きですが、25年以上薄暗いところに慣れている父にとっては、明るすぎるようです。
ネパール山奥の歓迎の席(奥の左側が父・先日も掲載した写真です)
焚き火とランプの明かりだけで、狭く薄暗い部屋です
ホテルでの活動報告 (マイク前が父、オレンジ色のストールが妻です)父いわく「落ち着かない・まぶしいほど明るい」そうです
☆王様を超えたとき
みなさんは、自分が関わった人が活躍してくれると嬉しいですよね。
そんな話です。
以前、父に「ゴルカダッチンバウ4」というメダルをくれた「ビレンドラ国王」は、その後、王室での銃の乱射によるクーデター(?)で亡くなりました。
父がネパールに住み始めて7年ほど経ったころだったと思います。
国王が射殺されてから2年(父がネパールに住んで9年)が過ぎたころのことです。
父のネパール在住10年を記念した式典を開催しようという声が上がりました。
父からの支援を受けた村人たちが、それまでの活動に対する「お礼」をするための式典で、各村、各機関の有志が集まり、祝ってくれることになったんです。
それぞれの代表者が、壇上の父に「お礼の言葉を伝える」という形の式典でした。
式典の当日、集まってくれた人の数は1万5千人でした。
父は集まった人の多くと個人的に面識があるため、式典中は以下のようなことを考えていたんだそうです。
「みんな交通費はどうしたんだろう?」
「え?あなたの村からだと歩いて5時間でしょ、わざわざ?」
「あなたは病気が治ったんだね」
「ムリして歩いてだいじょうぶ?(身体が弱い人たちに対して)」
「みんなトイレはどうするんだろう」
「みんな食事はどうするんだろう?」
「式典のあとじゃ、その日のうちに家に着かないでしょ、どこに泊まるの?(歩いて1日以上かかる村人に対して)」
村での厳しい生活を知っている父は、こんなことを考えながら、村人たちへの感謝の気持ちでいっぱいだったそうです。
以前、この式典の会場に「ビレンドラ国王」も来たことがあるんだそうです。
そのとき、会場に集まった人の数は4千人だったそうです。
王様の3倍以上の人を集めた父の記念式典は、新聞やラジオでも報道され、地域の一大イベントになったとのことでした。
式典に前後して急に人が増えたため、その町の「水」が足りなくなったという話もあったようです。
「王様が来たときよりたくさんの人が集まった」というニュースを聞いたとき、マスターは、「なるほど、これが父の恩返しなのか」と感じずにいられませんでした。
王様は以前、父を王宮に呼んだとき、「ありがとう」という感謝の言葉とメダルをくれました。
そのメダルのおかげで父の活動がやりやすくなったのは事実です。
たとえばあなたが王様だったら、自分がメダルをあげた人が活躍すれば嬉しいですよね。
ですから、「王様を超えること」は「愛」と言えます。
先人を超えていくこと・・・それが愛に近づくということです。
みなさんにも、親をはじめとして、恩をくれた人や、恩師、先輩などがいますよね。
そんな人たちを少しでも超え、社会の役に立つことが、その人たちへの「愛」です。
そして何度でも書きますが、そそいだ愛は必ず返ってきます。
父の10年式典の数年前に、王様からメダルをいただきました(先日も掲載した写真です)
これによって父の活動がしやすくなりました
10年式典に集まった人たちは1万5千人だったそうです
10年分の愛に包まれた一日でした
ネパール式の「正装」だそうです
王様に恩返しができたでしょうか
今回はこのへんで。
次回以降、以下の内容の予定です。
☆内戦が続くネパールで (父がネパールにいられる理由)
☆立ち上げるのはいいけれど
☆警察官の死体が
☆愛し続けるとどうなるか 父の場合
・・・
投稿タイトル一覧は以下です。