K子は非常識 ―愚痴の話―

(読了目安9分)

みなさんの周りに、「非常識な人」はいますか?
今回は、「長く愛されない理由は、愚痴を言っているから」という話です。


・・・


◎愚痴を言うと成長できない

寂しい女性は、ストレスを溜めます。
そして、ストレス発散方法のひとつとして、「愚痴」を言います。


SNSに愚痴を投稿しても気がおさまらないと、「ちょっと聞いてよー」と、誰かに電話をしたり、飲みに誘ったりする女性もいます。


そして、愚痴を聞くのは誰もがイヤですから、愚痴を聞く側は、「見返り」を求めます。


見返りを求める人は、愛を欲しがる人ですから、愚痴で繋がる人間関係は長く続きません。
言う側も聞く側も、利益がなくなると離れていきます。


そして、最終的に愚痴を聞いてくれるのは、「身内」です。
身内は、イヤだからといってすぐに別れることはないからです。
よくあるのが、親子で愚痴を言いあうパターンで、お互いに誰からも愚痴を聞いてもらえなくなり、最後の手段として身内で愚痴を言い合うわけです。
この関係になると、悪い意味での相互依存になり、最悪の場合はどちらかがこの世を去るまで依存関係が続きます。


愚痴は、「自分が正しい」という考えが発端になりますから、「自分が悪かったから自分を変えよう」という思考にはならず、愚痴を言い合う仲が続く限り、お互いに成長できないままです。


つまり、

愚痴を言う人は成長できない。
成長できなければ、愛とはなにかわからないまま歳を取る。
愛を知らないから愛をそそぐことができない。
愛をそそげないから愛されない。


ということになります。


愚痴を言うと成長できないため、愛されることもありません。



◎愚痴を言う人はヘンな人


みなさんは、「自分が正しい」と信じて疑わない人と一緒にいたいと思いますか?
愚痴を言う人は、「自分が正しい」と信じている人ですが、本当に自分が正しいなら、その「正しい判断力」で生活している本人は幸せなはずです。
愚痴を言うのは、「幸せではないから」ですが、だとしたら、愚痴を言っている時点で、その人は「私は正しくない」と言っていることになります。


・・・愚痴を言う人は、「愛」という視点から見れば「ヘンな人」なんです。


愚痴が出ることの本質は、「自分が正しいから」ではなく、自分が間違っているため他人が離れていき、「寂しいから」です。
そして、寂しいのは、「理解者がいないから」です。
理解者がいないのは、「他人を理解しようとしないから」です。
理解されたいなら、まずは他人を理解することが必要です。
たとえ理解しあえなくても、理解しあえないということが理解できれば、ストレスは減るはずです。


相手の態度が自分の思い通りにならなかったとしても、それはある意味当然のことなんです。
あなたが相手の期待に100%応えられないのと同じで、相手もあなたの期待に100%応えることはできません。
思い通りにならないからといって、人を責めたり、批判したり、愚痴を言ったりしてストレスを溜めるのは、限られた時間しかない人生においてもったいないことです。


相手の対応次第で自分の気分が変わるということは、相手次第の人生になってしまうということです。
相手次第でイライラしたり落ち込んだりするなんて、まるで子供だと思いませんか?


あなたは、あなたの責任で自分を幸せにしてください。
他人がどうであれ、幸せなあなたでいましょう。
人を責めたり批判したり愚痴を言ったりする時間をなくし、その分を愛をそそぐ時間に使いましょう。
それが長く愛されるということです。



◎K子は非常識


以下、愚痴を言うことがなぜいけないかという代表的な話です。
以下のようなことになっていないか、愚痴を言いたくなるみなさんは、気をつけてくださいね。


登場人物は、愚痴を言う「A子」さん。

A子さんの愚痴を聞く「B子」さん。

A子さんの愚痴の原因になっている「K子」さん。

この3人です。


・・・


A子さんがB子さんに対して、K子さんのことで以下のような愚痴を言いました。

「K子は常識がないよね」

「K子っておかしいよね」

「K子はなにもわかってないわ」

「K子はバカだね」


B子さんにとってはどうでもいいことだったんですが、とりあえず、「そうだよね、K子ってちょっと非常識なところもあるよね」と同調し、A子さんとしては、「K子は非常識」という結論で話は終わりました。


しかし後日・・・再びA子さんはB子さんをつかまえ、また同じ愚痴を言い始めました。


「K子は常識がないよね」

「K子っておかしいよね」

「K子はなにもわかってないわ」

「K子はバカだね」

B子さんはとりあえずうなずきながら話に付き合いました。
そしてさらに数日後、A子さんはB子さんをつかまえ、K子さんの愚痴を言い始めました。
B子さんはあいかわらずその話に付き合っていましたが、内心はどうでもいいことでした。


さて、みなさん、不思議に思いませんか?
A子さんは、一回目にB子さんと話したとき、「K子は非常識だ」という意見で確定したはずです。
だとしたら、K子さんが非常識なことをしても、A子さんはもう愚痴を言う必要はありませんよね。
非常識な人が非常識なことをすれば、それは「当たり前」のことであって、特別に気にすることはないはずです。


たとえばあなたの知人に、認知症の「G子ばあちゃん」がいるとします。
あなたが周囲に対して1年間ずっと、「G子おばあちゃんは認知症だよ」と言い続けたら、あなたも周囲から認知症だと思われます。
同じように、非常識な人を1年間ずっと「非常識だ」と言い続けたら、言っている本人も周囲から非常識だと認識されます。


もしその人を非常識だと言うなら、感情的にならず、1回言えば充分なんです。
それ以上言うと、自分も非常識の仲間入りです。


しかし、人は不思議なもので、A子さんのように、同じ人のことで何度も愚痴を言い続ける人がいます。


・・・いったい、なぜだと思います?


簡単に言えば、「寂しいから」なんですが、それだとわかりにくいので補足しますね。


人は自分の価値観を押し付けようとする動物です。
実は、A子さんはK子さんに、自分が理想とする人に近づいてもらいたいんです。
自分の価値観と同じであってもらいたいんです。


「私と同じように常識的であってもらいたい」

「私と同じように常識的であるべきだ」


という期待が常にあるため、イライラし、愚痴が終わらないんです。
A子さんは、一方でK子さんを「非常識だ」と確定し、一方で、「私と同じように常識的であってもらいたい」と期待しているわけですから、これじゃストレスが溜まりますよね。


たとえば今のマスターは、「あの人は非常識だ」と思えば、そのつもりで対応しますから、その後なにをされても愚痴になることはありません。


「マスターには理解できないけど、それはそれでいいでしょ」

「あの人だいじょうぶかな、長く愛されない気がするけどなあ」


という感じです。
しかしA子さんはK子さんに自分の常識を「期待」し、期待通りにならないとストレスをかかえ、愚痴を言ってしまうんです。


またA子さんには、

「K子さんも自分と同じ価値観であってもらいたい」


という期待の他に、


「B 子さんと一緒にK子さんを批判してB子さんとの団結力を強めたい」

「B子さんには私の気持ちを理解してもらいたい」


などの欲もあるかもしれません。


しかしA子さんがそんな気持ちになってしまうのは、「自分には理解者がいない」という「寂しさ」があるからです。
心から信頼できる人がいる人、つまり「寂しくない人」は、愚痴を言いません。
そんな暇があるなら、愛をそそぐために時間を使います。


愚痴を言うA子さんには、「大人の思考の男性」は近づきませんから、A子さんは、以下の悪循環から抜けられなくなっているわけです。


寂しいから愚痴を言う


愚痴を言うから信頼できるパートナーができない

信頼できるパートナーができないから寂しい

寂しいから愚痴を言う


人がおかしな行動をする場合、その原因を掘り下げれば、多くの場合「寂しさ」に行き当たります。
A子さんのように、同じ人を題材にして何度も「あの人は非常識」と愚痴を言うのは、実は、言っている本人が寂しさにやられてしまい、おかしくなっている場合がほとんどです。
ですから、愚痴を言う人には、大人の思考の人は寄り付きません。


この悪循環から抜けるには、「愚痴を言わない」、これに尽きます。
しかし多くの人が、「心の痛み止め」として誰かに愚痴を言いたくなり、この投稿の最初に書いたように、SNSに投稿したり、「ちょっと聞いてよ」と誰かに話したり、電話をしたりしてしまうわけです。
愚痴を受ける側は、自分の利益になる範囲では愚痴を聞いてくれますが、利益にならないと判断したら離れていき、そしてまた寂しさの連鎖が・・・


これで悪循環の完成です。


この悪循環に入りたいなら、愚痴を言ってもOKですが、入りたくない人は、自分の力で悪循環を断ち切ってください。

<A子さんに少しの愛があれば>
A子さんに少しでも愛があれば、B子さんにK子さんの愚痴を言うのではなく、直接K子さんに話すはずです。
非常識なことをするK子さんの幸せを願い、「K子さんがA子さんにとって非常識なことをしなければならない理由」を尋ねたり、どんなストレスがあるのか親身になって尋ね、その解決方法を一緒に考えたりすることはできるはずです。
愛がないと、ただイライラしてしまい、K子さん本人にではなく、B子さんに愚痴ってしまうわけです。


A子さんに少しの愛があれば、K子さんの非常識さも改善されたかもしれません。


原因となる人に対する愛があれば、愚痴ではなく、相手を思う落ち着いた気持ちでの「提案・忠言」となります。
逆に、原因になる人に対する愛がなければ、イライラをベースにした愚痴を、本人以外の人にぶつけることになります。


◎まとめ


人は常に幸せになりたいと思っています。
自分の考えが正しい人は幸せになっていますから、愚痴を言いません。
愚痴は、いろいろな意味で「間違えている人」が口にするものです。
間違えている人は孤立しますから寂しくなります。
寂しいから愚痴を言い、愚痴を言うから愛されない、愛されないから寂しいまま・・・


長く愛されたいなら、愚痴を言わないことです。


今回は以上です。
長めの投稿でしたが、最後までありがとうございました。

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