木のまな板が使われなくなっている理由
(読了目安10分)
みなさんが使っている「まな板」は、木製ですか?それともプラスチック製ですか?
現在、木のまな板の需要が減りつつあります。
そしてそれには愛をベースにした理由があります。
ちょっと長めの投稿ですが、お付き合いください。
・・・
プラスチックという素材が生まれてから、「木のまな板」の需要が減っています。
以下の項目ごとに説明します。
・全体を充分に濡らす必要がある
・手入れや保管の手間がかかる
・変形する
・品質が不安定
・不衛生
・ニオイが落ちにくい
・コストがかかる
・もうひとつの視点
・余談:環境保護
※書くのはあくまでも家庭レベルです。
プロが使う「木のまな板」はカンナで削り直すものもあり、一概に当てはまりません。
・全体を充分に濡らす必要がある
水分がある食材を切るとき、木のまな板は全体を濡らしてから使うことが前提ですが、その理由は、乾いたままだと食材の水分が木の奥まで染み込んでしまうからです。
食材の水分は「栄養分」を含んでいるので、奥までしみ込んでしまうとまな板の内部で雑菌が増え、不衛生になり、内部から傷むので寿命も短くなります。
また、乾いたまな板に水分を吸い取られ、食材がくっついてしまう場合があります。
それらを防ぐため、使う前に表面を水で濡らし、液体の染み込みを防ぐ必要があります。
・手入れや保管の手間がかかる
木のまな板を衛生的に保つことはできますが、除菌と乾燥の手間がかかります。
保管するにも、洗った後に風通しが良い日陰で乾かす必要があります。
まな板を2枚以上持っていると、しっかり乾くまで重ねられないため、保管に場所をとります。
プラスチック製のまな板は、洗ったら放置しておけば、翌日には乾いています。
・変形する
木ですから、時間が経つにしたがって「そり」が出てしまうことがあります。
変形すると包丁とまな板の間にスキマが出て「切り離れ」が悪くなり、調理に時間がかかります。
プラスチックは変形がありません。
・品質が不安定
木のまな板は自然のものを切って乾燥させているため、同じものは1つもありません。
同じ木目がないことを「個性的」と考える人もいますが、まな板は道具ですから、マスターは「品質のムラ」だと考えます。
同じものがないということは、変形の仕方も違うということです。
つまり、お気に入りのまな板を見つけたとしても、次に買うまな板は、期待した能力を発揮できない可能性があるわけです。
ですから、気に入ったと思って他人にオススメしても、相手が喜ぶとは限りません。
その点プラスチック製のまな板は品質が同じなので、買い替えても期待通りの能力で安定しています。
・不衛生
包丁でつけたキズのすき間に食材の水分が入り込み、雑菌が繁殖した結果黒ずんでしまいます。
また、まな板の四隅や断面など、「洗わない部分・手の脂が付きやすい部分」にも雑菌が繁殖し、放置していると黒ずんでしまいます。
「真ん中以外が黒くなりやすい」ということです。
黒く汚れたまな板は見た感じも不衛生なので、精神的にも悪影響です。
木のまな板が黒くなるのは、食材の栄養分の他に、木そのものが有機物のため、菌のエサになるからです。
その点プラスチックは菌のエサになりませんから、黒くなりません。
また、木は塩素系漂白剤などの除菌剤を原液で使うと少しずつ溶けてしまうため、除菌が中途半端になりがちです。
プラスチック製は水分を吸わず、塩素系漂白剤を原液で使うこともでき、衛生的です。
・ニオイが落ちにくい
上記「不衛生」に通じることですが、食材の水分が入り込むということは、ニオイも入り込むということです。
特に魚のニオイがつくとやっかいで、まな板を片面だけで使う気使いや、魚専用のまな板を用意する必要が出てきます。
また、魚にかぎらずネギ系のニオイが他の食材に移ることもありえます。
やはりプラスチック製の方が、ニオイのリスクが少ないと言えます。
・コストがかかる
木のまな板は、まな板そのもの変形や、柔らかいことによるへこみ、カビによる変色などがあるため、良い状態を維持するためのコストや、買い替えの頻度が高くなり、不経済です。
プラスチック製のまな板はほとんど減りませんから、毎日作業しても変形せず10年でも20年でも使うことができます。
木のまな板をカンナで削り直すことはできますが、作業をプロに頼んだら、それだけで新しいまな板が買える金額になる場合もあり、やはり不経済と言えます。
・もうひとつの視点
上記までは、木とプラスチックの比較でしたが、視点を変えると、木のまな板が使われなくなっているもうひとつ理由は、「ステンレス製の包丁が登場したから」です。
木のまな板にもいろいろな硬さがあるんですが、日本人が使ってきた木のまな板は、プラスチック製より柔らかいものです。
なぜ柔らかいまな板が必要だったかというと、昔の包丁の刃は刃がもろかったからです。
現在、硬くてしなやか、つまり欠けにくい金属が開発され、まな板として木を使う必要がなくなりました。
木とプラスチック製では、上に書いてきたように、総合得点でプラスチック製が圧倒的に有利です。
「強いステンレス包丁があるんだから、木じゃなくてプラスチック製のまな板でいいでしょ」となるのは当然の流れと言えます。
※「和食の職人は昔から木のまな板を使っている」と言う職人が、硬いステンレス製の和包丁を使い、頻繁にまな板の面出しを外注していたら、おかしなことかもしれません。まな板をプラスチック製に変えればバランスがとれるはずですからね。
・余談:環境保護
マスターは環境保護活動家ではないので、これは余談程度に書きます。
二酸化炭素排出量を減らす(木の伐採を減らす)という目的から、木を原料とする紙の減量、「ペーパーレス化」が進んでいます。
この数年で大きくシェアを伸ばしている「電子書籍」もペーパーレス化のひとつですが、木のまな板を使わないことも、環境保護の一環だという考えがあるようです。
もちろんこの意見に反論もあります。
「プラスチック製のまな板を使うとマイクロプラスチックごみが出る」というものですが、マスターは、自分がプラスチック製のまな板を30年ほど使ってきた経験から、この理屈には懐疑的です。
どちらかと言えば、木の伐採を減らす方がマスターにはしっくりきます。
各項目に対する説明は以上です。
以下、もう少し続きます。
結論として、プラスチック製のまな板と比較して、木のまな板の利点はほとんどありません。
もし利点があるとしたら、「刃当りの良さ」と言われる人間の感性に訴えるものや、包丁の刃が減りにくいことですが、今は木より柔らかい素材のプラスチックもあります。
感性の面は「好み」でいいと思いますが、包丁の刃が減りにくいという面については、利点と言えるか微妙です。
刃が減りにくいということは、「板が柔らかく、削れてくぼみができてしまう」ということで、それは「まな板の寿命が短い・食材の切り離れが悪くなる」ということを意味しますから、まな板がまな板としての役割を果たせなくなるまでが早く、まな板をたくさん消費するということです。
まな板も、削り直して面を平らにすれば傷もリフレッシュできますが、マスターは、変形しないプラスチック製のまな板を平らなまま使い、包丁を研いだ方が衛生的だと思います。
なんと言っても、包丁なら自分で研げるんですから。
柔らかい木のまな板は「ハガネ」というもろい金属を使っていた時代に、「刃を守る」という意味もあったわけですから、高性能な金属が開発された現代、木のまな板を使うのは時代遅れとも言えます。
ですから、家庭用の丈夫なステンレス包丁を使っている人が、柔らかい木のまな板を使うという組み合わせは、時代に合っていないと思います。
そう考えると、店から勧められるままステンレス包丁と木のまな板を買っている人は、木のまな板を売りたい店から出る情報を信じているだけかもしれません。
さて、木のまな板だけを売って利益を上げている企業は、新素材である「プラスチック製」のまな板に対して、「木の方が味があっていい」「木の文化を守ろう」「木のぬくもりを感じられる」「自然の良さ」などと言うこともありますが、たとえばそれは、「金属」という新素材が出てきたときに、石器の刃物を売っていた人が言ったであろう言葉と同じです。
しかし、石器を売っていた人が
「石の方が味があっていい」
「石の文化を守ろう」
「石のぬくもりを感じられる」
「自然の良さ」
などと言っても、時代は石器の刃物から金属の刃物に移行しました。
石器の刃物は「同じものがない・落とすと割れる・力を入れると割れる」などの短所があり、金属の方があらゆる面で便利だったからです。
過去のもので「雰囲気や味わいがあっていい」と言われていたものはたくさんありました。
「アナログカメラ(フィルムカメラ)」や「黒電話」、「レコード」、「手紙」などは、みなさんも知っていると思います。
しかし、アナログカメラはデジカメへ・・・
黒電話はガラケー、そしてスマホへ・・・
レコードはCD、そして半導体ストレージへ・・・
手紙はEメール、そしてLINEやテレビ電話へと進化しています。
「味があっていい」という言葉は、それを売って生活をしてきた人たちが、それまでの生活を維持するためや、過去の物にコストをかけすぎて引っ込みがつかなくなってしまった人たちから出る場合も多いんです。
本当に味があって好きならそれを使えばいいんですが、現実はきっと、レコード屋の店主もスマホで音楽を聴いていますし、ボールペン字や書道の先生も、LINEでコミュニケーションしています。
時代は便利な方へ移行しているというのが現実です。
◎考えてみましょう
人間は、より便利なものを使おうとする生き物ですから、木のまな板が使われなくなった理由は、木のまな板がプラスチック製のまな板と比較して、トータルで不便だからです。
また、将来は、プラスチック製のまな板も使われなくなっていく可能性があります。
それは、日本人が、まな板としてさらに適性の高い素材を見つけたときか、「切ること」よりも合理的な生き方を見つけたときです。
野生動物を見ればわかるように、大昔は「切る」という作業そのものがありませんでした。
しかし人間だけが、刃物を発明し「切る」という作業をするようになり、切る作業が高度になるにつれて、「まな板」が必要になりました。
人間の文化は、「切らない」から「切る」に移行したわけです。
大昔は「切らない」、そして近代は「切る」です。
では未来はどうでしょうか。
人類は、未来永劫、切り続けるんでしょうか。
未来になって人類が進化したら、また大昔とは違った意味で、切らなくなる可能性も残っていますよね。
マスターは、未来の人間は、切る作業をしなくなると思います。
なぜなら・・・ ・・・ ・・・
答えは書かないので、以下、みなさんも考えてみてください。
<大昔> 切らない(刃物がなかったため)
↓
<現代> 切る(効率よく栄養を摂るため・食事を楽しむため)
↓
<未来> 〇〇(〇〇のため)
考えるのは、この「〇〇」の中です。
いろいろな想像ができて楽しいと思います。
ヒント:
人間の歴史は、ケガや病気から逃れることです。
刃物はケガの原因になります。
◎まとめ
木のまな板が使われなくなっている主な理由は上に書いた通りですが、大きな視点からひとことで言えば、「木のまな板は、プラスチック製のまな板と比較して愛と言えないから」です。
「木のまな板は先代の形見だから使いたい」
「使うのは自分だけだから」
「感触が好き」
など、強い理由があるなら、木のまな板も意味のある道具だと思います。
しかしこだわりや意地、誤解だけで「黒く汚れた木のまな板」を使い続けている人は、プラスチック製のまな板を使う人と比較して、大切な人を感染症の危険にさらしていると言えます。
プラスチック製のまな板を使う方が、より愛に近いわけです。
最後にマスターが使っている道具の写真です。
「プラスチック製のまな板」と、洗った食器を入れる「プラスチック製のカゴ」です。
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2つとも厨房から出してきたものです。
「まな板」は15年以上、その下の「カゴ」は34年使っています。
まな板では肉も切り、毎日お客様だけでなく、家族やスタッフの食事も準備します。
よく見れば汚れているんですが、15年間業務に使っているわりにキレイです。
カゴも34年使っているわりに、キレイだと思います。
「腐らず汚れが落ちやすい」・・・これがプラスチック製品の長所です。
価格は、両方とも3千円以下だったと思います。
余談:和包丁が使われなくなっている理由
和包丁が使われなくなっている理由も、結局木のまな板よりプラスチックのまな板の方が愛に近いのと同じで、家庭用としては、和包丁より洋包丁の方が愛に近い包丁だからです。
和食の職人でさえ、自宅では洋包丁を使っている場合がほとんどです。
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