宗教 13 より神に近い人とは

(読了目安9分)

◎より神に近い人とは



「愛されたいなら愛しなさい」、これは大人の世界のルールで、このルールに反すると愛は手に入りません。
愛を実践しなければ、愛されていても理解できないからです。


「愛をそそぐ」とは、愛とは何かを理解し、それを実行することです。
愛をそそいでいる状態としてわかりやすいのは、「わたしもあなたも周りも楽しい」という状態でしたよね。
その一例として、「お酒を飲まないことが愛」とマスターは書きました。
たとえばあなたがお酒を飲んでいるとき、あなた自身は楽しいかもしれません。
しかし、帰りを待ってるパートナーは、心配したり、不満を抱えている場合があります。
同時にあなたの病気や事故の可能性も増えますから、「周りも楽しい」という状態ではありません。
また、カップルや夫婦で飲んでいる場合、本人同士は楽しいかもしれませんが、飲みすぎが原因のトラブルが起こったり、親や子供が心配したり、二日酔いで仕事に影響が出たりして、周囲にとって良いことはひとつもありません。
「飲まなければストレスを解消できない」という状態も「愛」ではありません。
ストレスを抱えた人のイライラした言葉や表情を見て、愛だと感じる人はいませんからね。


一方、本物の神に近づいている人は、ストレスを感じませんから、お酒を飲まないんです。
ストレスを感じないのは、社会の仕組みや心の仕組みを知っていて、不安や不満をすでに超えているからです。
「その仕組みを知れば、不安はやがて娯楽になる」ということはいつも書いているとおりです。
実は以前、夜の露天温泉に行ったとき、同行した女性が、排水溝から水が出る音を「野生の生き物」が出す音だと勘違いし、あわててその場から離れました。
しかしマスターが、「排水溝からお湯が流れ出て行く音だよ」と説明したとたん、彼女の「不安」は「笑い」に変わりました。
これは、「その仕組み」を知って、彼女の意識が変化したからです。


また、たとえば、あなたが「いじめ」と感じることであっても、大人の思考の人は「私のどこかに原因があるんだろうから、まあしょうがないか」、もしくは、世界の様々な文化をたくさん見てきた人なら、「きっと文化の違いだろうな」などと、簡単に処理できます。
実際に「いじめ」だったとしても、大人の思考の人は、「あの人かわいそうに、私をいじめないと精神を安定させられないのね。将来が心配だけど、したいならそうすればいいわ」と軽く処理してしまいます。


「物事の本質に近い人・本物の神に近い人」は、ストレスから解放されていて落ち込んだりしませんから、長い時間「愛」をそそぐことができます 。
一方、自分が神だということを理解できず、ニセモノの神を前に右往左往している人は、同じことが起こっても落ち込んだりストレスを抱えたりし、愛をもらうことばかり考えるため、愛をそそぐことができません。


念のためもう一度書きますね。
同じことが起こっても、「受け取り方」次第で、それがストレスになるかならないか、分かれるんです。
神に近い人ほど、ストレスを溜めませんから、愛をそそぐことができます。
結果的に、神に近い人ほど、長く愛されます。


ですから、愛をそそいでいない人は、
「自分の中の神に気づいていない人」
「自分が神だとわからない人」

ということです。
・・・だからこそ神を外側に探し、「宗教」に目が向いてしまうんです。


「この宗教が本物よ!、この宗教をやらないと幸せになれないのよ!」と騒いでも、得られる充実感は一時的なものです。
一方、愛をそそげる人は、自分の中の神を見つけていますから、宗教がなくても充実していられるわけです。


「神に近い人」というのは、「愛し方を知っている人」「知恵のある人」「大人の思考の人」などです。
「自分も相手も楽しい、周りも楽しい」という状態を、自分の責任で作れる人、と言ってもいいと思います。
ですから、仮にあなたが「私は神だ」と言いながら、渋谷の交差点の真ん中で瞑想なんかしていても、みんなが迷惑しますから、そんなあなたはニセモノの神なんです。


宗教でも、宗教間で神同士の争いがよくありますが、その神の存在が他の負担になっているようでは、やはり本物の神ではないんです。


その神がいることで、みんなが幸せになる・・・これが本物の神です。
ですから、本物の神になるのはとても難しいことです。
だれでも他人に迷惑をかけている部分はありますからね。
また、神に近い人ほど、他人の中に眠る「神」を引き出すことができます。
言葉ではなく、行動で、相手の中に眠る神を呼び起こすことができるんです。
「その人と一緒にいるとなぜかいつも楽しい・いつも心地よい」こう感じることがありますよね。
もちろんその気持ちが永遠に続くことはないかもしれませんが、その瞬間は、神に近い人によってあなたの中の神が呼び起こされているんです。


神に近い人というのは、あなたの中の神を呼び起こす力を持っていて、あなたの中の神の存在を気づかせる力がある人とも言えます。



◎愛をそそいでいるあなたが本物の神


「神」という言葉を聞いてイメージされるものは、「美しいもの」ですか?、それとも「醜いもの」ですか?


きっと、ほとんど誰もが「美しいもの」というイメージを持ちます。
ということは、美しいあなたこそが「本物の神」です。


では、「美しいあなた」とはどんなあなたでしょうか。


外見が美しいあなたですか?・・・


違いますよね。


もちろん相手を不快にさせないためや心配させないためのマナーとして外見は大切ですが、外見だけでは「美しいあなた」とは言えません。
美しいあなたとは、愛情をそそいでいるあなたのことです。


マスターがお気に入りの、こんな歌詞があります。

あなたが美しいのは、愛されようとするときじゃなく

あなたが美しいのは、ただ愛そうとするとき



たとえば、赤ちゃんを抱いている母親は、赤ちゃんに愛をそそぎ、赤ちゃんは喜び、周囲も笑顔で見ていますから、そのとき、「本物の神」と言えます。


「聖母マリア」に代表されるような状態ですから、みなさんもイメージしやすいと思いますが、いきなり「あなたが神です」と言われてもピンとこないかもしれません。
しかし前回書いたように、人類の誕生と共に神が生まれ、人類の滅亡と共に神もなくなるということを理解できれば、人間が神だとわかります。
あとはそれに気づくだけですが、自分が神だと気づくというのは、「本当の意味」で気づいているということです。
マスターが書く文章を読んで、単純に「私は神なのね」と、表面的に理解することじゃないんです。
ですから、「あなたは神です」と言われて、今すぐあなたに劇的な変化が起こらないのは当たり前です。
自分の中の神に本当に気づいたとき、あなたは劇的に変化しますが、気づくには時間が必要です。
今は焦らないでいいですし、心配もいりません、安心して日々を過ごしてください。


ではこれまでの話をまとめます。


問 「本物の神とはなにか」


回答 「それはあなたです」



問 「より神に近い人とは」


回答 「愛をそそいでいるあなたです」




となります。

・・・


壮大なテーマかと思われた「本物の神とはなにか」でしたが、本物の神とは、美しいあなた、つまり愛をそそいでいるあなたのことだとわかりました。
一人一人が愛をそそぐことができれば、地球は「愛の星・神の星」です。
とても単純な話なんです。


こんな単純なことなのに、人類はこれまで悩み続けてきましたし、これからも悩み続けていくのかもしれませんね。


では以下、神や愛について短編をいくつか書いておこうと思います。
長く愛されるためのヒントにしてください。


<短編>


神を探すとは、自分を探すということです。
神を見つけるとは、自分を見つけるということです。
神を求めれば、だれもが最後に自分の心を見つめることになります。
神を見つけるとは、自分が神だと気付くことです。



本物の神に近づくためには、ニセモノの神を排除しなければなりません。
本物のあなたに近づくためには、ニセモノのあなたを排除しなければなりません。
本物の神を探すということは、本物のあなたを探すということです。
本物の神を探すとき、外に向かって探す必要はありません。
あなた自身が神だからです。
神はあなたの中に、幸せはあなたの中に、愛はあなたの中にあります。
あなたは、あなたが求めるものを全て持っています。
それに気づいていないだけです。



人生とは、

あなたの中の神を見つける旅、

あなたの中の幸せを見つける旅、

あなたの中の愛を見つける旅、

命が尽きるまで続く旅です。



神、幸せ、愛・・・あなたの中にあるのに、なぜ宗教にそれらを求めるのでしょうか。
「お金があれば幸せになれる」
「あの人が愛してくれたら幸せになれる」

こう条件をつけるたびに、あなたの中の大切なものが見えなくなっていきます。



人はだれでも「長く愛されたい」と願いますが、その願いを叶えるには、「長く愛すること」が必要です。
あなたが生涯愛されたいなら、あなたは生涯愛し続けてください。
あなたが求めている人生は、長く愛される人生です。
それはすなわち長く愛し続ける人生です。




「神」「あなた」「愛」はどれも同じものです。
あなた自身が、自分が神だと気づくこと・・・それが「悟り」です。



あなたは愛し続けることを望んでいます。
愛し続けているあなたが「本物の神」です。



以上です。


「本物の神とは・より神に近い人とは」というテーマは、だれもが人生の途中で一度は考えなければならないものかもしれません。
高校生のころのマスター、30代のマスター、そしてアラフィフのマスター・・・それぞれ「神」に対する考え方が違いますが、今現在のマスターは、上記のように考えています。


次回、「宗教14 宗教をやってはいけない理由」で、ひとまず宗教についての話を終わります。

・・・

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