外側から内側へ ―「女達」から「孤独なエゴ」へ―
(読了目安6分)
今回は、20代のマスターがくじけそうになったとき、立ち上がる勇気をもらっていた曲を紹介します(今でも好きな曲です)。
「自己紹介」にもあるように、マスターの20代は、「愛をくれ!」と叫び続けた20代でした。
愛を探し続け、他人を責め、あらゆるマイナス感情を外側に向けて吐き出していたような気がします。
難病も抱えていて、仕事もしていませんでしたし、見えない未来に不安を抱えていました。
現実と理想のギャップに打ちのめされ、それでも自分を見つめず外側に愛を求め続けた20代でした。
今のマスターから見れば、そんな若いときの悩みはかわいいものですが、当時のマスターにとってはまさに「本気(マジ)」でした。
くじけそうになったとき、みなさんはどうしますか?
男なら「お酒・タバコ・ギャンブル・女」が代表的かもしれません。
マスターもだいたい「女」に走っていましたが、落ち込んだときにもうひとつ、「音楽」がありました。
その音楽の曲名は、浜田省吾の「家路」です。
今回はこの曲の歌詞に注目して紹介しますので、聴いたことがある人も、ちょっと付き合ってください。
「人は必ず成長し、愛は自分の中にあると理解できるようになる」・・・こんなことがわかってもらえると思います。
そしてこれがわかると、「愛をくれ!」と叫ばなくなります。
自ら先に愛を発信できるようになり、その結果、愛されるようになるからです。
「家路」という曲そのものは1980年に発表されましたから、浜田省吾が27歳前後のときの作品ということになります。
マスターがなぜ歌詞に注目してもらいたいかというと、この曲は、彼が40代のとき、歌詞に変更があったからなんです。
変更の理由は「前の歌詞ではもう歌うことができない」という、浜田省吾本人の意思だったようです。
なぜ前の歌詞では歌うことができなくなったんでしょうか・・・
それはきっと、浜田省吾が、自分の中に「愛(答え)」を見つけたからなんです。
20代に作った歌詞では、本当の愛が見つからない理由を、女性たちのせいだと歌っていました。
しかし変更後は、自分のせいだと歌っているんです。
歌詞の変更箇所のフレーズを書きます。
20代の浜田省吾 (1980年)
「そして女達は、愛という名のもとに、俺を上と下に引き裂いた」
40代の浜田省吾
「そして孤独なエゴは、愛という名のもとに、俺を上と下に引き裂いた」
40代の浜田省吾は、歌詞の中の「女達」という部分を、「孤独なエゴ」に変更したんです。
歌詞について本人にきいたわけではないんですが、以下、マスターの推測とネット上の情報を元に書いてみます。
「女達は俺を上と下に引き裂いた」というのは、そのまま解釈すると、「女達は俺を上半身と下半身に引き裂いた」ということですが、他の解釈だと、「女達は俺を理性(上半身)と本能(下半身)に引き裂いた」
「女達は俺を誰とでもセックスする男にした」
「頭と身体は別だということを知った」
「頭ではわかっているけど、浮気や不倫をやめられない男になった」
「女のことを考えると心が乱される男になった」
などだと思います。
20代の浜田省吾は、自分の中に起こる「心の乱れ」を、女性のせいにしていたんです。
つまり、トラブルの原因を「外側」のせいにしていたんです。
そして歳を重ね、40代になった浜田省吾です。
自分を上と下に引き裂く原因を、「女達」から「孤独なエゴ」に変更しました。
「俺を上と下に引き裂くもの・・・それは他人ではなく自分だった」
こう理解したわけです。
これを本当に理解した人が、自分の中にある愛を見つけることができるんです。
彼は、おそらく50代でタバコをやめています。
お酒も自分からはすすんで飲まないということでした。
50代の男性が、それまで続けていたお酒やタバコをやめ、女遊びもギャンブルもしなくなったなら、それはきっと、自分の中に愛を見つけたからです。
そして自分の中にはっきりと愛を見つけると、たとえ慣れ親しんだ自分の歌の歌詞であっても、変更しなければ歌えなくなるわけです。
多くのアーティストのテーマは、いつの時代も「ラブアンドピース」です。
しかし、お酒やタバコをやりながら「愛こそ全て!」、なんて言ってるうちは、まだまだ子どもの思考なんです。
マスターのことと合わせてもう少し書きます。
20代のマスターが聴いていた1980年発表の「家路」は、自分の心の乱れの原因を「女」たちのせいにした歌詞でしたが、20代のマスターはこの歌詞を聴いてなにも違和感はありませんでした。
しかし、以前久しぶりに、「浜田省吾、なにしてるかなー」と「家路」を検索したところ、歌詞が変更されていることに気付き、驚いたんです。
変更されている歌詞で聴いてみると、今のマスターには、浜田省吾の心の変化がよくわかりました。
マスターも、お酒もタバコもやめ、結婚し、子育てを体験するなど、それなりに成長していたからだと思います。
みなさんも、今は挫折感を味わっているかもしれません。
「愛をくれ!」と叫び続け、悪循環の中で途方にくれているかもしれません。
しかし人は自分を見つめていくと、いつか自分の中に愛があると気付きます。
それに気付いたとき・・・実際にマスターもそうなんですが、本当に世界が変わります。
浜田省吾も、20年歌い続けてきた歌詞を変えなければ歌えなくなるほど「愛は自分の中にある」ということを痛感したんだと思います。
以下、「家路」のPVです。
主人公の女性が、父親(?)の遺灰を持ち、「空とこの道 出会う場所」に向かうストーリーです。
「家路」とは「人生」、そして「人生」とは愛にたどり着くための旅です。「どんなに遠くてもたどり着いてみせる」という部分は、「まだ愛にたどり着いてないけど、世代を超えてでもたどり着こう、諦めず努力し続けよう」という彼なりの表現だと思います。
昔の映像も織り交ぜられ、複雑な展開になっています。
どう見るかは、人それぞれの感じ方があっていいと思います。
「そして孤独なエゴは」という歌詞は、PVの1分49秒の部分です。
浜田省吾「家路(新バージョン)」(オフィシャルサイトより)
https://www.youtube.com/watch?v=B1DGRJeUHwU&list=PL0tbb435o851Q5b5avZL23yBt6MN1l7Kx&index=16
愛はあなたの中にあります。
それを見つけるまで、どんなに遠くても歩き続けましょう。
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