父 人生を楽しんでいる人 8 まとめ
(読了目安9分)
今回の第8話で、マスターの父の話は終わりにします。
ここまで読んでくれたみなさん、ありがとうございます。
最後も長めですが、お付き合いいただけたら嬉しいです。
☆警察官の死体が (写真はありません)
父から聞き、とても考えさせられる話でした。
ネパール内戦当時のことです。
普段はネパールの山奥の村々を歩いている父ですが、なにか用事があるときは、必要に応じて町まで出ます。
そんなある日、町のロッジに泊まった時のことでした。
夜中から明け方にかけて、反政府組織マオイストと警察の間で銃撃戦が始まりました。
もちろん父を狙った銃撃戦ではないですから、狙い撃ちされることはありませんが、すぐそばで銃声が続き、さすがに怖かったそうです。
翌朝、外に出ると、「警察官の死体」を見つけたんだそうです・・・銃撃戦の犠牲者です。
主義主張、立場はどうであれ、数時間前まで彼は生きていました。
必死に戦い、そして亡くなっていった人の姿を、マスターの父は目の当たりにしたわけです。
その死体は、マオイストから見れば「敵」なんでしょう。
しかし父から見れば、好きな国の国民です。
父はネパールが好きですし、そもそもみんな同じ「人間」です。
死んだ警察官には、親もあれば、妻や子もいたかもしれないんです。
勤務が明けたら、娘と遊ぶのを楽しみにしていたお父さんだったかもしれません。
家族の悲しみは、他人には想像できないほど大きなものだと思います。
当時ネパールには、マオイストに夫を殺された警察官の妻、逆に警察官に夫を殺されたマオイストの妻、戦闘で自分の子を殺された親だっていたはずです。
肉親が殺されるのは、人間にとって最大の悲劇と言えるかもしれません。
彼らは、いったいなにと引き換えに死んでいったんでしょうか・・・
そもそも内戦にならないようにするには、なにをすればいいんでしょうか・・・
それを考えるには、まず内戦の原因を知る必要があります。
内戦の主な原因は、「貧富の差・政治腐敗」です。
これらは、「不正なお金のやり取り」に集約されます。
そして、人が不正にお金を稼ごうとする理由は・・・、
もちろんなにかを買いたいからですが、なぜ買いたいんでしょうか。
・・・それは、ひとことで言えば、「寂しいから」です。
他人よりも贅沢をしたい、周囲から「すごい!」と羨ましがられたい、周囲から「ありがとう」と感謝されたい、そんな気持ちを満たすために、人は「お金」に頼ろうとします。
不正をするのは男性が多いですが、その理由は、決して「一家の長として家族を養うため」ではありません。
もし家族に対する愛があるなら、「不正をする父親」になるはずはないからです。
たとえば、妻や子供に贅沢をさせるために不正をするなら、他人から「いいお父さんね」と言われたいという欲だったり、「お金があれば子供が幸せになれる」「贅沢をさせてやるのが愛」こう信じているお父さんだからです。
不正をして稼ぐ父は、必ず心のどこかがゆがんでいます。
そんな親に育てられて、子供が愛に近づけるはずはありません。
そして、不正がバレてしまったら、家族は周囲から、「犯罪者の家族」と言われてしまうんです。
どの国でもそうですが、不正をして稼ぐ男性は、社会のためや顧客のためではなく、間違いなく個人の目先の欲を満たすことを目的にしています。
個人の目先の欲というのは、不正にまつわるニュースを見ればよくわかりますが、たとえば、大きな家に住みたい、愛人を何人も囲いたい、飲み屋のお姉ちゃんから褒められたい、おいしい物をたくさん食べたい、同級生から羨ましがられたい、みんなにご馳走して感謝されたい・・・
こんな利己的な欲です。
中でも、世の中の不正は、男性の「性欲」に関する部分が大半を占めます。
男性は女性から褒められ、女性とセックスしたいんです。
女性を乗せるために車を買い、女性を囲うために家を買い、女性とセックスするために旅行を計画し、女性の気を引くために高級品を身につけようとします。
そのためにお金が必要になり、不正をして稼ごうとするんです。
「性欲を満たす」という意味で以前話題になったのが、文部科学省の大臣が、公用車でセクシーヨガに通っていたことや、薬師寺と善光寺の管主がセクハラや不倫で解任されたこと、そして日教組のトップが不倫をしていたことなどがあります。
また、キリスト教では性的虐待で400人の聖職者が解任され、アメリカでは新体操のドクターやコーチの長年にわたる性的虐待が表に出ました。
映画界、芸能界でも、「Me Too」というキーワードで、セクハラやレイプについて語り始める女性が増えてきました。
これらは男性が性欲を満たすためにやってきたことです。
教育者や宗教者に、「セクハラや不倫はしていいのか」と尋ねれば、口をそろえて「ダメ」と言います。
しかし実際は、教育者や宗教者であっても、女性と関わるために必死です。
そして大なり小なり、「不正」をしてでもお金が欲しいんです。
※ニュースになるのは氷山の一角です。
興味がある人はいろいろ検索してみてください。
ここまでをまとめると、反政府武装組織を台頭させる原因は政治腐敗。
政治腐敗の原因は、寂しい政治家が「不正」をしてお金を稼ぐから。
寂しい政治家が不正をしてもお金を欲しがるのは、主に「女遊び」をしたいから。
ということです。
内戦の犠牲者は、自分の幸せに責任を持てない「寂しいオジサン」の、目先の欲のために犠牲になったんです。
世の中から寂しいオジサンがいなくなること、つまり、大人が自分の幸せに責任を持つことが、争いをなくすことにつながります。
大人たちが自分の力で幸せになれば、争いはなくなるんです。
話を戻しましょう。
マオイストに殺された警察官がどんな人だったのかわかりません。
しかし彼は、公務員として国のために戦い、死んでいきました。
「女遊びをするためにお金が欲しいオジサンたち」が生み出してしまった反政府武装組織の銃撃を受け、死んでいったんです。
権力を持つ人の一時的な欲の犠牲になっていく人は後を絶ちません。
権力者は安全な場所から指示を出し、死んでいくのは警察官や兵士たちです。
同じ国民同士がなぜ殺しあわなければならないのか。
さっきまで元気だった人が、なぜ銃撃戦で死ななければならないのか。
自分だけが他人より豊かになろうと思うと、こんな悲劇が起こるんです。
隣人と比較することは愚かな行為です。
隣を見ては欲を膨らませ、隣を見ては落ち込み・・・人の人生って、「隣」が基準ではないはずです。
自分がどうか、ただそれだけじゃいけないんでしょうか。
他人と比べたり、他人から幸せをもらおうとしたりしないでください。
他人にできるのは、励ましの言葉をかけることや、起き上がろうとする人に手を貸すことだけです。
主体はあくまでも自分です。
人類が争いを卒業し、個人個人が自分の幸せに責任を持てるようになれば、愛に向けて大きな前進です。
☆愛し続けるとどうなるか 父の場合
愛し続けると・・・
・・・
「裸」になります。
ネパールに住み始めた父は、時間が経つほどに、自分のものを捨てていく生活にあこがれるようになっていきました。
現在は、「ぼくは自分の持ち物をシャツ1枚とパンツ1枚だけにして死にたい」なんて言っています。
捨てれば捨てるほど、愛に近づいていくんだろうとマスターは感じています。
だから、愛し続けて愛にたどりつくと、最後はなにもなくなって、「裸」になるんです。
愛し続けるとどうなるか、マスターが見る父の場合で、もうちょっと具体的に書きます。
マイナス感情がなくなります。
人が笑顔で集まってきます。
ストレスがなくなります。
持っている「物」が減っていきます。
どれだけ多くの人に仕えるかに興味が出ます。
お金より大切なものに囲まれます。
生きていることが楽しくなります。
人の手助けができるようになります。
感謝の気持ちが出てきます。
いつも気持ちが元気です。
いつ死んでも悔いがないと思えます。
人の役に立つのが嬉しくなります。
家族が安心します。
周囲も楽しくなります。
愛し続けることで、悪いことはひとつもありませんよね。
☆父の最期は?
父の元気さと明るさは、「死さえ楽しむのかも」と思わせるほどです。
もし最期の時がしゃべれる状態なら「いやー楽しかったなあ!じゃあねー!」と笑いながら死んでいくかもしれません。
そして、マスターは、父になにか起こっても、父を助けることはないと思います。
まず、父が「助けてくれ」と言わないんです。
転落事故で肋骨を折ったときも、退院して、日本に帰国してからの報告でした。
気を失うような急性の感染症にかかっても、退院後の報告でしたしね。
「君の実力ではまだまだぼくを助けられない」ということなんでしょう。
父の最期も、きっと亡くなってからマスターに連絡が来るんでしょうね。
亡くなる前に認知症になるかもしれませんし、亡きあと、お金の問題、愛人の問題なんかも出てくるかもしれません。
どこかに子供や奥さんもいたりするかもしれません・・・まあそれもそれで人間らしいですけどね。
父はマスターがいなくても、自分の責任で自分を幸せにできる人です。
マスターもそんな人になりたいと思っています。
☆父が教えてくれたこと 親が子に伝えること
これまでに父から届いた手紙は1000通を超えたかもしれません。
父が教えてくれたこと・・・それは、お金の稼ぎ方ではなく、「愛に近づく方法」でした。
父は教育者でしたが、どの会社がどうだとか、株価が上がったとか下がったとか、就職難の時代を生き残るには・・・なんていう内容はひとつもありません。
常に「ぼくはなんでこんなに幸せなんだろう」「ありがたい」「こんな人生があったなんて」などの前向きな気持ちが書かれています。
父は「愛に近づく方法」を、言葉だけではなく、行動でも示してくれました。
「こうやったら愛に近づけるよ」と、自分の人生を楽しみながら、マスターに見せてくれたんです。
「言葉だけの教育者」なら世の中にいくらでもいますが、愛を実践している教育者はどれほどいるんでしょうか。
マスターは、子供たちに対して「行動で示す教育者」でありたいと思っています。
親が子に伝えるべきことは、「お金の稼ぎ方」ではなく、「愛に近づく方法」だと、父の活動を通して知ることができました。
そうそう、マスターはまだ離婚していませんから、その点だけは父を超えているということにしておきましょう。
「結婚生活を平和に続ける方法」
このテーマに限ってはマスターが担当します。
これからもお楽しみに。
☆まとめ
ここまで8話、「父」の話と「NGO活動」についてでしたが、世の中には、こんなことをして人生を楽しんでいる人もいます。
なにかする時に大切なのは、それを楽しめるかどうかです。
楽しいことは長く続けることができます。
人は人間力を磨くと、人生そのものを娯楽にすることができます。
人生を楽しむというのは、「自分を磨き続ける」ということかもしれません。
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