植物性人工肉 動物性人工肉

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「人工肉」のニュースを見たので、今回は、「肉(タンパク質)」に対する認識について、思考のシフトをしてしまいましょう。




大昔の人類にとって、肉を食べる行為は、「命がけ」でした。
大型の動物を捕まえるときは無傷ではいられなかったはずですし、戦いに敗れれば命を落とすこともありました。


火を使えなかった人類は、他の動物と同じように、「生」の肉を食べていましたから、動物に付着している「菌」によって、感染症で死ぬ人もいました。


やがて火を使えるようになり、除菌が効率良くできるようになりましたが、それでも手洗いの習慣はなく、獲物の解体中に手についた糞からの感染症で命を落とす人はいたはずです。


排泄物が感染症の原因になるということは、たとえば海外では生玉子を食べないということでもわかります。
※「日常的に生玉子を食べる国民は、日本人ぐらいなもの」と国際的に言われるのは、日本人に勇気があるからではなく、菌に対する衛生管理がしっかりできている国だからです


植物性たんぱく質と動物性たんぱく質では、生産コストが低いのは植物性です。
二酸化炭素排出量が少ないのも植物性です。


植物性たんぱく質なら、安全に、低コストで収穫できるにもかかわらず、コストをかけて動物性たんぱく質を摂ろうとする理由は、簡単に言えば「動物性たんぱく質がおいしいから」です。


逆に言えば、おいしいなら、植物性たんぱく質でもいいわけです。


「環境保護・動物愛護・衛生面」・・・このような背景から、人類が動物の肉を食べ続けることについて否定的な意見があり、現在、解決策として3つの方法が考えられています。


ひとつは、植物からたんぱく質を摂る方法、もうひとつが、動物の細胞を培養してたんぱく質を摂る方法です。


3つめは最後に書きます。


1:植物性人工肉

植物性のたんぱく質に、「肉」に近い食感や味付けを施したものです。

研究が進み、とてもおいしいものが出回るようになりました。

実験をすると、「動物の肉と同じ」と感じる人もいるようです。

「植物性人工肉に関するニュース」

などと検索してみてください。



2:動物性人工肉

上記「植物性人工肉」よりも、さらに動物の肉に近いものが、動物性人工肉です。

動物の細胞を増やすことで作られる肉で、動物を殺すことはありません。

「培養肉・クリーンミート」と呼ばれる新しいタイプの肉です。

将来的にはどんな肉でも作れるようになるということですが、まだ一般に広まるまでには時間がかかりそうです。



以下の文章は、下記のサイトから抜粋です。

https://www.hopeforanimals.org/meat-free-monday/554/

(抜粋)

クリーンミート(培養肉)

クリーンミートとはつまり「培養肉」だ。

培養肉と聞くと眉を顰(ひそ)めるひともいるかもしれない。

実験室の中で生み出されたフランケンシュタインみたいなイメージを思い浮かべるのだろうか。

「試験管ミート」「培養肉」というワードに食欲をそそられない、という人もいるだろう。

しかし実際には、工場型畜産で飼育されて抗生物質、ワクチン漬けで日の光も当たらない建物の中で糞尿まみれで飼育されストレス満載で恐怖の中で殺され、血にまみれ大腸菌にまみれた肉片よりも、培養肉はずっと、クリーンだ。

虐げられ、薬漬けになり、あらゆる方法で「汚染」されてしまった動物の肉に食欲をそそられるというほうがむしろ不思議ではないだろうか。


動物飼育による環境破壊もなく

動物を監禁して殺す必要もなく

糞便汚染もない


それがクリーンミート(培養肉)だ。

・・・

上に紹介したサイトには、大げさな表現もあるかもしれませんが、本質的な部分もあると思います。

食に関する仕事をしている人は全部読んでみる価値はある気がします。

また、「クリーンミート」という本もありますので、さらに興味がある人は読んでみてください。

マスターは図書館で借りて読んでみました。



3:食べないこと

3つめは上記2つと違う視点です。

究極的には「食べないこと」が研究されています。

現在、1日400キロカロリー以下で普通の生活をしている人がたくさんいると言われています。

さらにもっと小食の人もいますし、究極は何も食べない「ブリザリアン」という人たちもいます。

※ブリザリアンについては、昔は「かすみを食べて生きる人」などと表現され、「精神世界の人」のように思われていた時代もあったそうですが、現在は地球上に数万人いるとされています。ネット上に様々な資料があるので検索してみてください。

「食べない」と書くと、「お腹が空いているのを我慢する」と勘違いしてしまう人も多いんですが、ブリザリアンは、食べないことを我慢していません。
我慢していないのでストレスにならず、むしろ身体が軽く、気分が良い状態を保つことができる状態の「食べない」です。


逆に、満腹の時は食べるのもイヤになりますが、その感覚とも違い、精神的に満足しているので食べようと思わない、つまり、究極的には「食べるのを忘れて他のことに夢中になっている状態」です。


食べるのが面倒になるほどなにかに夢中になったことがある人は、「その状態が続く」と言えばイメージできるはずです。


「食べないことの研究」とは、そんな意味での研究です。


人類は食べるために苦労してきましたから、「食べない」という方法に到達すれば、食料の悩みから解放されます。
動植物を殺さなくて済むという意味でも、環境負荷の軽減の意味でも、食べないことは理にかなっています。
ただ、現在は、たまたま身体的な条件がそろった人しか「食べないこと(ブリザリアン)」を実践できません。


ブリザリアンに影響され、急激な断食をして命を落とす人もいるそうです。

現在普通に食べている人は、とりあえず「植物性人工肉・動物性人工肉」などに注目してみてください。


参考:
「食べないなんて絶対ムリ(食べなければ人は死んでしまう)」と信じている人は、「ガラスの表面をなでるだけで地球の裏側の人と話すなんて絶対ムリ」と信じている人と同じです。
みなさんはスマホのガラスの表面をなでるだけで様々なことをやっていますが、それを可能にしたのは、「ガラスの表面をなでるだけで地球の裏側の人と話す方法はないのか」と考え、その仕組みを作り上げていく努力を続けた人たちです。
人類が全員「絶対ムリ」と信じていたら誰も努力しませんでしたから、「スマホ」は存在していませんでした。
文明をけん引するのは、いつも「どうやったらできるだろう」と考え続けた人たちです。
人類が「動物を殺さなくても動物性たんぱく質をとる方法はないのか」さらに、「食べなくても楽しく生きていく方法はないのか」と考え、その仕組みを作り上げていく努力をすれば、実現は可能です。
「絶対ムリ」と決める人がいると、そこから先の文明は発展しないということを忘れないでください。
そしてみなさんも、自分の可能性や明るい未来について「絶対ムリ」と決めず、努力を続けてください。


以上です。


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