負の感情をなくしましょう ―負の感情が生まれる理由―

(読了目安8分)

日常生活で「ドキッ!」という負の感情がなくなれば、人生は楽しくなりますよね。
負の感情が湧き上がるのは、ある意味「物事が思い通りにならないとき」ですから、負の感情をなくすには、多くの視点から、多くの予測をして、様々な出来事に対して「想定内」と言える準備をしておくことが大切です。


また、「そうするべき・それが常識でしょ」と、「自分と同じ価値観であれ」という期待が強いと、思い通りにならないときに負の感情を抱くことになります。


車の運転をしている初心者を想像してみてください。
人の飛び出しや、カーブの先に現れた駐車車両などに「ドキッ」とすると、反射的に怒ったり、委縮してしまったりすることがあります。


そうなると、そこから先の運転が乱れてしまうこともあります。
しかし、人の飛び出しや駐車車両を予測し、「ドキッ」とすることがなくなれば、いつも負担なく運転できるようになり、ドライブが楽しくなります。
人の飛び出しについては、目の前の状況を観察することで予測でき、「飛び出しがあったらこうしよう」と心の準備をし、踏まないまでもブレーキの上に足を置いておけば、早く冷静に対処できます。


また、「見通しが悪いカーブや死角に駐車車両か何かがあったら」と予測し、もしこうだったらこうしようと、ある程度のパターンを考えて行動すれば、実際になにかあってもドキッとしません。


結果的に、周囲に怒ることも自分が委縮することもなく運転できます。


ということで、車の運転で負の感情が生まれる主な理由は、「予測力がないから・視野が狭いから・自分の価値観を押し付けるから」などです。


そして「人生」も、これと同じです。
「予測力がない・視野が狭い・自分の価値観を押し付ける」、こんなことが、負の感情が生まれる理由です。


以下、表現を変えながら短編で4話書きます。
どれも同じような内容ですが、ひとつでもしっくりくるものがあれば、何度か読んで今後のヒントにしてください。




1:

車の運転のとき、初心者ほど「ドキッ」とする場面が多くなります。
その主な原因は、運転に不慣れで、ひとつのことだけに意識が集中してしまい、視野が狭くなるため、様々な予測ができなくなることにあります。
これらは反復練習を続けることで徐々に改善されていきます。


ドキッとすることがあると、多くの人が、

「あの歩行者が悪い」

「あの車が悪い」

「駐車車両さえなければ」

などと、自分の予測能力や判断力・対応力・行動力を棚に上げ、「外側」のせいにしようとします。
言葉にしないまでも、心の中で他人のせいにする人が多いかもしれませんが、中には、周囲に対して言葉や暴力で怒る人もいます。


しかし、ドキッとすることがあったとき、他人を責めるのはおかしいことです。
交通社会は自分の思い通りにならないことが大前提です。
というのも、自分が運転するとき、道路にある全ての信号が青で、駐車車両も歩行者もいない状態を作るのは不可能だからです。


歩行者の中には交通ルールやマナーを知らない人もたくさんいます。
交通社会は不完全な人間が作る不完全な社会で、そこにいるみんなの都合があり、みんながそれぞれの立場で共存しているんです。
それに、気付かないところで自分も同じことをしている場合がほとんどです。
マスターは時々車の運転を教えることがあるんですが、これまでに教えてきた全員が、無意識で他人に迷惑をかける行為をしています(もちろんマスターもきっとなにかやっています)。


自分も含め、不完全な人間が作っている交通社会が完璧なはずはありません。
にもかかわらず「外側が悪い」と言っている人は、他人を責めることに時間を使い、自ら運転の練習をしようとしませんから、いつまでたっても運転スキルが向上しません。


たとえば、免許を取ってから30年間運転技術が変わらない人がいますが、その理由のひとつは、「ドキッ」の原因を外側に求めるからなんです。


これは日常生活でも言えることです。
日常生活では、若い人ほど「思い通りにならないこと」が多くなりますが、それは初心者ドライバーの「ドキッ」と同じで、人生に不慣れで、ひとつのことだけに意識が集中してしまい、視野が狭くなるため、様々な予測ができなくなるからです。


思い通りにならならないことがあると、ほとんどの人が、「あいつが悪い・あの仕事が悪い・あの環境さえなければ」などと、自分の人間力を棚に上げ、「外側」のせいにしようとします。
言葉にしないまでも、心の中で他人のせいにする人が多いかもしれませんが、中には、周囲に対して言葉や暴力で怒る人もいます。


周囲に対して怒るのは明らかにおかしいことです。
人生は、自分の思い通りにならないことが大前提です。
というのも、反対者や意見が違う人、価値観が違う人がいない状態を作るのは不可能だからです。


社会は不完全な人間が作る不完全な社会で、そこにいるみんなの都合があり、みんながそれぞれの立場で共存しています。
にもかかわらず「外側が悪い」と言っている人は、他人を責めることに時間を使い、自分を磨こうとしませんから、いつまでたっても人間力が向上せず、ストレスを溜め続けます。
たとえば、成人してから30年間変わらない人がいますが、その理由は、「思い通りにならないこと」の原因を外側に求めるからなんです。



ということで、思い通りにならないことが起こったとき、怒ったり、委縮したりする人は成長しません。
原因を探り、改善の努力を続ける人は成長します。




2:

みなさんは自分の不注意で車の前に飛び出してしまったことがありませんか?
そのとき、クラクションを鳴らされたり怒鳴られたりするのはイヤですよね。
また、自分の間違いや勘違いで誰かの要望にうまく応えられなかったとき怒られたくないですよね。


たとえば車を運転しているとき、歩行者が歩いていることや、駐車車両があること、対向車が来ていることなどに気づかず、ドキッとしたことがある人もいるはずです。


みなさんが運転手なら、運転中にドキッとしたとき、どう反応しますか?


たとえば赤ちゃんなら、転んだり、痛い思いをしたりして「ドキッ」とすると、真顔になった後に泣きますよね。
また、思い通りにならないことがあるときも、泣いてアピールします。


一方、大人の反応はそうではないことも多いんです。
ドキッとすると、反射的に怒る人がいるんです。


ドキッとしたり、思い通りにならないことがあったりするのは、多くの場合、運転に不慣れだったり、緊張していたり、疲れていたりして、注意力が欠けているときです。
原因は自分にあるんですが、それにもかかわらず、外側に「犯人」を探し、その犯人に対して怒るんです。


思い通りにならないことがあると、「怒る」。
そんな大人がいるから戦争が絶えないんです。


みなさんは、自分の不注意で車の前に出てしまったときに、怒られたくないんですよね。
それから、間違いや勘違いで誰かの要望にうまく応えられなかったとき、怒られたくないんですよね。


ですから、自分も他人に対して、そうしなくてはいけないんです。
あなたが他人に対して負の感情をぶつけるなら、他人から負の感情をぶつけられてもそれを受け入れる必要があります。




3:

あなたのイライラは、あなたの不注意や知恵の不足が原因である場合がほとんどです。
車の運転で言えば、予想外のことに「ドキッ」とすることがイライラにつながるわけですから、ドキッとしないようにすればイライラを防ぐことができます。


ドキッとしないようにするには、「できるだけ多くの視点から多くのことを予測する」、つまり、多くのことを「想定内」にすることができればいいわけですから、視点と予測のバリエーションが多い人ほど、イライラしなくなるということです。


マスターが車の運転でも私生活でも、若い人たちよりイライラしない傾向があるとしたら、「視点と予測のバリエーションが多く、なにがあってもドキッとしなくなったから」と説明できるかもしれません。


たとえば他人がマスターの約束を守らなかったら、マスターは以下のように考えます、

「自分もやってきたしね」

「あの人、体調が悪いのかな?」

「なにか心の病気かもしれない」

「ASDなどの脳の障害があるのかも」

「伝える内容を間違えたかな」

「自分が勘違いしているのかも」

「自分はまだ相手にとって大切な存在になっていないんだな」

「うっかり忘れちゃったのかな」

これらの思考のおかげで、今はイライラしません。


若いころなら、「むかつく!」とイライラし、「あいつは非常識だ」「謝るまで許さない」などと、相手を責めていたと思います。
しかし「あいつは非常識だ」というのは、裏を返せば「自分が正しい」と言っているのと同じですし、「謝るまで許さない」というのは、相手が謝らなければマスターは幸せになれない(自分の責任で幸せになれない)、ということですから、これらの考え方では、争いやストレスの元になります。



4:

車の運転中の「ドキッ」は、日常生活の「思い通りにならないこと(負の感情)」と同じです。
運転中の「ドキッ」は、自分の不注意が原因であることがほとんどです。
日常生活のイライラも、自分の不注意が原因であることがほとんどです。


運転も生活も、視野を広く持ち、相手の立場になって考え、予測して行動すれば、ほとんどのトラブルを回避できます。
もちろん運転も生活も、上達するには時間がかかりますから、焦りは禁物です。
また、普段の生活においては、「即決断・即行動」が必要な車の運転よりも、考える時間が長く取れます。
秒単位で判断して行動する車の運転と違い、人生は、場合によっては熟考する時間がとれるわけですから、本質的な判断に近づくための心のゆとりはあるはずです。

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