言葉を残す理由です
※子供たちに伝えたいことを書いています。
今年は年が明けてからというもの、第三次世界大戦が始まると言われたり、新型コロナウイルスの世界的流行があったりと、今のところ散々な年だと思う。
後から振り返って、笑って過ごせているのかな。
このnoteは、お母さんがいつ死んでもお母さんが後悔しないように、キノくんとオトちゃんに向けて自分のあらゆることを書く予定です。(なかなか更新できないけど。)今回はなぜそんな事をするのかをお話します。
先程も書いたけれど、2020年は新型コロナウィルスが流行したの。書いている今だって、一旦収まったように思えても終わってません。
このウィルスは人から人にうつるので、みんなが家の中でじっとしているようになりました。キノくんやオトちゃんも何ヶ月も学校にいけなかったよ。日本だけではなく、世界中で同じことが起きたの。こんな経験、私が生まれてから初めてのことだよ。
3月に入る少し前から、コロナウィルスが人によっては無症状だったり、逆に命を失う大病であることがわかったの。どんな人が重症となり死ぬ確率が高いのかというと「高齢」「持病がある(心臓疾患が1位)」と説明されていた。
この新しく生まれ出たウィルスにワクチンはまだないから自力で治すしかないし、重病となると亡くなる人も多くなったの。亡くなるときはものすごい速さで命が終わりを告げてた。
私は重症になりやすい人の条件が、じぃじにぴったり合うことに不安しかなかった。
だからじぃじは家から出なかった。でも外と接触のある私がウィルスを持ち込んだら?じぃじはどうなるの?
私は伯父や伯母が心筋梗塞や脳梗塞で突然亡くなったのを経験してきたから、いきなり親と会えなくなる日が来るかもしれないということは、なんとなく考えていた。でもね、まさか自分が親を殺してしまうかもしれない事態が来るということは考えてもいなかった。
私はね、このショックを受け止める覚悟がなかなかできなかったよ。
さらにね、床についた人を看病することも許されない病気だった。看病する人がコロナウィルスに感染する可能性があるからね。最期の言葉も聞けず、看取ることもできない。
世界中にその苦しみを与えられてしまった人たちがいて、その慟哭を記事で読んで、私は涙が止まらなかったよ。
親との突然の別れ。原因が自分かもしれない。最期にそばにいられない。
このことを受け入れることのできる覚悟を、どう持てばいいのかわからなかった。それでも覚悟を決めておく必要はあったの。生きるってそういうことだから。
私はすごくすごく考えた。
そして、答えを出したの。
コロナウィルスが関わらなくても、明日が必ず来るとは限らないんだよね。そこは自分も理解できている。だったら何が覚悟を決めかねる原因なんだろうと考えた。
「ありがとう、を言い合うことができないこと」なんじゃないかな、ということに至った。
突然親が亡くなったら、子供はありがとうが伝えられなかったことを悲しむ。突然子供が亡くなったら、親は苦しかったこと辛かったことを代わってあげられなかったことに悲しむと思う。
だから私は、自分も含めていつ亡くなってもいいように、じぃじとばぁばにありがとうを伝えておくことにした。今までの全てに感謝して、未来に何の心配も後悔もしなくていいことを、ちゃんと生きている間に伝えておいた。
これで覚悟ができたとお母さんは今のところ思ってる。
大人になったら、言葉だけで充分なんだけども、キノくんやオトちゃんように、まだこれから大人になろうとする君たちには、言葉だけでは足りないとお母さんは思ったんだ。成長したその時々に言葉が欲しくなる時があると思った。
だからね、もしお母さんが死んでも、君たちが言葉を欲しくなった時に渡せるように、ここに言葉を残すことにしたの。
お母さんは元気いっぱいだから、まだまだ生きるつもりだけども、準備はしておこうと思ってね。すぐに書き残すことができるものでもないからね。
そういうわけで、ここにお母さんは自分のあらゆることを書くつもりです。
キノくんとオトちゃんに。
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