見出し画像

自立と自律

"人に迷惑をかけないための「自立」から脱却し、「互いが適切に依存し合う」ための「自律」を、すべての子どもが自分なりに獲得するシステムをつくりませんか。"

先日、木村泰子さんという方の講演会に参加した。

わたしの時代は
みんなと同じように
人に迷惑をかけないように
それらが人生において最も大切なことだと学校では切々と教わってきたように思う。

そして、わたしは、学級委員長となったり、先生にいい子だねとえこひいきされたりしながら、上記のような理念を忠実に実行する模範例として育った。

思えば、学校で先生に認められれば認められるほど、母は得意げになっていたので、母に認められるために学校で認められたいと思ったのかもしれない。それが当たり前だったし、全く疑うことはなかったけど。

つまり、わたしは自立のプロだった。

では、自律はどうか。

人に頼ること、わたしはそれがものすごく苦手だった。
わからない問題があっても先生に聞けないし、友達関係で悩んでも誰にも相談できず、当時はネットもなかったので、本を読んだり、自問自答したりして、一人で胃が痛くなっている日々だった。実際、行動に移したことはないが、死んだ方が楽かもしれない、と考えたことも一度や二度ではなかった。

一人の時はそれでどうにかなっていた。
子どもが産まれてからが大問題だった。

自分だけなら自分が耐えればいい。あきらめればいい。
でも、子どもにそれを強いるわけにはいかない。
だから、人に頼ることがどう頑張っても必要だった。

でも頼り方がわからない。頼る勇気がない。頼るべき母親にぼやくと「育児とはそういうものです」と忍耐ありきを諭された。

とにかく人に迷惑をかけないという他人の軸で物事を考えるクセがついていて、自分ってものがよくわからかったので、目についた子育ての本を端から読み漁った。当時はまだスマホなんてなかったので、子どもを抱きながら、片手でパソコンのキーボードを打ち、できる限りの検索をした。その結果、情報の波に飲まれて、何を信じていいのかよくわからなくなった。

一人目の育児は自分自身が自立から自律へシフトする修行の日々だった。初めての育児に加えて、自立から自律への変換。当時はそんな自分にダメ出ししていたが、今から思えばどっからどうみても、酷ではなかろうか。子育てする前、もっといえば学校で自律を体験していたら、わたしの子育てはもっと楽にスタートできたかもしれない。

少子化対策が叫ばれてやまないけど、こういう根本的な教育改革こそが、次世代を育てるような気がしてならない。

わたしは教育者ではないので、その力はないが、一人でも多くの人が子育ての現実に直面する前に、予防的に自立と自律について考えるきっかけを作ることがわたしの一つのお役目だなと心を新たにした。


いいなと思ったら応援しよう!