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【ブログ】福島へ行きました

はじめてブログっぽいことを書いてみます。

先日、祖母が亡くなり急遽、葬儀のため福島県へ行ってきました。


ココロンの開室日に重なっていたので、
クライエントの方にはご迷惑をおかけしましたが、

皆さまにご対応いただいたお陰で
無事に葬儀を終え、沖縄へ戻ってきました。

ありがとうございました。


私自身は新潟の生まれで、
福島は実家ではないんですが、母方の実家がそっちなので、
小さい頃、夏はよく里帰りで遊びに行ったものです。

高速の車窓から眺める、山々の風景がとても懐かしく、
癒されました。

沖縄には「丘」はあっても、「山」はないので、
(珊瑚礁の島ですからね)
福島の田んぼ・山のパノラマは、ザ・日本の山奥という感じで
大変よきでございました。

絵に描いたような田んぼ。


高速道路に突如現れる放射線量計測器


南相馬あたりを過ぎると、突如現れ始めるシーベルト計測器。

珍しい物体に驚きました。

かの地に近づくと、
だんだんシーベルト値が上がっていくところが、とてもリアル。


ちなみに葬儀の帰りに、
このあたりのICを降りて地域に立ち寄ってきました。

津波被害を受けて13年経った浪江市。



福島原発の影響を受けて、
今は「東日本大震災・原子力災害伝承館」という建物ができていました。

…バッチリ休館日でしたけど。 orz

この辺の土地は13年経っても、
いまだに一部は都市としての機能は停止しており、

「この先は帰宅困難地域につき立ち入り禁止」の看板が立ち並び、
なかなかに、ものものしい景色でした。

久々に身の危険を感じる空気感でした。



祖母の家は、もう住む人がいないので更地にするそうです。

祖母の家も最後に訪れて、しっかりお別れをしてきました。




…沖縄に帰ってきてから、疲れの残っていた身体にセルフで
「ブレインスポッティング」をやりました。

葬儀のときは、移動やら挨拶やらで、外にばかり注意が向き、
自分の内面に目を向けるゆとりがなかったことにふと気づきました。

幼少期の記憶を探るときの私の目の位置は、自分の中で決まっていて、
普段通り、そこにアクセスします。

すると先日訪ねたばかりの無くなる(であろう)祖母の家や、
小さい頃の夏休みの思い出が
無数に浮かんでは消え流れていきました。

元気だった祖母がよく「何歳になったの?」「おっきくなったね」
と声かけてくれていた風景がふと思い出されると、

そういえばこんなにも気にかけてくれてたんだな、と

涙が溢れてきました。


葬儀のときは泣かなかったんですが、
「ああ、自分は本当はこんなにも喪失を悲しんでいたんだな」

という自分を発見して、悲しみとしばらく共にいました。

無意識はいろんなことを覚えているもんだな、と感心しました。

ややつっけんどんなところもある祖母でしたが、
記憶の奥底にあった温かみを思い出し、泣けました。


自分の中で、本当の意味で祖母を悼むこともできたので、
非常にスッキリすることができて、
今は普段の生活に戻りました。


トラウマケアの技術はこういうとき、持ってると便利ですね。
自分の身を助けることもできて。

(ブレインスポッティングはやり方に慣れてしまえば、自分1人でもできるようになります)

デトックスです。

総じて、自分を振り返り、家族を振り返るためには、
必要な旅だったなぁと思います。

ときに立ち止まって、自分の心をふりかえる。

みなさんの日々にも、
そういうこころのゆとりを感じるひとときがありますように。






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