刑事裁判と民事裁判の儀礼、証人の宣誓(せんせい)について
なぜだか分からないけれど、「人間ってなんだろう」というぼんやりとした疑問が私にはずっとある。
きっと死ぬまでこの疑問がなくなることはないと思うが、普段、人間の本質について考えるのに、犯罪や事件、裁判傍聴で学びがあったり、twitter芸人のプロ奢ラレヤー氏の考えがとてもヒントになることが多いので、私は裁判傍聴とプロ奢ラレヤーから色々学んでいるようなものだ。
現在、プロ奢ラレヤーのオンラインサロンで「儀礼」をテーマにして学んでいるので、裁判での儀礼について考えてみた。(これはプロ奢儀礼研レポートでもある)
裁判の中で見つけた儀礼、宣誓(せんせい)
テレビドラマの裁判のシーンで、検察官や弁護士から質問を受けている証人を見たことがある人は多いと思うが、実際の裁判では、最初に証言をする前に「宣誓(せんせい)」をしなければならない。
裁判所によって少しずつ文言が異なるが、証人は証言台の前に立って、このような宣誓書を証言前に読みあげる。(宣誓書のサンプル)
宣誓(せんせい) 良心に従って、真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います
証人の宣誓はいかにも儀礼っぽいが、宣誓について今まであまり考えたことがなかったのでもう少し深く考えてみた。
刑事裁判と民事裁判の違い
裁判には刑事と民事がある。
刑事事件の宣誓時には、傍聴人まで起立させるシーンに遭遇したことはないが、民事事件の宣誓時には、書記官(ニュースで見る裁判官の手前に座っているあの人)が傍聴席に向かって「ご起立下さい!」と傍聴人にまで起立を求める。
民事裁判の宣誓時には、傍聴人も起立を求められるので私も特に疑問を持たず、起立していた。他の傍聴人もそうしているし、むしろ起立しない選択をするほうが難しい。
ここで今回の本題、この違いはなぜか、ということ。
証言前の宣誓は規則で決められているもの
今回調べて分かったことだが、刑事訴訟規則、民事訴訟規則共に証人についての起立規則が定めてあった。
刑事訴訟規則、民事訴訟規則とも、証人は「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、また何事も付け加えないことを誓う」旨、宣誓(せんせい)しなければならないことになっている。
そして宣誓は起立して厳粛に行わなければならないと記載されているのだが、「誰が」起立しなければならないか明記されていなかったのだ!
刑事訴訟法第154条
4項 宣誓は起立して厳粛にこれを行わなければならない
民事訴訟法第112条
2項 宣誓は起立して厳粛にこれを行わなければならない
法律もそうだが規則というのは、対象が不明確であったり、複数解釈ができる状態になっていることがよくあり、宣誓時の起立問題も、「誰が起立するのか」を明確に定めていなかったことに初めて気付いた。
なぜ民事裁判は傍聴人まで宣誓時に起立を求められるのか
ドラマで出てくる裁判のシーンは、実際の刑事裁判と近く、皆さんがイメージしているように裁判官、検察官、弁護士、傍聴人・・・と、法廷内の人数も多く、さらに裁判員裁判なら、裁判員、補充裁判員と人数もかなり多くなるので、証人は普通は緊張する。
緊張しすぎて声のボリュームがおかしくなっている証人、宣誓の文面が書いてある紙を持つ手がブルブルふるえている被告人のお母さん・・・こんな感じで、嘘をつくのもハードルがあがる。
しかも刑事裁判では宣誓のあと、裁判長から「故意に嘘をつくと偽証罪で証人自身が罰せられることもあるので注意してください」とさらに圧をかけられる。
一方、民事裁判というのは、その刑事裁判のイメージとは随分違っていて、裁判官一人、それぞれの弁護士一人ずつ、あとは証人のみ、傍聴人も0人というケースもよくある。つまり、緊張する要素が刑事裁判の証人より随分
少なく、国家権力に調べあげられた証拠を突き付けられるわけでもなく、嘘をつくハードルが低いのだ。
離婚裁判など、夫は浮気などしてませんと堂々と証言して、妻がこっそり夫の浮気LINEメッセージを写真に収めてあって後から弾劾する、といった民事裁判は日常茶飯事だ。
刑事・民事訴訟規則に話を戻すと、明確に「誰が」起立しなければならないと明記されていないことからこのばらつきは、裁判長の方針や部署の慣例で運用されているということになる。
民事の宣誓時に傍聴人も起立を求められるのは、嘘を平気でつく民事の証人をけん制するために、儀礼がいつのまにか規則内の幅を最大限に解釈して傍聴人まで起立させ、少しでも嘘をつくハードルを上げるようになったのではないかと思う。
まとめ
今回、twitterのフォロワーさんに宣誓時の起立について聞いてみたところ、少数ではあるが、民事裁判でも傍聴人までは起立を求められなかった、刑事裁判でも傍聴人に起立を求められたケースに遭遇した人もいることが分かった。
規則も儀礼もプログラムのようにすべてを包括して決まっているわけではないので、どこかに余白がある。
今回は、証人の宣誓時の起立というマニアックな事柄について考えてみたけれど、会社や日常生活でのルールの余白を見つけて、自分なりにアレンジしてみるのもよいし、「あぁ、人間がその余白をシチュエーションに応じてうまく使い分けているなぁ」と観察するのも面白いと思う。
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