「きちんとやらなければならない」という呪い

※これはプロ奢サロンのレポートです。

私はプロ奢サロンの儀礼研究のころから参加しているが、楽しいと思って参加しているのにふと振り返ってみると最近、最初の頃より複雑な感情が混ざってくるようになっている気がする。

だんだんと定例会の形も変わってきて、課題図書を事前に読んでまとめてくれる人が出てきたり(しかも毎回!)復習したり、ラジオで発信したり。


最近サロンに入ったばかりの人でも積極的に活動している姿を目の当たりにすると、家事をしながら木曜日の定例会を聞いているだけの私はこれでよいのかと思ってしまう。

slackで何か質問しようと書き込んだこともあるけれど、メッセージが大量に流れている中で誰かが私の質問に回答してくれても見落とさずに返信できるのかと心配になって、積極的に活用できない。

サロン内の個別活動を覗いてみたくても、一回だけ参加して辞めてしまうかもしれないし、フェードアウトしてしまうかもしれない。そもそも多くの人が毎日のように参加しているように見えて、最初に参加してみる前から続けられる気がしないのでなかなか最初の参加も出来ない。


この感覚はサロン初期の頃にはなかった感覚だ。
おそらく、私と同じように最初は聞いているだけのサロン民が次々と継続的に活動していて、その活動と比べると「ちょっと試しにやってみようかな」の小さな動機が消滅してしまう。

「継続的に」「(自分が思う)ある程度の体裁を保つほどのクオリティ」で出来る気がしないと結局一歩も動けない。
まさに自分が自分にかけている呪いだけれど、サロン初期の頃はその呪いは特になくて最近は感じるのはなぜか。

おそらく、その活動をしているのが元々は私と同じようにこの定例会を聞いていた人達だから私も同じように出来なければいけないという呪いなのではないかと思う。

もっとこの呪いから逃れて、やりたいと思えば気軽に初めて無理ならペースをおとしたりやめればよいのに、分かっていてもなかなか出来ない。


サロン民で毎週決まった曜日にラジオを初めている人もいた。
曜日に縛られるのに初めてみるのが本当にすごいと思って見てみたら、今週はお休みなど気軽に休んでいる方もいた。
確かに強制ではないのだから別に休んでもよいに決まっている。

先のことをあまり考えずに気軽に第一歩を踏み出すことのできるようになりたい。別に途中でやめたっていい。


プロ奢も、沢山何かを初めていつの間にか辞めている。

思えば、私が初めてプロ奢からアクションをもらったのは一瞬だけプロ奢がはまっていた「じぶんコイン」というコインを増やす遊びだった。
今、プロ奢はきっとじぶんコインの存在すら忘れていると思う。
気軽に初めていつの間にか辞めているのはプロ奢の特徴の一つでもあると思うので、その姿勢を真似ていきたい。そしてゼロコストで継続できるものについては全力投球する。

心の小さな「やってみよう」や誰の真似をしたりちょっとした羨ましいという感情を立ち消さず、まず大切にした方がよいのは「継続」「羞恥心」「他人との比較」など行動の一歩を躊躇させる気持ちを取り払うことだと思う。


呪い研究で学んだことがあまり生かされていない文章になってしまったし、直前までレポート作成しようかやめておこうか迷い、本来ならレポート提出自体あきらめるクオリティでしか書けなかったけど、恥ずかしい思いをするのも、フットワークを軽くする第一歩だということで何とか提出する。

(提出は締め切り20分後💦)

サポートしていただけたら、日頃の傍聴活動の経費として使わせていただきます!