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○○してあげる!の脅威

小さい頃からこの言葉をよく聞いた
違和感が強い言葉だった

聞く度に『なんて恩着せがましいんだ』と思っていた

母がよく言っていた
私が20歳前後になったときに、もう聞きたくないと思って
母が『○○してあげようか?』と言った時は、もれなくこう言い返していた
『じゃあ、○○してやって』
決して『ありがとう』と言わない

母は、最初に言われたときはキョトンとしていたが
こちらの真意が分かると自然と言わなくなった
あのときは、母の言葉がただただ恩着せがましい
必要なら自分でするからいいと思っていた

でも今は別の見え方も出てきた
今から10年くらい前に、人にこのような話しをしたことがあった
その人は『○○してあげよう!と言う言葉が、上から目線な感じ』と言った
人それぞれ感じ方はあるものの、よく思わなかった

何で人に○○してあげようと思うのだろう
私は、何でもできるような完璧な人間じゃない
だから人に○○してあげるなんて到底思えないのだ
そういう余裕がない
だからといって『あなたのことは知らないわ』と
人を無下にするわけじゃない
自分の至らない部分を棚に上げて、人に何かを言えない
そんな感じ

でもこの世には『○○してあげる』と言える人がいる
どんなことを考えているんだろう

『○○してあげる』と言う人を観察してみるといくつかの特徴がある
①お節介と言われるほど世話焼き
②人がいないと生きていけない
③自分がかわいい
④余裕があるように見える
⑤自分の好意が通じないと怒る
⑥自分はできると思っている

自分は悪魔だなと思うほど、嫌な見方をしている

人に何かを施すことで
自分が満たされる
自分が困ったときに助けてもらえる
といったことを知らず知らずのうちに計算しているのではないだろうか

人のことを考えたり、心配しすぎてというよりは、
自分の身を案じて相手に優しくする
一種の投資であるかもしれない
回収までが頭にちゃーんとある
だから回収できないと『あんだけしてやったのに』と怒る羽目になるのだ

人から何かを盗む人、奪う人のみの話しじゃない
もっともっともーっと身近にある話し

『○○してあげる』の言葉に、納得・覚悟なんてありはしない
言われる側だって甘えてしまったら、自分の足で立てなくなってしまう
自分のことは自分でしますから、あなたはあなたのことを優先してくだされ


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