【短編】存在の家族
朝もやのように起きて、夕暮れように消える。お父さんとは、そういう人だった。
例えば、私は孤児院にしばらく入っていた。親を失ったからではない。そうではなく、親が存在しないかのように、当局に報告されたからだった。
東京の空にはいつも、二本の筋がつーっと流れていて、北と南に巨大な塔があることを教えていた。
高い塔のてっぺんから、プロパガンダがいつとなく流れ出していた。
そういうときはいつも、無性に脂っこいものが食べたくなる。
洗脳の言い回しが厳しいときは尚更だ。
「ああ、雫のように消えてなくなりたい。」
酒場の片隅で、私は静かに叫んだ。
私もお父さんと同じように、希薄な存在として、社会の底辺で生きることを選んでいた。
***
遠い昔の記憶の中に、私の赤い靴が写り込んでいる。
お母さんと、花やしきへ歩いていくときの記憶、、、かもしれない。
空の二本線に沿って、戦闘機が飛んでいくのを聞きながら、私は田舎詩人のポエムを暗唱していた。
それがなんなのか、私は思い出すことができない。
田舎詩人のフレーズが、大事な記憶を上書きしている。
***
山が見えるホテルの一室で、私たち家族は最後の食事を楽しんでいた。
美味しいのかどうかわからない日本料理を食べながら、酒を飲み、酔った。
明日にはもう、この家族の存在はなかったことになる。
誰も気にかけないであろう、家族の記憶。私の中からもいつか消えてしまう記憶。
私は両親の顔をながめ、この人たちとの関係を脇においた。
人々の間の関係を取り去ったとき、そこにはただ、人体が残るのみである。
***
我々は生命である。
生命の中に生命が宿る。
ただ素晴らしい朝が来て、朝の中に別の一日があり、その一日の中にも朝がある。
私のお父さんが毎朝消えるとき、お母さんが私に生まれ変わり、私は夕暮れとともに父親に成りすます。
家族のように見えるものは、存在の戯れである。
しかし、その戯れが私たちの生命を繋いでいる。