連続性から脱却すると気楽になる(BASHAR『創造の火』)
一度言ったことを貫く!みたいな、一貫性にこだわりすぎると、つらくなりませんか?
この裏には、時間や空間、そして、自分や他人に対するイメージの「連続性」という概念が隠れています。
前の続きで今があり、今の続きで先がある、という感覚ですね。
あまりにも当たり前のことを言っているので、どこにもツッコミどころがないように思うかもしれません。
でも考えてみると、連続性もただの概念(アイデア)なんですよね。
あと、連続性が当然の事実で、一番自然な状態であるならば、人が一貫性を保つことも、一番安定的な態度になるはずです。
ところがどっこい、一貫性を保つとか、なにかを継続することって、結構むずくないですか?
よく、なにかが習慣化するまでには3週間(21日)かかる、とか、あとは、なにかを習得するためには10,000時間かかる、とか、そんな話聞きません?
なんでそんな大変なの?って素直に思うのは、僕だけでしょうか。。。
もう一回言いますけど、もし連続的な時間経過/事態的変化が最も自然な事実なら、一貫して物事を行うことがこんなに大変なはずないんですよ。
一貫することが一番安定するわけですから。
多分、一度思ったり、決めたりしたことが、次にそれを変更しようと決めるまで、勝手に、なんの苦もなく連続するはずなんです。
続けようと努力することなんか、全く必要ないはずなんです。
でも、でも、現実世界は、この真逆ですよね。
つまり、世界は連続的に変化している、という見方は、「連続性仮説」ぐらいの感じなんです。そういうふうに見えることもある、ぐらいの話なんだと、僕は思います。
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このことに気づいてから、僕はすごく身軽になりました。
過去の自分と今の自分との因果関係とか、今の自分と未来の自分とのそれ、それから、過去~今~未来と「連続」しているそれ…、こういうものから、ふわっと解放された感覚があります。
よく「今を生きる」「今ここ」なんて言い方をしますけど、これは本当にそうだなと思うようになりました。
連続性を固定概念として離さなかった間は、「今しかないのよ」みたいなことを言われても全く実感ができなかったですけど、世界をどう捉えるかについての仮説はたくさんあって、連続性で世界を見ることは、その仮説たちの中のひとつに過ぎないんだと分かっちゃってから、自分の実感を通して世界を見る感覚が育ちはじめました。
常識や前提を疑うことの意味の大きさを実感した件ですね。
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BASHAR『創造の火』というイメージワークについて話しています。
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