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答えはあとからやってくる
こんばんは
ノートパソコンを開くのが面倒だったので久しぶりにブルートゥースでつないで使えるキーボードをだしてきて書いてみているけどこれがなかなか快適で思いつくまま楽しく書いてみてます
今日は、昨日書いた記事の時間は今日の0:00になってるけど昨日からはじめた意味というか答えはあとからやってきたという話です
そうそうそう
『こころの覚書』というタイトルを思いついたのは絵本を作らなきゃとツイッターのアカウントを取る時だったのでだいぶ前だけどその意味があとからわかったので後日こころの言葉で書いてもらうことにしましょう
私が感じたことを書くときもあれば『こころ』が『こころ』の言葉で書くときがあっても面白いなと思っていてどんなことになるのか実験ですね
書く人がおんなじなのに何言うてんねんって思っているのが私だとしたら、そのまんま湧いてきたまんまを書くのがこころかもしれない
頭が動くのか?こころが動くのか?の二重人格制で書いていきたいと思います
話を戻しましょう
キーワードや出来事に3回続けて出会した時はGOサインだと受け取っています
毎年愛用しているほぼ日手帳の来年の手帳を注文した金額の数字、昨日届いた舞台のハガキには『天国』の文字、フェイスブックで流れてきた動画は見えない世界の話で絵本を作らなきゃと心拍数があがった時とおなじになって今日やらなきゃとnoteを開けたというわけです
たまたま観たインスタライブで昨日は【天恩日:天が万物を憐れみ天からの恩沢が下され万民が福を得る日で何かをコツコツはじめるにはとてもいい日】だったということをあとから知りました
そこで偶然と思う人もたくさんいるかと思いますが私は「昨日無性にやらなきゃと思ったのはなるほどそういうことか」と必然で起こったことだと受け取っていて意図せず思いつくままの行動が実は本当のことにつながっていたりすると思っています
そうそうそう
生きているなかでいろんな出来事があるけれどそれはただの答え探しをしているのではなくて今わからなくても答えがあとからやってきてそれに気付くかどうかなだけなんだと思ったのです
昨日からはじめてよかったよかった
はいここでキーボードが急にOFFになったのでおしまいにします
ではまた、、、