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こころの補助輪

(心のカタチより)

皆さんは自転車に乗れますか?

多くの方は自転車に乗れるというと思われます。と言って、自転車に乗られる人と乗れない人を差別する話ではありません。

自分たちは、人生という道を進んでおります。その人生を自分独りで進のむか。誰かに支えられ進むかは人それぞれと想います。ただ、云えるのは独りで活きていると思っている人も実は誰かに支えられ活きていたりもするのです。

さて、話を戻しましょうか。
自転車はどうやって乗れるようになりましたか?

そんな記憶から『こころの補助輪』の話を進めます。自分たちは自転車を買ってもらい、はい!乗れましたはないのではないでしょうか。それは、誰かに支えられ乗ることをはじめ、まだ小さなカラダには補助輪をつけ乗っていた記憶もあるかと思います。

その補助輪も片方が取れ、もう片方が取れるのはそんなに時間がかかず自転車に乗れるようになったはずです。自分たちは小さな頃から補助を受け自然と出来るようになるのです。

小さな時は、自転車に補助輪をつけて練習をしますが、それも小学生の低学年まででしょうか。カラダが大きくなるに連れて、補助輪をつけ練習するひとは少なくなります。

そんな方々は、どうやって自転車に乗ろうとするのか。ありがちなのが誰かに後ろを支えてもらい自転車に乗る練習です。最初はおどおどと自転車をこぎふらつきながら乗っております。

それも支えられている事でなんとか乗っている状態です。ただ、少しずつなれると自転車の速さも増し、ハンドルも右に左に振れる事なく乗っている自分に気づき出します。

その後、皆さんも想像がつく、支えていたひとが手を離し自立し乗っている姿です。

人は何かをする時、付き添い教わりひとり立ちします。それは、誰かがいるという安心感が自立へ向かわせてくれます。おぎゃー!と産まれ。はい出来ました。という人は誰もいないのだから当たり前なことです。

ただ、その支えを拒んだり、自分の思うように支えを求めれば、出来る”もの”も出来なくなります。それは、ひとの”こころ”の支えがあってこそ、安心が支え合うコツとなるからです。

自転車に乗るのも誰かの”こころ”に支えられ安心があるから乗れるようになるのです。その”こころ”を感じず自転車に乗れた人は凄い人と自身は思っているかも知れませんが、でも寂しさもいづれ気づくんじゃないでしょうか。

人は”こころ”を支えられ活きております。悩み多く心を痛めてしまっている人も多いと思います。ひとの”こころの補助輪”は支えられる事に意味があり、本人も気づかず自然と手放し自立させるのが心に優しいのです。

相手が大切なばかりにどれもこれも支えてしまえば自立は出来ません。それが当たり前と本人も知らず癖ついてしまうのです。時には手を話してみて1mが2m、2mが10mとひとりで歩めるようにするのです。

そして、手を離しひとりで歩めるのを知ってから云うのです。

『ひとりで乗れているじゃないか』と。

本人は一瞬ドキッ!とするかも知れませんが、実際、自分ひとりで人生という道に乗れるとしればそれが自信となるのです。

出来たのだから、それが何よりもの証です。

心に病を持つ方、悩みを持つ方を支える時は”こころの補助輪”となり知らず知らず手放すのです。

手の届く範囲で。


《メイプル楓☆さんに感謝》
いつも楽しい絵を使わせていただきありがとう御座います。
心のカタチの話にマッチする絵があるのはとても助かっております。また、その絵の言葉がユニークかつとてもためになります。そんな感謝を込めて皆さまにご紹介したく思っておりました。メイプル楓☆さんの描く絵を観るだけでも”笑顔”になりますょ。

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