幼い頃の「わたし」へ。
私は、終戦記念日が誕生日だ。
夏休み、しかもお盆。
人付き合いが苦手な私に、誕生日を祝ってくれるような友だちなどいなかった。
親や祖父母でさえ、身内の集まりや墓参りなどで忙しく、私の誕生日のことなど忘れるのだ。夏休みもそろそろ終わるというころになって「そういえば、こないだ誕生日やったね」というのである。
人付き合いが苦手なだけでなく、勉強も運動も苦手だった。からかわれたり、いじめられたり、ということを小学校の間ずっと経験していた。
そんな私が、元気にすくすくと育つはずもなく、次第にメンタルの不調を抱えるようになっていった。
私の唯一の救いは、本との出会い、だった。本を読んでいる間だけは、嫌なことを忘れることができた。だから、休み時間や登下校のとき、必ずといっていいくらいに、本を広げていた。
両親や身内との関係にも悩んでいたため、家にも学校にも居場所を感じることができなかった。
私は、本に逃げるしかなかった。本は、私の居場所であり、逃げ場であった。
辛い現実から目を逸らしていただけと言われれば、それまでだ。だけど…本がなかったら、私はいま、ここに居ないと思う。
学校の図書館には、ほぼほぼ毎日、顔を出した。市の図書館にも、月に2回は父に連れていってもらった。
絵本、児童書、小説、ノンフィクション…様々なものを読んだ。
小学校の高学年から中学生の頃は、戦争に関する小説や漫画をたくさん読んだ。
生きているのが1番辛かった時期。生きるとは何か、死ぬとは何かを自分自身に問い続けていたこと、終戦記念日が誕生日ということ。きっと、戦争に関するものを見たり、読んだりすることで、その問に対して何かしらの答えが見つかると思っての行動だったのだろう。
結果…答えなんてものは、見つからなかった。
命について、死について。
自分なりに見つめ、考えられたのは、いい経験になったとは思う。でも…できることなら、他のみんなと同じように、みんなでワイワイと楽しい学生時代を過ごしたかった。
辛いこと、苦しいことも、今になって振り返れば、懐かしい思い出として残っているものも多い。
それでも、いまだに、許せない気持ち、怖いという気持ちを引きずっている部分もある。
幼い頃の、たくさんの悩みを抱えていた私に伝えられるのであれば「あまり考えすぎなくてもいいよ、生きてさえいれば意外となんとかなるものだよ」ということだろうか。
いつか、昔の自分と似たような経験をしている子どもたちや若い世代の人たちが、フラッと立ち寄れるような私設図書館やブックカフェのような場所を作りたいと思う。
人と本をつなげる場所。人と人をつなげる場所。そういう場所にしたい。