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「新しい創造」・・・新しく造られると起こる2つのこと!
物心ついてからどのくらい経つだろうか。人生色々ありすぎて、もう一度生まれ変わることができたら、リセットできたらいいなあ
と思っていられるとしたら・・・
聖書は、生まれ変われるよ!と伝えています。
え、本当ですか?
「そんなことありえない」と思ったらヨハネ3章に出てくる人物と同じことを思っているということになります。その方は
ニコデモという方です。
もう一度母の子宮に入って・・・?ということを聞いたのです。
ヨハネ3:4
ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。
人生のどこかで新しく生まれることをボーンアゲインと言います。
その基本となる聖書の言葉
1コリント5:16〜17
それだから、わたしたちは今後、だれをも肉によって知ることはすまい。かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方をすまい。 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
キリストが私たちにもたらしたのは「愛とゆるし」なので
キリストを信じるとは、あなたが神の愛とゆるしの中にいて人生が新しく創造されることを受け入れることから始まります。
あなたの人生が新しく創造されると起きてくる2つのこととは何か!
1 人生の目標(目的)が変わる
新しく生まれる前というのは、刹那的の喜びはあってもそれだけで終わると虚しさを感じる
それは、人には神でないと埋めることのできない心の空洞があるとパスカルが言うように、神に出会う前は虚しさが心にある。
イエスを通して神に出会うとその虚しさが神の愛によって溶けて埋まる。
それだけでなく
新たな人生の目標(目的)が生まれる。
それが、あなたの生き方を通して神の愛を人々にお伝えして、人々の人生が変えられていく喜びを体験できるということ。
・自分の体験として、イエスにある新しい人生を伝えることによって関わる方々の人生が変えられていく。こういった経験は今までにない喜びを与える。
あなたの人生の目的と目標はなんでしょうか?
2 自分の見方にこだわらなくなる
「誰をも肉によって知ることはすまい」とある肉というのは、食べる肉でなく自分の見方ということ。
人は思い込みで生きている
と言われるように、誰しもなんらかの思い込みを持っている。一つの例としては、自己奉仕バイアスというものがある。
それは、他人がした失敗はその人の性格に結びつけやすく、自分のした失敗は外の要因にしたがる
例えば、花瓶があって、それを人が割ったときには、「あの人ったらそそっかしいんだから」と思い
自分が花瓶を割ったときには、「誰、こんなところに花瓶を置いたのは」と思うことってないだろうか?
肉によって知ることはすまい
というのは、そういう人間的な標準とか人間的な思いを神にいったんお返しして、
そういったものに囚われない新しい見方、考え方ができるようになるということ。
・この聖書の箇所を書いているパウロ自身が、壮絶な経験を体験していた。彼は、最初、キリスト教会を迫害して多くの人々を捕らえては牢獄に入れていた
多くの人々の人生が彼によって狂わされたのだった。
そういう過去を持っていたとしたら、「皆様に迷惑をかけた私は、幸せになってはいけない」「私はひっそりとした人生を過ごさなければならない」
というような思いに囚われることもあると考えられる。
ところが、彼はそういう過去があってもイエスとの劇的な出会いによって人生が変えられ、迫害していた教会に受け入れられ、指導者になった。思ってもみない人生の展開があった。
あなたは、自分自身の過去や思いに囚われていないだろうか?
全く新しい自分自身の見方ができるし、思ってもみない可能性があなたの人生に広がっていることに目を向けてみよう。
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