【有料級】どこにも書いていない歌ってみたの大切なこと2
前回の記事を読んで頂き反応をくれた方々、ありがとうございます。
自分の思っていた以上の反応があったので2回目の記事は自己紹介の意味もかねて音楽遍歴を書こうと思っていたのですが、続けて歌ってみたについて書いていきたいと思います。
多忙で中々筆が進まず更新が遅れました。
申し訳ありません。
さて、今回は歌ってみたに対する「姿勢」に視点を向けたお話をしたいと思います。
歌ってみたのミックスの依頼を受ける中で、ピッチ補正・タイミング補正・ハモリ生成を頼まれることが多いです。
技術の進歩で確かに出来ます。
ですが、それは歌の本質からズレていると感じませんか?
音楽は非常に歴史の長い芸術で、様々なジャンルがあります。
私も音楽の歴史に精通しているわけではないので多くは語りませんが、先人たちが積み上げてきた功績に最低限のリスペクトは持って接しているつもりです。
音楽という芸術ジャンルが生まれなければ、歌ってみたという文化も生まれなかったと思います。
音楽に関わる全ての人に私と同じように思えと思っているわけではありません。
ただ歌ってみたというのは誰かが作った曲を「歌わせてもらう」という事です。
私は作曲もするので曲を作る大変さは理解しているつもりです。
自分の中で最高の曲が出来たと思っても、いろんな人に聴いてもらうことはとても難しいです。
自分の中だけでも最高の1曲を作り上げるのに、とてつもない時間と情熱が必要になります。
そこを理解しているから、私は誰かの作った作品に関わる際には最低限で最大限のリスペクトを持って接しています。
それが私の音楽作品に対する姿勢です。
歌ってみたで歌う歌を決める時は、その歌い手さん自身が好きな歌で、歌いたいから歌うことが大前提だと思います。
嫌いな歌ならまず歌いませんよね?
流行ってて歌えばいいねがいっぱいもらえるかも、みたいな理由で歌っているなら論外です。
2度と歌を歌わないでください。
私は音楽が大好きです。
自分の好きなものをバカにされたら嫌な気持ちになりませんか?
上記の理由で歌っているなら音楽を冒涜していると私は感じるので論外だと書きました。
例えばCDやDVDをレンタルしたら借り物なので丁寧に扱いますよね?
歌ってみたも作者から歌を借りている状態です。
丁寧に扱うのは当然ではないでしょうか?
では何をもって丁寧、リスペクトと捉えるのか。
私は自分の思う最大限の練習と録音、分析を行いこれ以上は出せないというクオリティまで突き詰めてこそ丁寧に扱っている、リスペクトしていると感じます。
そこまでしたうえでどうしても納得できない部分があるので補正をする、はまだわかります。
ですが私が関わっている歌い手の方々の多くは、1週間程度の練習と数回の録音でOKテイクにして最終的に補正に頼っている方がほとんどです。
以前の記事でも同じようなことを書いたと思いますが、プロの歌手でも1曲に対して何ヵ月も練習を積んで、時には1つのフレーズに対して数百回録音を重ねてやっとOKテイクにしています。
前者と後者で歌に対する姿勢はどう感じるでしょうか?
後者はそれだけ突き詰めているなら上手く歌えて当然と思うかもしれませんが、プロと名乗るなら上手く歌えるのは当たり前のことです。
最低限それが出来ないのであればプロとは呼べないと思います。
そして歌い手とはプロの歌手と呼ぶのか、それは人それぞれだと思いますが「音楽」を題材にした表現者である事は共通していると思います。
私は古くから歌い手が歌い手と呼ばれるようになるまでの過程をある程度見てきました。
その中で補正が全くなかったわけではないですが、少なくとも現状のように補正に頼り切った方ばかりではなかったです。
有名な歌い手さんが補正のやり方みたいな動画を上げているので補正しても当然のような立ち位置にいるかも知れませんが、そのために素材を良くする努力をする人が減ったと感じます。
これもあくまでも私の感じる部分なので確実な正解とは言えませんが、伸び悩んでる人はこの音楽に対する「姿勢」というものをもう一度見直してみてはいかがでしょうか?
簡単な質問や疑問などわかる範囲でしたらお答えしますので、XのDMに送って頂ければと思います。
Xはこのnoteと同じ名前とアイコンで認証マークが付いているので、検索すれば間違いなく私のアカウントに辿り着くと思います。
DMも解放しているのでフォロー外でも大丈夫です。
今回はこの辺で終わりたいと思います。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
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