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この度は、神が表(おもて)へ現れて、なにか一切を説き聞かす

「この度」とは、天保九年のことなのは、分かります。
ですが、表とは、どこでしょうか?
天保九年に、一人の女性の身体に、神が入り込んだとしましょう。
けれど、見た目は、それまでと変わらない一人の人間の女性なのです。
これでは、神が表に現れた、とは言い難いのです。
神とは、形で表現することができるのでしょうか?
神は、形ではないのです。
神は、形を含んではいるが、形が神の全てではない。
神は、むしろ形をもたらした無形の存在。
けれど、無形が無形のままであれば、神がいるのかいないのか、分からない。
いたとしても、心があるのかないのか、分からない。
心があるとしても、何を思っているのか、分からないのです。
ここまでで分かったことは、
「神は、無形の存在ですが、一つの精神を持っている。」
ということと、
「神の精神は、一つの意味を持っており、人間の言葉で説いて聞かすことが出来る。」
ということです。
すると、答えが見えてきます。
つまり、「神が表に現れる」とは、これまで誰も知らなかった神の胸の内を、神が言葉で表現するということなのです。
たとえば、「よろづよの世界一列見晴らせど、胸の分かりた者はない」という「言葉そのもの」が、「神が表に現れた姿」なのです。
そして、言葉は続きます。
「これまで誰も知らなかった神の胸の内を、神自らが全て説いて聞かせるのだ」と。
いよいよ、神が私の前に、その全貌を現すのです。
はたして、古今東西、誰にも分らなかった神とは、いったいどんな内容を持っているのでしょうか?

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