下津家令絵巻 -掌中の珠編-

四、鬼再び、なく

「鬼婆がまた出たぞ」

時は江戸時代かいやその前あたりか否か定かではございませんが、阿武隈川から程近く、点在する集落はこの数年、いや、数十年と騒がしく、不穏な日が続いておりました。

この辺りは貧富の差が著しく、農民は管轄する武士によって生活に大きな隔たりがございました。加えて、中央の政所の目もまだまだ行き届かぬこと多く、教育、文化も遅れ、古くからの因習に、弱き立場であればあるほど縛られてもおりました。されど、生きてゆかねばならぬと汗水垂らし、たくましく生きる人々。その健気な心をざわつかせているのは、なんと、成仏したはずの「鬼婆」と言うではありませんか。

朝晩の冷たい空気が入り混じり、空が白々明けたころ、ある集落。閑散とした刈田を前に村の男が一人、また二人、三人と集い、苦い顔を突き合わせています。
「今年も不作じゃったのう」
「お天道様に見放されたみたいだなぁ。ほれ、阿武隈川の氾濫もあったべ。竜神様にも見放されてはぁ、また秋の魄飛雨(はくひ雨)や天狗風が吹いたら畑までやられて、冬もこせねぇべ」
「はぁ、ほっだらまた名主さんが騒ぐべなぁ。『人柱立てねばなんねぇ』ってなぁ。」
「ややこか、若い娘か・・・」
「あ、ほだ、隣の村でまた生まれたばかりのややこが居なくなったそうだ」
「かぁああ、また出たのか!」
「んだ、何でもそのややこの母親がふっと目を離した一瞬だったそうだ。鋭い角と牙の生えた鬼婆がかっさらってたらしい。追いかける暇もなく、天狗のようにあっという間にややこを抱えて姿を消したそうだ。なんでも手には出刃包丁を握ってたんだと」
「恐ろしいなあ。山沿いの村のややこがいなくなった時は、鉈(なた)で、しかもびっちり血がこびりついてたっていうんだわ」
 「徳の高い坊さんに成仏してもらったんじゃなかたんかい。塚まで建てたって聞いたど。しかももう、幾年、幾百年前の話だよ」

男たちの顔は苦虫を潰したような複雑な皺を作っていきます。その中の一人、その集落でも若手の男、キシだけは、まるで苦虫の口の中に含まれたかのようにだんまり暗く、生気の無い顔を伏せています。年長者の男が気付き、
「お前んとこもややこが生まれたばかりだったなぁ。女房に戸締りに気を付けるよう言っておけな」
と、ポンと方に手を置いた瞬間でした。
  家の集まる方から、童が足をもつれもつれ駆け寄ってきます。何やら、叫んでおります。
 「た、たいへんだ!白羽の矢が立った」
 
 男たちは乾いた喉にわずかに残った生唾を呑みこみ、その先の言葉を待ちます。
 童は半歩手前で足を止め、肩で息を鳴らし、何とか言葉を発します。

 「ひ、ひ、人柱、今度の人柱は、き、き、キシのややこじゃ」

 旻天、朝日子昇り、蒼空(むな)しく
キシの崩れ落ちるを見下ろします

 
 「罰が当たったんだ・・・」


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