ナイロン製のバッグ
ナイロン製のショルダーバッグで
母の人生は終わった。
大量生産特有のどピンクに意味の分からない色とりどりの幾何学模様。普通の人が持てば差し色になるかもしれないが、母の強烈な個性は幾何学模様を打ち消す。
体は小柄だが、声は無限に響く。剛毛天然パーマ、襟足は刈り上げ、ゴルゴ30のような黒サングラス。口紅は安っぽいピンク。でも、存在感は超一級だった。自治会の男性陣から「ボス」と呼ばれていた。その群を抜いた存在感は似非じゃなかった。
サングラスの奥の瞳は少女のようにキラキラしていた。人のために自分のコトは二の次だった。時として家族も。正義感の強い母は敵も多かった。でも、母の周りにはいつも「人」がいた。誰かの「人生」があった。
強い、個性的キャラクターで人気者の母だったが、私だけは知っていた。心の奥底は純粋な少女のようで繊細。優しかった。でもその優しさは諸刃の剣。母を知らず知らずに蝕んでいた。
私は知っていた。だから、時として冷たく伝えた。「自分を労われない人は人も労われない」「自分が幸せじゃないと人は幸せにできない」と。怖かった。小柄な体が削られて、無くなってしまいそうで。
「頑張りすぎたかな」
心配は現実になった。
母はレンタルの介護用ベッドに座り、大好きなピンクのパジャマに包んだ小さな体をさらに縮こまらせてつぶやいた。
その言葉の本当の意味を知ったのは、無くなって3年経ってからだった。
母にもっと上質なバッグを持たせたかった。母の個性と共存できる某ブランドの服を贈りたかった。若い時のように、もっともっと、ずっとずっといつまでも華やかに着飾ってほしかった。
母は癌で死んだ。
気づいた時は全身に転移していた。
医者は言った。
「よくここまで我慢してましたね。そうとう辛かったでしょう」
頑張りすぎたね、母よ。
その痛みを償いとでも思ったか。
ナイロン製のバッグに残高のほとんどない通帳。
支払い用の通帳を何通も詰め込んで
母は死んだ。