「君たちはどう生きるか」要約してみたで
今回はこれやで
これは忙しい人向けの要約
世の真理を学ぶためには、自分勝手な考え方だけでなく、自分を世の中のメンバーの一人として見てみなはれ。その俯瞰的な視点がなあ、真の理解につながるぞ。
偉人の言葉や行動をただなぞるだけでは、「立派そうな人」にしかならん。自分の経験を大切にし、そこから何を感じとったかを深く考えることが、真の立派な人になる道なんや。
自分自身のミスを認め、それゆえに苦しむことができるのは、人間だけや。人間は自分で自分の行動を決める力を持っておる。それゆえにミスを犯すこともあるが、だからこそミスから立ち直ることができるんや。
こっちはもっと詳細な要約やで
コペル君のあだ名の由来
分子のようなもの
コペル君のあだ名の由来や。中学1年生の頃、10月のある日やった。コペル君は叔父さんと一緒に銀座のデパートの上に立ってたんや。霧雨の中、7階建てのデパートから見下ろす東京の街は暗くて、冬の海みたいやった。
ふと、コペル君はこの街の無数の屋根の下に、無数の人が住んでるんやと気づいた。この景色見てるだけでも、何百万人もおるんやろか? そう考えた瞬間、叔父さんが言うてきたんや。「東京は昼と夜で人口がガラッと変わるさかい、まるで潮の満ち引きみたいに、何百万の人間が出入りしてるねん」と。
それを聞いて、コペル君は自分が大きな渦の中を漂う水の分子みたいな気分になったんや。そして、自分が人々を見てるみたいに、誰かがどっかから自分を見てるかもしれへん、と思いついたんや。見てる自分、見られてる自分、自分を眺めてる自分……。めまいみたいな感覚に襲われたコペル君は、帰り道に叔父さんにこう言うた。「人間って、叔父さん、ほんまに分子みたいやな」。それを聞いた叔父さんは、その晩家に帰ってノートを開き、コペル君へのメッセージを書いたんや。
ものの見方について
叔父さんは、コペル君が自分自身を、広い世の中の一存在として見るようになったことを、天動説から地動説への変化に例えたんや。子供の頃はどんな人でも、自分中心の考え方をするもんやけど、大人になるにつれて、世の中の一員として自分自身を捉えられるようになるんや。大人になっても、自己中心的な考えから抜け出せへん人もおおいかもしれへんけど、真の理解を得るためには、自己中心的な考え方を捨てなあかんのや。
叔父さんは、この日の出来事がコペル君の財産になることを願って、彼に「コペルニクス君」というあだ名をつけたんや。それが「コペル君」のあだ名の由来やな。
コペルくんの友達たち
油揚事件
コペル君の友達に、北見君っていう少年がおったんや。北見君は「誰がなんて言うても…」っていう口癖を持つ、頑固なやつで、ガッチンって呼ばれてたんやけど、自分の間違いはちゃんと認める素直さも持ってたんや。
コペル君と北見君が仲良くなったのは、「油揚事件」がきっかけやった。コペル君たちのクラスメートには、お弁当のおかずが油揚ばっかりやってんっていう話があって、「アブラゲ」というあだ名で馬鹿にされてる浦川君っていう少年がおったんや。ある日、山口っていう意地悪なクラスメートが、浦川君のあだ名をからかっていじめたんやけど、北見君は強く反対したんや。山口に殴りかかった北見君は、その後先生に怒られても自分からは理由を話さず、ふんばった態度を崩さへんかったんや。コペル君は北見君の態度をえらい好ましく思って、北見君を自分の家に誘ったんやった。
ええ人間とは
コペル君の話を聞いた叔父さんは、コペル君が北見君の行動に賛同し、浦川君に同情してることをうれしく思って、ノートに書いたんや。叔父さんも、コペル君のお母さんも、亡くなったお父さんも、みんなコペル君がえらい人間になってほしいと願ってるんや。立派な人間になるためには、世の中や人間に対する立派な考え方を持たなあかんけど、それはただ本を読んだだけでは本当の意味で理解できへんものや。実際に体験することで、過去の偉人の言葉が理解できるようになるんや。
だから、一番大事なのは、いつでも自分自身の経験から始めることや。
自分が感じて、考えたことをごまかさずに、いつどんなときにどんな気持ちに
なるのかを、じっくり考えるべきや。学校で習ったり、世間で立派なこととされてる行動をただなぞるだけでは、「見栄っ張りな人」になるばっかりで、「立派な人」にはなれへん。色んな経験を積んで、そのたびに自分の本心がどうなのか問いかけるように頑張ってほしいんや。
貧しい友達
冬になってしばらくして、浦川君が学校を何日も休んだんや。心配したコペル君が見舞いに行くと、浦川君は家業の豆腐屋を手伝ってたんや。浦川君の家は貧しくて、お父さんはお金の心配でしばらく家を留守にしてるんやって。
勉強もスポーツも苦手な浦川君が、手際よく油揚げを揚げていくのを見て、コペル君は感心したんや。それから2人は仲良くなって、コペル君は浦川君に勉強を教えたり、大豆をすり潰す機械を触らせてもらったりするようになったんや。
コペル君が叔父さんに浦川君のことを話すと、叔父さんは、コペル君たちと浦川君との間に決定的に違いがあるのはどこかと聞いたんや。貧しいかそうじゃないか、って答えにくそうにコペル君が言うたら、叔父さんはさらに聞いた。「家同士の違いじゃなくて、浦川君とコペル君個人の違いは何か?」って。答えに詰まったコペル君のために、叔父さんはその晩、またノートを開いたんや。
生産者と消費者
叔父さんは、コペル君が浦川君を見下す気持ちがまったくないことを評価したんや。人間の真の価値は、豊かか貧しいかということで決まるわけやない。でも、実際には、人間らしく生きることができない暮らしをしてる人がたくさんおるんや。
そういう中で、コペル君が経済的に恵まれて、学問や興味ある分野に打ち込めるのは本当に「滅多におることやない」、「ありがたい」ことなんや。恵まれた立場でいることを忘れずに、世のために役立つ人間を目指してほしいんや。
一方で、貧しい人々が不幸で同情すべき存在だと思うのはまちがいや。彼らは知識が少なくても、一生懸命働いて、世の中に何かを生み出してるんや。それこそが、日々の食事や学用品などをただ消費するだけのコペル君と、家業を手伝って物を生み出す側に回ってる浦川君との大きな違いなんや。
もちろん、コペル君はまだ中学生やから、それを恥じる必要はないんや。でも、自分がまだ消費するだけの人間であるということを忘れずに持っておくべきや。ただし、まだ生産側に回ってないコペル君でも、日々生み出し続けてる大きなものがあるんや。それは一体何なのか、時々考え続けてほしいんや。
雪の日の出来事
少年たちの約束
コペル君は、北見君と浦川君、そして小学校からの友人の水谷君と仲良く遊ぶようになったんや。正月には水谷君の家に行って、水谷君の姉のかつ子さんからナポレオンの英雄的な精神についての話を聞いたり、みんなで三段跳びや棒押しをして遊んだりしたんや。
そんな時、北見君が「上級生が俺を殴りに来るらしい」と言うたんや。コペル君と水谷君が詳しく聞くと、北見君が生意気な態度を取っているから、学校の規律を守るために上級生が制裁を加えるんや、という噂が広まってるみたいやったんや。水谷君とコペル君は先生に相談しようと助言したけど、北見君は納得せんと。どうしたもんかと迷ってる時、浦川君が北見君をかばってついていくし、「殴るなら俺たちも殴ってみろ」と言ってやればいいんや、と言うたんや。
それでもだめなら仕方ない、一緒に殴られる覚悟もあるから、と浦川君が言うた時、かつ子さんは感激して、それこそが英雄的な精神やと褒めたんや。水谷君もコペル君も同意し、反対する北見君を説き伏せたんや。4人はしっかりと指切りをして約束したんや。
雪合戦の後に
新学期が始まって、久しぶりに雪が降った日のことやった。放課後、教室を飛び出したコペル君は、ちょうど出てきた北見君と水谷君に雪合戦を仕掛けたんや。2人はすぐにコペル君を追いかけてくる。コペル君が必死で逃げ回ってると、2人がいつの間にかいなくなってしまったんや。見ると、自分が盾にした雪人形のところに人だかりができてる。そこには、数人の上級生に囲まれてる、北見君と水谷君の姿があったんや。
2人は雪玉で雪人形を壊してしまったことで責められてたんや。上級生の命令に従って謝る北見君やったけど、声が小さいし、言い方が生意気やと文句をつけられて、やりとりがどんどん悪化してったんや。俺たちに従えと命令する上級生に対して、北見君がしっかりと断ったことで、上級生の一人が北見君に突き飛ばしたんや。そこに浦川君が現れて北見君をかばったけど、あっさりと突き飛ばされてしまって、とうとう北見君も殴られてしまうんや。上級生はまだもみくちゃになってる2人に迫ってくるけど、水谷君と浦川君は、倒れた北見君を守るように立ちはだかったんや。
自分も飛び出すなら今や、と思ったコペル君やけど、足がすくんで動けへんかったんや。上級生が「北見の仲間は、みんな出て来いッ」と言ってこっちを見た時にも、手にしてた雪玉をこっそり地面に捨てて、そのまま顔を上げられなくなってしもたんや。その後、北見君を殴る音が聞こえてきたんや。水谷君と浦川君は、倒れた北見君をかばって立ち続けてて、雪玉がいくら飛んできても、決してそばを離れへんかったんや。
卑怯者
鐘が鳴って上級生が退散すると、水谷君が倒れてた北見君を抱き起こしたんや。北見君は「くやしい」と声を震わせたんや。その後は、寄り添って泣いてる3人と、少し離れて立ってるコペル君だけが残ったんや。
コペル君の頭の中では、「卑怯者」という無言の声が響いてたんや。自分だけが一人だけ約束を破ってしまったんや。いくらでも出て行く機会はあったのに、上級生に見られて雪玉を捨てただけの自分――。情けない行動で友達を裏切ったんやと思うと、コペル君は、3人との友情の中に自分は入っていけないんやと痛感して、苦しい涙を流すんや。やっと家に帰ったコペル君は、そのまま熱を出して寝込んでしまったんや。
人間らしい苦痛とは
コペル君は風邪が悪化して、2週間もベッドに寝込んでしもうた。病床でコペル君は、何度も雪の日のでっかい出来事を思い返しておったねん。最初は、3人に対する弁明ばっかりいくつも考えたわ。あの場にいなかったことにするのはどうやねん、この風邪のせいにしよか、見届け人になる気持ちやったと言うのはどうやねん――。でも、どんな言い訳しようが、自分自身が自分の卑怯さを知っとる以上、ごまかしはできひんと気づいたねん。
やがてコペル君は、本当に素直に3人に謝りたいという気持ちになったけど、正直に言うと3人が愛想をつかしてまうんちゃうかと不安やったねん。でも叔父さんから、勇気を出して行動して、どんな結果になろうとも受け入れる覚悟を持て、って後押しをもらったわ。コペル君は北見君らに正直に手紙書いて、3人が許してくれるまで待つと決めたんや。
叔父さんもまた、「人間らしい苦痛」についてノートに書いておったねん。自分のミスを認めて、それゆえに苦しむことができるのは人間だけやねん。それで、自分で自分を決める力があるからこそ、ミスから立ち直れるんや、とコペル君に応援メッセージ送っておったわ。
良かったらこの本、読んでみて!