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友達ってなんだ?


友達。
友達ってなんだろう。
こんなの世の中みんな一度は考えたことあるのでは?
という問い。

好き、思いやり、助けあい、気楽さ、楽しさ、嬉しさ、利害関係、嫉妬、劣等感、優越感、嫌い、悔しさ、
いろんな感情が渦巻く。
バロメーターは複雑だ。
ポジティブな感情に全寄りになる時もあれば、とことん人間不信なネガティブな気持ちで埋め尽くされたり、ネガポジどちらの感情も混在していたり。
(まぁ、友情関係に限らず、人間関係全般そうだけれども。)


私の場合、
自分の意思とは関係なく学校をいくつも変わった経験があるので、
友人関係を構築してもいきなり関係が断ち切られることが何度もあった。
子供心ながら、急に途絶える関係性に傷ついていた。
そうすると傷つかないように、程よく仲良くなってもそれ以上の関係に踏み込まない。
そうやって自分の傷つく心を守ろうとしてきた。
ましてや子供だから自分の意思決定権はほぼ無く、行動範囲も制限される。
スマホ普及の時代以前なのでコミュニケーションも制限される。

現在は、結構仲がいい友達、友人、仕事仲間、知人と、そこそこいろんな人との繋がりがある。
生きてきた環境、職業、ジェンダーも様々だ。

社会に出て仕事をしていく中でコミュニケーション能力もついてきて、学生時代とは違う人間関係の作り方もできるようになった。

だけども、親密な関係性をつくるとなると、どこまで踏み込んでいいかわからない。
自分がどこまで心の扉をあけていいのか、ブレーキがかかる。

自分にとって大きな悲しみや打ちのめされるような出来事があった時に、
友達に相談できずにいた。
いや、ある程度の事態の時はできる。
でも自分が心から傷ついた時に、それをシェアできないのだ。

シェアしたとしても、さらに上乗せして傷つけてくるのでは?
ざまぁみろ、いい気味だ、などと腹の底で思っているのではないか?

少し関係性に距離があり、人生経験がある人、優しい人、傷つけないとわかってる人にだったら断片的に話せるのだけど、
仲の良い近い関係性の友人にできない。
本当はそんな友人にこそ聞いてもらいたいのだけども、恐れと不信感がちらちら頭によぎる。
そしてそんな関係性しか構築できていないのか、そもそもそんな事を思う自分ってどうなんだ、と。



ちょっと話は変わって、、
SNSなどで自分にとってメリットのある人のみをアップする。
というのをよく見かける。
本当の仲の良さや心の距離ではなく、
自分のイメージアップのために、いい駒となる人のみをアップするという。

その人自身はユーモアがあったり、尊敬できるところ、素敵なところが沢山ある人なのだけれども、
あまりにも露骨にそういうのが垣間見えると、なんだかなぁ、、という気持ちになる。

多かれ少なかれ、そういう事はみんなしているはずだ。自分だって少しはそんな時もあるだろう。

そういうのはちょっとしたニュアンスですぐ感じとる。
見てみないふりをする。
そういうものなのだろう。

だけどさ、あまりにも露骨に人を利用しようとしてる人を見ると、なんか悲しくなるんだよね。


という、全くまとまってないモヤモヤを
そのまま、吐き出してみる。

こういうのもある意味リハビリだと思って。

こうやって書き出して、数日後、数ヶ月後、数年後にこれを見返した時、
なにかを発見し成長した自分がどう思うのかもまた楽しみであります。

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