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トラウマの癒し:身体に封印されていたもの (9)

トラウマの癒し:身体に封印されていたもの⑧の続きです。
ワタシの人生のトーンを決めていたのは、無意識に流していたBGM。振り返ると、無意識の持つ力をまざまざと見せつけられます。無意識が認識されて初めて、そのBGMから自分を解放することができるようになります。

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●呪縛のBGM●

瞑想中に出て来たことや、その前の日に涙が止まらなくなったことを書いておこうと思ったワタシは、まず最初にワークショップでのことを書き始めた。ワークをした後に書いたものについて、こんな風に書いている。

「・・それはとても気持ちを表しているものとなった。文章というものではなく、過去に蘇っていた記憶に感覚的なものが付け加えられた断片的な描写だった。眼に映った外側の世界と自分が経験しているものの、到底埋めることなどできないギャップ。」

ここまで書いたところで、不意に景色が変わってハッとするような感覚を得た。書き始めて20行ほどだ。その先はこう続く。

「今これを書いていて気づいたこと。というより感じたこと。
眼に映っていた外側の世界から、その時自分を隔離したということ。
あの世界には行けない。
あの世界にいる人たちと自分は違う。
望んでも手に入れられない幸せ。
そんな風に自分を切り離していたということ。
気づけて良かった。解除していこう。その通りに生きてきたね。もうやめられるね。」

あの世界には行けない。
あの世界にいる人たちと自分は違う。
望んでも手に入れられない幸せ。

まるで幕の向こう側にあったものが、幕が外れて露わになったようだった。無意識に自分にかけた呪縛。ワタシの人生のBGMにはずっとこれが流れていた。そのBGMは違和感を感じないほどワタシの一部となり、黒幕のようにワタシを支配していたのだ。

●無意識●

無意識に流し続けていたBGM。その影響は大きい。今でこそ言わなくなったけれど、ワタシは以前よく「ワタシの崖っぷち人生」という言葉を使っていた。皆んなが歩いている道の真ん中は歩けず、道の端っこを時々足を踏み外しそうになりながら歩いているといったイメージだ。そして、本当にそんな人生を歩いてきた。

ワタシはそのBGMを聴きながら、結婚や家庭を持つといった世間が認める幸せが近づくと、無意識のうちにブレーキをかけて回避してきたのだ。過去の日記を読むと、それがありありと見える。今だってそう。憧れながらも「あの世界にある幸せ」をワタシは手に入れられないと、密かに信じているのだろう。だからこそ、それが目の前にあっても先に進めない。無意識に問題をクリエイトしたり、上手く行くわけないという声で引き止めたり、他の方向に行くべきなのではないかと迷ったりして、一歩を踏み出せないでいるのがよく分かる。

結婚や家庭を持つといった大きな出来事でなく、女友達と楽しくしている時でさえそのBGMは流れていた。

あんな風にはなれない
あの人たちとは違う

親しくしていても、どこか仲間意識や所属感が薄かった。ある程度の年齢を過ぎてからも、ワタシの周りには同じように結婚をしていない人が多かった。類は友を呼ぶということなのかも知れない。きっとその方が居心地が良かったのだろう。自分と比べて劣等感を感じなくて済んだから。

孤独感を強く感じることが多くて、人を羨むような人間だった。他の女性の方が自分より優れているという気持ちも常にあった。もちろん、いつもそうした考えがワタシの頭を占拠しているわけではないのだけれど、恋愛やその他の人間関係でも「あの人の方がワタシよりもいいのだろう」と自ら引いてしまうクセがあったし、恋愛経験は少なく、そしてBGMのシナリオ通りの恋愛をした。

もちろん当時も、結婚や家庭を持つことイコール幸せだとは思っていなかった。でも多分それは負け惜しみだったのだと思う。結婚して幸せな家庭を築くことが、世間が唱える一般的な幸せな人生としてしっかりとワタシに擦り込まれていた。

8歳のあの時、目に映った外側の「あの世界」。そこから自分を隔離したワタシが大人になった時、「あの世界」は世間に作り上げられた幸せ像にすり替わっていた。

全て無意識にしていたこと。無意識の力の強さを改めて知った。

今こうして、そのBGMをしっかりと認識できたからには、意識的にそれを止めることができる。55歳にしてようやくそれができる。ようやく「道の真ん中を歩いていい」という許可を自分に与えることができる。

ようやくスタートラインに立てる

そんな風に感じている。

つづく・・

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