こころのかくれんぼ 3 【症状の特性 続き】
レックリングハウゼン(神経線維腫症Ⅰ型)の症状特性 その2
このそばかすのような斑点も、小学校のプールの授業で見られるのが嫌で
必要以上に隠しながら着替えていた想い出があります。
私の時代は、てるてる坊主みたいなタオルに包まれて(分かりますか?)教室で着替えていたのです。同級生に「かよちゃん、それ何?」と言われた時の全身が硬直するような緊張感は、今でも残ってます。答えられなくて。
きっと私のからだが硬いのは、人に対面する様々な場面で「どう見られてるのかな」と緊張し続けていたからなのかもしれない。
49歳にして気付いてしまった、いや、気付けて良かった。
ごめんね私の筋肉たち。これから柔らかくしていこうね。
私にも、左右の眼球が小さく揺れる症状があります。
自分の意思では止められないし、常に視界がぶれる日常を送っています。
少し斜めに見ると止まることもあって、必然的に首をかしげてものを見る癖がついてしまいました。何か考えている思慮深い感じに見えるかもしれませんが、ぼーっとしていても傾けています。
焦点が合わないから、飛んでくるものを捉える球技全般が凄く苦手でした。
平衡感覚もあやしくて、まっすぐ歩くのも少し苦手です。よく躓きます。
でも凝視出来ない副産物なのか、老眼の進行は遅いような…気がしているだけかな?「見える」事のありがたさは日々感じています。
とはいえ、酷使し過ぎてることもあるので反省です。
これらの症状の全てが、現れるわけではありません。
病名は同じでも症状の出現や進行の速さ・程度は、本当に様々です。
(病状の重さによって1から5までステージ分類がされていて、ステージ3以上が医療費助成の対象となります)
調べる度に、想像できない程の心や身体の痛みがあるのだと感じます。
「同じ病だから、同じ辛さを抱えている」ことは無いのですよね。
その人自身が感じている事も、周りの人が感じている事も違う。
本人もご家族も様々な「痛み」を抱いていて、痛みと一緒に生きているのだろうなって。それは病であろうと無かろうと、抱えているのものですよね。
ただ、この病気の特性である外観の変化による社会の中での生き難さというものが、少しだけ人より多いことは確かなのだろうと感じています。
自分と違う外観をもつ人の姿に触れた時には、驚き・怖れ・嫌悪感・憐み・不安・不快・侮蔑・好奇心・・・様々な感情が現れると思っています。
瞬間的に、本能的に、多様な思いが生まれるのが自然な反応だと思います。
そしてそれは、決してあってはいけないものでは無くて、人として当然なものなのだろうと、私は思うのです。
あからさまな嫌悪感で見られるのもつらいけど、気にならないふりをして目をそらされ続けられるのも、しんどい。
これ以上に関係性が深まらなくて、とり繕ったままに流れて行くようで。
勿論、そんな人間関係もあって良いのだろうけれど。
互いの違いを違いとして受け止めあいながら、生きていけるようになったらいいな。人の心の中にある差別や偏見を無くすのではなくて、ダメなものとして蓋をして見ないふりをするのでは無くて、例えネガティブに感じてもその先に新たな関係性を紡いでいけたら、とても嬉しいです。
最初は「病人」して受け止められたとしても、その後に互いに「ひとりの人」同士として、少しずつ繰り返し繰り返し出逢いなおしていけたら良いな、と思うのです。