こころのかくれんぼ 5 【いいなの気持ち】
初めて大学病院という場所に患者として訪れたのは18歳の時。
それ以降、全身に広がった腫瘍の摘出手術を受けるために、30代・40代と
何度かお世話になってきた。
私は病院に行けば「患者」と呼ばれる立場だけれど、普段はその方々と接する「看護師」として仕事をしている。専門は緩和ケア。
私は患者でもあり、看護師でもある。
ここ数年自分が働いていて、そして通院していて感じてきたのは「がん」に関する情報や支援の多さだ。
2人に1人ががんになると言われるこの時代。これは、ある意味自然なことなのかもしれない。
ある日、形成外科の診察を終えて会計に向かう途中の廊下に貼られているポスターを眺めながら、孤独を感じている自分に気付いた。
マイノリティとマジョリティ。
少数派と多数派。
これは性的、民族、文化においては勿論、どの世界においても在ることだろうけれど、病名に関しても同じなのだなぁと思って佇んでいた。
その世界の線を濃く引くのも、薄くするのも、結局は自分次第なのだろうけれど。
がん相談。
がん患者会。
がん就労支援。
がん治療による外観変化へのアピアランスケア。
がん患者家族のグリーフケア。
がん・がん・がん・・・
批判を恐れず言わせてもらう。
「こんなに様々な場所から手を差し伸べてもらえて、沢山の人や情報に繋がれるのか。がん、いいな」という気持ちを、ふと抱いてしまった。
病気に良いも悪いもないだろう!と叱られてしまいそうだけれど、思ってしまったのだ。
この際だ。隠さずに正直に書こう。
私も、誰かに話を聞いてほしかった。
傷跡のケアのアドバイスもほしかった。
それは決してがんに対する強い妬みや恨みではなく、本当にただ「いいな」という静かな静かな感情だった。
この時の「いいな」は「さみしいな」という感情に近かったかもしれない。
そして同時に思い浮かんだのは、ふたつの言葉だった。
「わたし、がんでよかった」
「わたしも、がんだったらよかった」
これは、私が専門としている緩和ケアの看護を通じて頂いてきた言葉だ。
現在、緩和ケア病棟は「がん」と診断された方しか入院できないシステムになっている。それは診療報酬上定められたことだが、本来緩和ケアと呼ばれるものは病名がどんなものであろうとも、命を脅かす病を得たその時から苦痛を和らげるべく並走させていただくもの。
様々な「痛み」「苦しみ」を抱えて生きているのは、決して「がん患者」だけではない。本人や家族の苦しみの有無に、本来病名は関係ないのだ。
緩和ケア病棟に入ってこられた方からは
「ここに来られて安心しました。がんでなければ来られなかったから」
と声をかけて頂くことが多かったが、そう思って頂ける場であることに看護師として嬉しさを感じる一方で、非常に複雑な思いを抱いていた。
それは「がんでは無い方々」の依頼を受けて他病棟に伺った際に
「私もがんだったら、あなたの病棟に行けたのにね」
という言葉を頂いてきたからだ。
「あなたのところは庭にお花が咲いていて、窓が広くて。小さい子も面会に来ている様子が見えるの。私もあの場にいる人達も、残された時間が無いのは同じなのでしょう?廊下から眺めているとね、あそこに行きたい。羨ましいって思うの。こんなこと思っちゃいけないのに。病気が違うと生きる場所も分けられてしまうのはどうしてだろうって。病気は選べないから、仕方ないけれどね」
その言葉はハッとさせられるよりも、心から深く頷き返すものだった。
いち患者として自分が感じていたものに共鳴したばかりでなく、自分が緩和ケア病棟という特別な場にいることに際して、選別された場にいるようで少しの違和感と罪悪感を感じていたからだろう。
その人たちの語りと表情には、怒りは含まれてはいなかったように感じる。
あきらめや、かなしさ、状況を引き受ける覚悟が漂うような静かな笑顔だった。
今ここに無いものを願い続ける限り、その理想と現実の深い谷底からは自分で無限に苦しみを生み出すことが出来てしまうことを、どこかでわかっている笑顔だと感じた。
でもね。
いいなって少し羨まむ自分がいても、いいんじゃないのかな。少数派の自分の世界から見た多数派の側の世界を、まぶしいなって思ってもいいんじゃないかな。
そんなこと思っちゃダメと抑圧しないことで、そんな自分もいるんだよねと思うことで、自分と他者との断絶感は無理なく自然に淡くしていけるような気がするのだ。違いがある。その事を互いに知り合い慮るうことから世界は繋がりあえると思うのだ。
自分が何に憧れて、何を足りないと感じ、何を求めているのかを見つめることは、結構苦しい。でもそれは、自分の心が行き着く先が不満と絶望というゴールで終えないための大切な道程だと私は思っている。どんなに苦しくても、気づかないふりをしてやり過ごすことが、私には一番怖い。
自分のいる世界を見つめ、そして互いが生きる世界を繊細にほどいていく時間は、互いの生きる世界の分からなさを受け取りあえる大切な時間だ。
それは、新しい関係を生み出すことに繋がると信じている。
いつの日か「病名」で分類分断されない世の中になるように。
会計を済ませて、病院の外でひとつ大きく息を吸う。
肩の力を抜いて見上げた空の色は、やわらかかった。