対話vol.01 《30〜40代男女編》 前編 「現在の生活について/避難指示解除に対する想い」
「対話で育む 心の復興プロジェクト」の第一回目のトークセッションが開催されました。KIBITAKIの代表である高崎丈がファシリテーター役を務め、高崎と同年代である30〜40代男女3人に集まっていただき、震災後どのように生きてきたのか、そして今、双葉町に対してどのような想いを抱いているのか。双葉町で育った旧知の仲であり、気心の知れた4人に素直な気持ちを語り合ってもらいました。
【参加者プロフィール】
・藤井さん(仮名) 男性
双葉町で育った高崎の同級生。現在は南相馬市で家族と暮らしている。
・篠田さん(仮名) 女性
現在はいわき市で暮らし、福島県の火力発電所に勤務中。高崎の同級生。
・池内さん(仮名) 男性
いわき市在住。双葉町の復興プロジェクトにも携わる。高崎の3つ下の後輩。
・高崎 丈 KIBITAKI代表
双葉町出身。元JOE’S MAN 2号・キッチンたかさき オーナー(新規店舗開店準備中)。日本酒のお燗を広める活動を展開中。株式会社タカサキ喜画を双葉町に設立。
現在の生活と震災後について
高崎 ご無沙汰していました。藤井さんと篠田さんとは5年ぶりくらいになりますよね。まずは、今みんながどんな生活をしているのかを聞きたいです。
藤井 私は今、福島県の南相馬市で家族と暮らしています。家も建てました。
篠田 私はいわき市。両親と娘と一緒に暮らしていて、当初は双葉町には何十年も帰れないとのことだったので、私も家も建てました。
池内 私もいわき市にいます。6年前に結婚して5歳の娘がいます。最近、自宅を建てました。
高崎 震災時にどうしていたのか、そして、それから現在までの話を簡単に教えてもらえますか。
藤井 震災までは双葉町で生活していました。それで震災があって、埼玉県の親戚を頼って避難し、アパートを借りました。震災直後はなにもすることがなかったので、小学校の放課後教室のアルバイトをしていましたね。子どもが好きだから、そういう仕事を一回やってみたかったんです(笑)。それで2011年のGW明けからは福島第一原発の復旧関係の仕事をするようになって、今度は郡山にアパートを借りて。ただ、仕事の事務所は南相馬市に置いていたので、2012年には家族全員が南相馬市で生活するようになって、その3〜4年後に家を建てたという流れです。
篠田 私は震災のときは宿泊施設で働いていて、震災の日もずっとお客様の対応をしていました。それで翌日に避難指示が出て、私も避難所に逃げて。震災のときに双葉町にいた家族と連絡が取れたのは、その翌日ですね。家族と合流したあとは、いわき市の親戚のアパートでしばらく生活しました。福島第一原発で働いていた父親が、しばらく帰ってこなくて心配しました。
藤井 うちの父親も一緒ですね。福島第一原発に缶詰になってずっと帰ってこなかった。3月末に埼玉県のアパートにようやく帰ってきたときには、げっそり痩せていて。うちの父親は2011年がちょうど定年になる年で、3月11日は休みだったんですよね。でも、地震が起きて「これはやばい」って急いで原発に行って。それからしばらく帰ってこなかった。でも、今は元気にやってますよ。母親が経営するカフェを手伝っています。
池内 私も震災のときは双葉町にいて、埼玉県に家族で避難しました。ただ、震災後5日目からは県外の工場で、福島第一原発の復旧関連の仕事をしていました。横浜のビジネスホテルで暮らしながらずっと働いていましたね。その後は埼玉県と福島第一原発を往復する生活をしていたのですが、いわき市に家を建てました。そのとき建てたのは両親と暮らす家で、最近建てたのが私たち夫婦と娘が暮らす家です。現在は車関係と福島第一原発の復旧関係の仕事に携わっています。ちなみに、高崎さんは震災のときはどうしていたんですか?
高崎 地震が起きたのは、双葉町の店でランチの営業を終えて帰宅しようとしていたときでしたね。それで奥さんと息子と一緒に、小学校に避難して。コンビニに行ったら食料はなにもなかったけど、お酒はあったので避難所で飲んだのを覚えています(笑)。
藤井 自分も飲んでましたね(笑)。避難所で飲むのは遠慮して、車のなかで飲みました。
双葉町が避難指示解除となることについて
高崎 2022年6月に双葉町の避難指示が解除になる予定ですが、双葉町についてはみんなはどう思っていますか?
藤井 正直なところ、なんとも思っていませんでした。こうして丈くんから話があったので双葉町のことを考えていますが、普段の生活の中では考えることがほとんどありません。私の場合、双葉町の人たちは好きなのですが、双葉町の場所に対する思い入れはそんなになくて……。それでも震災後の5年くらいは、自分が生まれ育った場所にもう戻ることができないというショックはあったのですが、それも段々と薄れてきて。
高崎 もう10年以上経ちましたからね。時間によってショックは和らいできますよね。
藤井 南相馬市の生活でコミュニティもできちゃっているし、家族もいるし。双葉町にこだわって、避難指示解除になったら戻ろうという想いは今のところないですね。
池内 私もいろいろ思うことはありますけど、双葉町で生まれ育って、震災までずっと住んでいた場所なので、なにか貢献できることはないかと思い、自分にできることはやりたいなと思っています。
藤井 池内くんは地元愛が強いからね。俺みたいな軽薄な人間とは違うから(笑)。
篠田 そんなこと言って、本当は地元愛あるでしょ。だからこうして、この対話にも参加しているわけで(笑)。
藤井 そんなことないんだって(笑)。
池内 藤井さんが言っているように、みんなそれぞれの家庭の事情や新しいコミュニティがあるから、私のように双葉町に対する地元愛が強くても簡単には戻れないですよね。篠田さんはどうですか?
篠田 私は生まれ育った双葉町には、すごく楽しかった思い出があって。私は避難指示解除になったら、すぐに帰りたいと思っています。実際に家族みんなで帰るつもりで動いているし。ちなみに、うちの兄も戻れるなら戻りたいと言っています。
藤井 家族みんなの双葉愛が強いんですね。娘さんも双葉町に戻りたいと言っているんですか?
篠田 そうですね。震災前、うちは9人家族で双葉町で暮らしていて。娘もそのころがすごく楽しかったみたいなんです。いわき市にできた双葉町立の小中学校にも自ら望んで通って。今は大学生になりましたが、卒業後は復興に関わる仕事に就きたいと言っています。もしかすると、私よりも双葉町への愛が強いかもしれない(笑)
後編に続く
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