VOICE for FUTABA−Vol.4 《アーティスト/経営者編》後編「原発との向き合い方/今後の復興支援活動について」
福島県で復興支援活動を行うキャンドル・ジュンさんと、双葉町で家業のガソリンスタンドを再開した吉田知成さんによるトークセッション。後編では、原子力発電所との向き合い方や今後の復興支援活動について話し合っていただきました。
原発との向き合い方について
髙崎 さまざまな町の復興を見ているジュンさんから見て、復興を進めていく上での双葉町の課題などはなにか感じていますか?
キャンドル・ジュン まず必要なのは、原発に依存していた以前のような町に戻りたいのか、それとも全く違った形の町をつくっていくのかを町民同士でしっかり語り合うべきではないでしょうか。原発があったころにはできなかった議論が、今ならできるはずです。
先程も当事者意識が大切という話をしましたが、原発の仕事に従事していた双葉町の町民の方から、その責任において今後の双葉町が向かうべき町の姿を提示している人がまだいらっしゃらないと思います。ずっと原発を受け入れてきたのに、事故が起きた途端に被害者の立場になり、誰かのせいにしているだけでは当事者意識を持つことができません。
双葉町として次はなにを選択するのかということを、町民同士でしっかり話し合わないといけないのではないでしょうか。原発に依存していたころのような町に戻るのであれば、東電に代わる大手企業を誘致しなければなりませんよね。そうではない選択をするのであれば、自給自足ができる町にするのか、安全なエネルギーをベースにした町にするのかといった町の未来像を話し合うことができますよね。
島野 これからの双葉町を考える上での根本的な部分を、しっかり町民同士で話し合って固めなければいけないということですよね。本当は、原発事故が起きた日本の国民として日本人みんなで当事者意識を持って話し合っていけるといいんでしょうけど。髙崎さん、原発についての議論についてはどう思いますか?
髙崎 正直なところ、ジュンさんが言うような深いところまでは原発について考えていませんでした。なぜなら、私は原発があるのが当たり前の環境で育ってきて、周りの大人たちの多くが原発で働いていたので。原発があるからこそ生活が成り立っていた町だったので、原発に対して「良い」「悪い」を単純に判断できないという心情もあるのですが、ただ、自分のなかで改めて原発について考えてはきませんでしたし、他の町民と原発について話し合っていなかったのは事実です。個人的には、原発はやっぱりないほうが良いとは思っていますが。
吉田 そうですよね。原発に依存していたのも事実だし、髙崎くんが言うように双葉町の町民は原発があるのが当たり前の環境で生活していたので、原発がない双葉町の姿をなかなか想像できないのかなとも思います。
伊達屋も原発建設工事のための燃料を販売するために創業した会社ですし、原発があったからずっと商売が成り立っていたわけです。ただ、そうして原発を受け入れてきたからこそ今の双葉町の状況があるわけで、ジュンさんが言っていたように、双葉町の町民でしっかり話し合うことは必要ですよね。
官林 私はお二人と同じで、原発がない双葉町というのを想像できないで育ちました。原発の「安全神話」を幼いころから植え付けられていました。まさかあのような事故が起きるとはまったく思っていなかったわけで…。ただ、これから双葉町に関わる人は、必ず原発や環境について考えざるをえないわけですし、未来の環境を考えていく上で双葉町は重要な町になれるのではないでしょうか。
今後の復興支援活動について
髙崎 今後の双葉町の復興について、吉田さんはどのようにお考えでしょうか?
吉田 なにもなくなった町だからこそ、逆に魅力的な場所になるのではないかというのは私も思っていますし、そこに魅力を感じた方々が双葉町に集まってくれれば良い循環が生まれてくるのかなと。双葉町に進出すれば補助金が出るから来るというのではなくて、逆にそれがなかったとしても双葉町に魅力を感じてくれる方たちが集まる場所にしていきたいですね。
今、いろんな企業が双葉町に入ってきていますが、やはりそれらの企業がどのように地元と融合していくのかが課題だと思いますし、その橋渡し役を私が担っていきたいとも考えています。
新しく双葉町に入ってこられる方にも、「うちにできることがあれば、なんでもお手伝いしますよ」とは必ずお伝えしています。また、かつての町民が駅の西側に建設された住宅に戻ってきています。今は10世帯くらいが戻ってきていて、そうした方々とガスをご契約いただく際に話す機会があるのですが、ありがたいことに「伊達屋が営業を再開しているから、戻ってきても大丈夫だと思ったよ」という言葉をいただけることがあります。そうした言葉を聞くと、いろいろ大変だったけど伊達屋を再開して良かったなと感じますね。
なので、町に新しく入ってくる方や戻ってくる方の「御用聞き」に伊達屋がなり、みなさんを支えていきたいですね。そして、肩肘張らずに双葉町に移住できるような環境をつくりたいとも考えています。私は双葉町を「新しいものが生まれてくる場所」と思っているので、新しい試みを始めるために遠慮なく双葉町に来てもらいたいです。
島野 ジュンさんは今後、双葉町で進めていきたいことなどはありますか?
キャンドル・ジュン いろいろあるのですが、具体的にひとつ考えているのが、「双葉山プロジェクト」というものです。汚染土を県外の最終処分地へというプランも大切ですが、他所へ持っていってもまたそこで風評被害が始まってしまうと思います。
なのであれば、中間貯蔵している汚染土の数値がどれだけ低くなり、分解も進んでいるのかということをみんなにしっかり認知してもらって、双葉町と大熊町にまたがって貯蔵されている汚染土をすべて双葉町で引き受けてはどうでしょうか。健全な土壌であることを確認し、バクテリア分解などの研究施設も建設したうえで、最終処分地として双葉町が手を挙げるべきではないかと私は思っています。
汚染土の分解率が高まっているというエビデンスもあるので、汚染土を「見える化」して山にし、何年後にはこの山の土壌がすべて健全な土になるというのを研究者に出してもらって、目標を見せていくと良いと思います。
「原発事故があったから双葉町は危ない」という認識のままにしておくのではなくて、どんどんクリーンになっていく過程をしっかり見せていく。そして、その山には神社を建てるんです。汚染土や、震災にまつわるさまざまな苦しみや思いを祀ってあげる。すべて山に託して安全にケアをしていき、なおかつ花や木を植えていきながら美しい山をつくって、100年後とか200年後には、頂上に子どもたちが登って遊んでも大丈夫な山にするんです。
そして、避難を余儀なくされた双葉町町民の全員の名前を記念碑として残す。町民一人ひとりがさまざまな苦労をしたけれども、未来の子どもたちが安心・安全に暮らせるようにするためにも、汚染土を双葉町で最後まで見守る決意をしたことを示すべきだと思います。もっと言えば、汚染土を分解する施設を建設することで、全国の原発のゴミ問題を双葉町が解決できるかもしれない。そうすることで、双葉町の町民としてもプライドを持てますし、町として原発以上の収益事業に育てることができるかもしれません。
汚染土を処理する仕事は、きっと誇れる仕事になるはずです。また、こうした汚染土の事業をやることによって、双葉町は震災や原発の大変さをより伝えられる町になり、観光事業にもつながっていくのではないでしょうか。
島野 まさに双葉町が抱えるマイナスな部分をプラスに転じることのできるプロジェクトですね。
髙崎 すごく素敵で夢のある企画ですよね。ぜひ実現させていきたいですね。